入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

   ’18年「春」 (21)

2018年03月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 歳時記(角川文庫)を見ると「果実の形が似ているというのでつけられた名前がいささか哀れだが、愛らしい花である」とこの花の由来を説明している。もう、10年以上前になるが、ある句会の兼題になったのがこの奇妙な名前「犬ふぐり」の花で、どんな句を作ったかはもう忘れた。その後、俳句の会もいろいろあって分裂し、会の名前だけ持って出たけれども、次第に俳句への興味もなくなってしまった。同じこの季節の土筆(つくし)や蒲公英(たんぽぽ)とは一味違った思い、記憶が、いまだにあの青い色には被る。

 昨夜、以前に一緒に働いていたH君から久しぶりに電話があった。彼は深大寺に家があるからてついでに花の状況を尋ねてみたら「明日行ってみます」という返事だった。花より団子の口だったかも知れない。井之頭、玉川上水、そして深大寺などが、記憶の中では美しい東京の桜だ。大々的に花見をやった年もあれば、そうでない年もあったが、東京には桜の名所がやたらと多いという気がする。そして、花に熱狂する人の数、群れも。多分、戦時中に焼け野が原にされた後、植えられた木が多いのだろう。
 伊那谷も早ければ4月の10日前に開花するかも知れないと予報していた。Dさんは今年も一本桜を求めて、伊那谷ばかりか信州中を旅するのだろうか。残雪の残る山々を背景にしたり、芽吹き始めた木々の間にポツンポツンと咲く花は綺羅とは遠く、その美しさが親しみやすい。そのうち、真似してをして花の旅をしてみようかと考えている。
 桜と言えば高遠城の桜を語らぬわけにはいかないが、この花は「タカトウコヒガンザクラ」という赤の色の強い花として知られていて、遠方からの花見客も多い。牧場の行き帰りに遠くから眺めるだけで毎年済ませているが、旅行会社が関係するからだろう、まだ開花しないうちから大型バスが多くの客を乗せてやってくる。それをを見たりすると、あの人たちはまた来てくれるのだろうかとつい心配する。「天下一」というほどの花かはさておき、しばらく古城の周囲は喧噪に包まれる。
 昨日はあれほど好天を予報していた天気だが、昼を過ぎたら青空が消えてしまった。
 
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   ’18年「春」 (20)

2018年03月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 はるの寒さたとへば蕗の苦みかな   ―― 夏目成美

 この時季、毎年口ずさむ好きな句だ。昨春だったか引用を誤り、有田焼氏に訂正されたという「苦い」記憶も残る。「はる」と「寒さ」、それに「蕗」と、季違いの多い句だが、それがまったく気にならない。「蕗」は夏の季語だが、この句では「フキノトウ」を詠んだものと思われる。

 彼らは中高年の登山者ではなかった。昨日の奥多摩三頭山の遭難騒ぎである。団体行動を崩さなかったことから旅行者の一団、それも外国人という考えがチラッと頭をかすめたが、13人中10人が中国人だとは思わなかった。以前、雲取山頂小屋で夜中に、数人のアメリカ兵に声をかけられたことがあって、東京都で一番高い山である雲取山はもちろん、奥多摩の山々が主に在日の外国人にも人気があることは知っていた。
 それにしてもお粗末としか言えない。事前の下調べを怠り、避難小屋の存在すら知らなかったのだろうか。それに、運動靴のような軽装の人もいたようだから、雨具もちゃんとしたものを用意してなかった可能性がある。
 無雪期に最も重要な用具は雨具だと呟いたことがある。積雪期なら、それに靴が加わる、とも。どうも見た目ばかりは立派だが、足回りのおろそかな人を入笠でも目にすることがある。ゴアテックスや類似の商品が、雨具に使われるようになって大分経つが、それでも雨具として完全かと問われれば、そうだとは言えない。加えて、防水力は劣化するから消耗品と考えた方が間違いはない。
 このごろは雨具ばかりか、山靴にもゴアテックスが使用されるようになった。しかし耐久性は皮のようにはいかない。牧場で使っていた某社の靴は1年で駄目になった。軽くて蒸れないのは有難いかも知れないが、もっと重要な堅牢さや、耐久性、保温面が犠牲にされてしまっているのが気になる。ゴアテックスはまだ登山靴の素材として充分な検証がなされないうちに、すっかり主流になってしまったようだ。
 書店に行くと、知らなかった名前の山岳雑誌を目にする。もちろん、それなりに読者の役に立っていると思うが、広告がかなりを占めている点が見逃せない。広告主の意に沿わないようなことはなかなか書きにくいだろうと思いながら、ページを追うことがある。
 
 
 
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   ’18年「春」 (19)

2018年03月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日春分の日、奥多摩は三頭山の遭難騒ぎには呆れた。通報を受け救助に向かった人々はご苦労なことに、救助要請者と接触できたのがきょうの未明だったとか。こんな時期、夜間の捜索など聞いたこともない。まだ詳細の分からないうちに軽々なことは言うべきではないかも知れないが、それでも呟く。
 
