写真のこの本、先日少し紹介した大澤覚氏が著した「神足勝記日記」である。副題に「林野地籍の礎を築く」とあるように、この神足勝記、一言で評せば「明治の伊能忠敬」とでも呼びたくなるような人物で、皇室のために御料局測量課長としてわが国の林野の測量を、近代技術を用いて行った最初の人のようだ。
著者である大澤氏は詳細な日記や埋もれていた膨大な資料の山に挑み、また氏も同じように神足の足跡の多くを実際にたどるなど、積年の苦労を重ねに重ねたその末に、ようやく世に出すことができた1冊だと言えよう。
こういう地味で、専門的な本は、出版すること自体が非常に難しい。まして今や、本離れが進んでいる時代である。ここに至るまでの経緯も苦難な道であったことは疑いないが、それでも著者は投げ出さなかった。
A5判、本文685頁2段組、定価22,000円(税込み)、(株)日本林業調査会発行。一般の人が手にするには高価な本になってしまったが、明治以降の皇室財政を支えた御料林の役割、林野行政と林業の関り、近代測量技術の詳細などなど、今後この方面の研究をする人たちにとっては欠かせない貴重な一書、道標となるだろう。
著者大澤さんを知ったのは、奇妙な出会いによる。かれこれ6,7年前のことで、大沢山の第3牧区の見回りをして帰ってくる途中、軽トラの横に乗っていた友人が「後ろから追いかけてくる人がいる」と言う。振り返ったら、小さな自転車に乗り、笑顔で手を振っている人の良さそうな中年男性の姿が目に入った。その人が大澤氏であった。大沢山と大澤氏、これも縁と言えよう。
何でも神足が越した御所平峠に行こうとして、はるばる高遠からタクシーで来てみたが、連れていかれた登山口の手前、当時の「御所平峠駐車場」は、どうやら氏の資料とは合致しなかった。ということで、近くの小屋の人に尋ねたら、牧場に少し変わった管理人がいるから、そこで訊いてみろということだったらしい。
以前から、御所平峠の名前を登山口の駐車場に冠することには大いに反対していた。そこで、得たりとばかりに氏の資料を見せてもらい、話を聞き、正しい場所を教えた。それからの付き合いである。
神足の足跡を求めること下手な登山者顔負けで、例えば南アは光岳で終わることなく寸又峡まで足を延ばし、入笠へ来るには戸台から20㌔近くを歩いてきて驚かせてくれた。それも、街中を歩くような普通の身なり格好で、確か足回りは革靴だった。
前回も青柳駅から歩き始め、何でこんなクマササノ繁る径でもない急な斜面を、と言いたく所を何本かの区画でも示す目印に導かれやってきた。
神足も凄いが、それを追う大澤さんもまた人並みではない。学者という人種の執念を感ずる。この分厚い、文字のぎっしりと詰まった氏の労作は上に持っていく。
これまでも、影の道具番長を省けば、登山客に貸した本は殆どが返ってこなかった。しかしこの本は、そうはさせない。
本日はこの辺で。