風はなく穏やかで、灰色の空の下に見えていた銀色の峰々は、穂高であれ、後立山であれ、かなりの凄みを見せていたというのに、冬枯れの野ずらは哭いていた。
いつも目にする生き物の姿が消えてしまったせいだろうか、久しぶりの牧に、そんな殺風景な印象しか持てなかった。
今回も芝平から荒れた山道を上った。第2堰堤を過ぎた所に通行止めの看板が、「わたくしたちは役目上通行止めにしますが、どうぞ勝手にお通りください」とでも言うように置かれていた。
オオダオ(芝平峠)に出ると、千代田湖から「枯木の頭」に至る林道も、12月の20日過ぎまで予定していたはずの工事が終了したらしく、通子止めの標識はなくなっていた。わずかな距離でしかないのに、工事予定の期間がいい加減なのは今回だけでなく、いつものことだ。
雪は「池の平」手前の大曲り、ついで焼き合わせを過ぎたばかりのやはり大曲り、そしてド日陰と3カ所ほど根雪になっていたが、通行に差し障るほどの量ではなかった。とにかくこの時季、通行止めの看板さえ出しておけばいい、ということなのだろう。
牧場の北門を入って少し行った所で車を停め、そこに残しておいた一抱えほどの薪を積んだ。実生から群生した落葉松で、露天風呂の灯油と薪併用の釜に使えばいい燃料になる。
来春に計画している道路沿いのコナシの枝打ちをあれこれと考えながら小屋に着いた。昼を少し回っていただろう。
いつものように、小屋に入る前に、まず水源を見にいった。来る途中では水量が乏しくなった渓ばかり見てきたせいか、相変わらず豊富な水が流れ出ているのを目にして安心した。
そして露天風呂の養生に異常はないか、キャンプ場全体に何か問題がないかを点検して、小屋に入った。
今では里の暮らしにすっかり慣れたせいだろう、半年以上も過ごした部屋はさながら主のいない他人の部屋のようで、あまり長居をする気にはなれなかった。火を使うのを控え、湯を沸かすこともせず、それでも1時間ほどいただろうか。
戸締りや、ネズミの餌になるような物をしまい忘れていないか確かめて、愛想を見せない小屋を辞すことにした。
多分、荷揚げを兼ねて越年前にもう一度は来ることになると言い聞かせつつ、冬の山の侘しさを胸一杯に吸い込んだ。
今週末から富士見のゴンドラの営業が再開される。本日はこの辺で。