 まず山が奥多摩の1千500メートルそこそこの山だったこと。三頭山は若かった頃、体力錬成のために昼夜、何度か登って知っている。近くには、入笠牧場に移設したいような立派な避難小屋があったはずだ。およそ、あんな名残り雪で遭難騒ぎが起るきるような山とはとても考えられない。特にこれから桜の咲くころは、奥多摩湖に架かるドラム缶の橋を渡り、誰でも登る人気のある山だ。
 降雪のため下山が困難と判断したなら、小屋に留まればよかったし、そもそもこの日の悪天や、降雪はくどいくらい予報が出ていた。それを知って行ったはずだから当然、それ相応の準備、覚悟はできていたはずだろう。また、救助要請が午後の7時40分ごろというのは、その判断があまりに遅い。それに13人もいて、もっと早い段階から誰かが中心になって、自力での下山を考えられなかったのだろうか。金縛りにでもなっていなかったのなら、この人たちは三頭山どころか、登山そのものについて考え直した方が良い。
 その後の報道では、救助者の介添えを受け6人がまず下山、残り7名のうち2名が担架で、1名は背負われ、他の4名も救助者に付き添われながら何とか山を下りたという。ということは、3名が動けなかったということになる。年齢のことは分からないが多分、中高年だった可能性が高い。それにしてもこの散々な状況、何が起きたのかと考えたり同情する前に、あまりに登山者が弱いと言いたくなってしまう。
 ともかくも、あの程度の事態に対処できず、自力脱出ができなかったのでは、いくら非難されてもは仕方ない。耐えるしかあるまい。その上でだが、普通に考えれば真夜中に、救助隊と出会えた場所は避難小屋だろうと思うが、それもまだ分からない。担架が必要な人がいたり、凍傷の恐れのある人もいたようだから、救助されるまでには山中を彷徨していたという可能性も考えられる。
 この件では、中には自力脱出できた人もいただろうに、それのできない仲間を捨てずに行動を共にしたことは、事情は分からないが、一応評価されてもいいかも知れない。
 
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   ’18年「春」 (18)

2018年03月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 天気予報が当り、雪が降っている。霙に近い雪だから里では積もることはないと見ているが、上はどうだろうか。
 
 雪降りの中、咲いたばかりの梅の花を撮ろうとしたら風が強く、止むのを待つだけの根気が続かなかった。枝を折ろうかとも考えたが、ようやく春を迎えた梅の木、それも日当たりの良い場所を選んで咲いたたった2,3輪の花、思い留まった。梅の花は桜と違い、咲き始めたばかりのこのくらいの数が一番存在感を感じ、周囲にも映える。もっと花の数が増えると、花の気品、趣が失せてしまうような気がする。勝手な思い込みかも知れないが。



 雪に強いはずのHALも、きょうは小屋でなく縁側の下に潜り込んでしまい、震えている。甲信地域は只今「ふゆびより」ど真ん中。山の方は風が吹き荒れ、吹き溜まりの雪が気になるというのが山奥氏からの情報。明日になれば天気は回復するようだが「老人の達者、春の雪」となるのか。老人の元気は大いに結構でも、雪は遠慮なくどんどんと融けて行ってもらいたい。昨日は安気な予想をしてしまったが、気持ちは既に春の陽射しの中に移ってしまっている。もう冬には戻れない。それに来週はまた、上にいかなければならない。
 
 そろそろ来年度のことが気になる。いろいろな噂は聞えてくるが、どれも一過性のものでしかない。冬の間、誰よりも入笠牧場のことを考えていたつもりだが、それだけに、現状には隔靴搔痒の思いがしている。美しい自然、豊かな動植物、そしてどこにも引けを取らない星空、舞台は上々だが、それは天然の魅力ばかりだ。いや、余裕のキャンプ場、時代遅れの山小屋、そして露天風呂があり、望遠鏡がある。鳥の名も知らない野生化した牧場管理人が牛や鹿といて、待っている。
 
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   ’18年「春」 (17)

2018年03月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 後1ヶ月もすれば今年もこの山道を、雨の日も風の日も毎日のように通うことになる。道の端に吹き寄せられた枯葉が、春の日を浴びて暖かく見えるのもこのころからだ。それにしても、この膨大な量の枯葉を目にすれば、森の持つ旺盛な生産力に改めて感動する。毎年これを、来る年もくるとしも人の生涯を超えるほどの長さ、飽かずに繰り返すのだ。やがて、枯草が息を吹き返し、繁茂していくといつの間にか、今年の落ち葉は見えなくなってしまうのだが。

 雪の融け出すのが今年はいつもの年よりか早い。日陰の残雪はしつっこくいつまでも長居を決めるだろうが、それでも仕事をするころには今年は、途中で車を捨てずに行けるだろう。はっきりと記憶しているわけではないが、12年間のうちで牧場まで車で行けたのは多分3回しかなかったと思う。前任者と交代した翌年から、仕事開始を10日ばかり早めて4月20日としたため、その分幾日かは歩くという、余計な苦労までという背負い込むことになった。連休が始まる前に小屋やキャンプ場の整備を済ませておくには、そのくらいの余裕が必要だったからだ。
 つい「余計な苦労」などと言ってしまったが、例年「ど日陰」の手前辺りから、1時間ばかりをかけて歩くことは、木々の葉が萌え出した早春の森の生気を身体中に浴びることができて、それはそれなりに気分の良いことだった。仕事を始めるにあたっての新鮮な緊張間も、静まり返った森の中の雪道を歩けばしみじみと味わえた。30分も行けば森を抜けて、一挙に視界が開ける。「樺の平」へ下る入り口に立つ1本の白樺が目に入がれば、その先は牧場の北門である。そこまで行けば空がいっぱいに広がり、雪を被ったアルプスの峰々が姿を見せ始める。爽快な気分が満ちてくる。いくら見慣れた牧場風景でも、初日からしばらくは色直しをした花嫁のように初々しく、一段と美しく見えるものだ。
 牧場には誰もいないし、声をかける人もいない。一人だけでする「仕事初め」で、そんなことは誰も知らないし、意にも介していない。小屋の前に立ち、来賓各位である権兵衛山や周囲の森に向かい一礼し、仕事開始を宣言し、今年もよろしく頼むと言い添えて儀式は呆気なく終わる。それで充分だ、加えて天気さえ良ければ。

 気の早い、と思うかも知れない。しかしこれからのひと月は早い。日の経つのも、そして雪が消えていくのも。
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