入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

        里の春 (10)

2015年04月06日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


こんな雨降りの天気だというのに、椋鳥が何羽も花の散りかけた梅の木に飛んできて、花の蜜を吸っている。昨日ようやく咲き始めたボケの花は、いち度勢いがつくと雨空にも開花を躊躇しないのか、白い花の数を増やし雨にぬれている。
 
 七十年前の今日四月六日、戦艦大和は沖縄に向け特攻出撃した。そして翌日七日、鹿児島坊の岬沖の海戦で壮絶な最後を遂げたが、生存者の中に学徒出陣した吉田満という海軍少尉がいて、戦後に「戦艦大和ノ最後」を書いた。この本の出版については当時まだ占領下にあったため、小林秀雄がかなり骨を折ったようだが、にもかかわらず検閲などで苦労を重ねて、ようやく世に出た。文語体の文章で、漢字と片仮名で書かれている。
 今日はそういう日なので、もう三十年以上前に読んだことのある同じ著者の本で以前から、その内容の一部をもう一度読み返して、確かめてみたいところがあって、掃除機を片手に埃だらけになって探してみた。著作は何冊かあって、その中に目当ての本はあった。題名は「戦中派の死生観」と言い、探していた箇所も「一兵士の責任」という稿にあった。が、再読してみて、もしかすれば別の著作、確か「戦中派の言葉では」というタイトルだったか、で読んだ記憶とダブってしまっているかも知れないとも思った。「戦争責任」という問題をつきつけられた著者の、「一兵士」としての立場、思いが誠実に語られていたが、筆致は記憶よりも大分抑えられているという気がしたからだ。 
 この本には、大蔵省で同期であった平岡公威、作家・三島由紀夫、についても彼の死後に、「三島由紀夫の苦悩」のタイトルで書かれた作品が載っている。また、戦後中央へ戻る前のいっとき、代用教員に身を変えて過ごした高知県の漁村を三十年ぶりかで訪れ、誰にも会わずにそっと帰った旅のことを雑誌に書いたら、それを読んだ村の人々に「顔を見せずに退散するとは何事か」と叱られて、改めてまた思い出の地、に思い出の人々を訪ねるという、ほのぼのとした話もある。
 「戦中派の死生観」については、敢えてこれ以上は触れない。興味のある人は本を読んでみることをお勧めする。

 まだ雨の日が続くようだ。窓を開けたまま暗い戸外の雨音を聞きつつ、先日の洋画で聞いた「変えられぬことを知る分別と、引き下がることの謙虚さ」を思う。
 
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