入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「秋」(41)

2021年10月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 いつもより早く起きて、ゆっくりと山道を上ってきた。実は昨日も里に下った。重要な連絡が入ることになっていたのに携帯を忘れてしまい、止む無く午後の5時前に家に戻ることによって何とか事なきを得た。



 牧場の北門の少し手前で林道は大きく迂回する。その時に振り返ったら、遠く台形をした美が原の上部が白くなっているのが見え少し驚いた。標高では入笠とそれほど違いはないが、位置的にはここより3,40㌔北にあるから雪の訪れも早いのだろうと考え、その時はさほど気にしなかった。ところが、入笠山の山頂が見える場所まで来ると、雲で判然としないまでもどうも雪が降ったような白い物が目に付いた。
 もしかすれば雪ではなく、白く見えたのは霜のせいかも知れないと思いつつ気になって、わざわざ大沢山まで行ってみた。しかし、そこからでもはっきりとしない。今も権兵衛山の北の斜面はまだ白い粉をまぶしたように見えているが、霜と思えば霜のようだし、雪と言えば雪のようにも見える。
 用事があってマナスル山荘の本館に出掛けた際、昼時の忙しさでてんてこ舞いしていたS子さんに聞いたら「霜」、だと答えが返ってきた。雪か霜かの判定を彼女に委ねるのも面目ない話だが、雪なら日陰に少しぐらいは残っていそうなものだし、きょうはそういうことにした。



 周囲の森や林が色付き出すと、新緑のころと同じように樹種によってその違いが分かるようになる。黄色でも、赤でも、その色合いは微妙に違う、いや、大きく違うこともある。例えば今見えている白樺の葉は黄緑色が黄色に変わりつつある段階のようだし、落葉松の葉はまだ金色に輝く一歩手前と言えばいいのか焦げ茶色に近い。コナシの葉は1ヶ月以上も前から落葉しているがこの葉は黄緑、黄色、茶色と、1本の木に乱雑、強引に夥しい数の枝を伸ばした結果、その始末をつけかねているように見えたりして嗤う。
 いち早く赤く色付いた山桜の葉はすでに散った木が多く、芽吹きのころ、白い清楚な花を咲かせる時、そして渋い朱色の葉に代わる時も加えて、山桜は3回も変化する。そしてどれも美しく、それでいて一歩控えて派手さはない。このごろになって、鮮やかな黄色の葉を見せつける細身の木も気になるが、名前は知らないままだ。
 この牧の周辺に樹木の数がどのくらいあるのか想像もつかないが、その中で知っているのはあまりにも少ない。樹種により木々の葉の色合いが違うなどとウソブクのは僭越至極、赤面の至りだ。野鳥もそうだが、野花に樹木、図鑑を拡げては恋しい相手を探しあぐねて時は過ぎていく。
 本日はこの辺で。
 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(40)

2021年10月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日用事が出来て里に帰った。今朝来る時に見たら、西山には冬が近付きつつあった。経ヶ岳には雪はまだだったが、その山肌は一段と赤味を増して、紅葉が日に日に山を下りてくる様子が伺われた。また、それより標高の高い西駒や空木岳は薄っすらと冠雪し、恐らくあれが根雪になるのだろう。
 この天竜川の西に連なる山脈は、中央アルプスと呼ぶよりかも、小さいころからずっと呼び慣れた「西山」の方が馴染み深く、耳に心地よい。同様に西山の主峰「駒が岳」は木曾でなく「西駒が岳」である。「ふたつのアルプスに挟まれた」が伊那市の枕詞としても使われるように、両駒ケ岳は、南アルプスの方を「東駒」、中央アルプスにあるのは「西駒」と古老から教えられ慣れ親しんできた。であれば、軽々にそれらの名前を片仮名語などでは呼びたくない。
 
 牧のことを措けば、気になっているのは家の柿の実と赤坂狭の紅葉だが、柿の実にはまだ椋鳥は来ていなかった。まだしばらくは大丈夫だろう。何でも種平小屋の奥方が、熟した柿の実を利用して酢だか何だかを作りたいという申し出を承っている。その彼女と今朝来る時、赤坂狭で偶然に出会い、柿の実については状況を伝えておくことができた。
 種平小屋はここでも時々紹介しているが、赤坂狭から山室川を右に渡り、そこに流れ込む「栗立ち川」に沿って上って行けば最奥にある。古道・法華道の赤坂口でもある。
 因みに法華道はこの荊口の赤坂口と、さらに山室川の上流にある芝平の諏訪神社からも登り口があり、二つの古道は、御所平近くで合流している。どちらであれ一度でも訪れたらその静まった古道の趣に魅了されるはずだが、あまり訪れる人はいない。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。
 
 もう一つの気掛かりなのが荊口の赤坂狭から始まる紅葉で、これは毎年見逃したことがない。今のように、上でばかり暮らしていると気が気ではないが、今日見た限りではまだもう少し先のようだ。この山室川に沿った紅葉は、赤坂狭ばかりか人気の絶えた芝平の廃村に至る辺りでも見掛けることができ、それらを燃えるような激しい、秘められた姫君の恋になぞらえたらよいのか、はたまたあの集落を捨てた人々が故郷へ寄せる熱い思いの象徴と見たらよいのか。ともかくもあの紅葉を目にすれば、美しさいうよりかも散りゆく寸前の訴えるような激しさを感じてしまう。
 
 赤羽さん、有難く通信落手しました。そんなふうに受け取ってくれる人が一人でもいれば、有難いことです。かんとさんは、品行方正の見本のような人ですが、さらに日ごろの行いに気を付けて来て雨男を返上していただけたら幸いです。待ってます、クク。
 本日はこの辺で。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(39)

2021年10月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                     Photo by かんと氏
 
 久しぶりに真夜中の2時半、今夜は強い酒を湯で割って飲んでいる。少し前、月明かりに誘われて外に出てみたら初霜が降りていた。西の空に傾きかけた月の光はまだ衰えていなかったが、それに代わって中天にはオリオン座が見えていた。今年もひと冬を、あの星座を眺めながら夜の散歩を繰り返すのだろうか。
 気温は昨夜の段階ですでに零度まで下がっていた。キャンプ場の排水弁を開け、管理棟の台所の水も流しっ放なしにしておいたが、10月はまだ10日もあるというのにこんなことをしたのは過去に記憶がない。
 そういえば、牧を閉じるまでに残り1ヶ月となった。いくら長い秋を望んでみても、季節は確実に過ぎていくようだ。

 午前6時。戸外の2個ある温度計はどれも零下4度を指し、それだけでも充分なのに初霜が今朝の寒さをさらに上塗りしていた。星の消えた空には帯状に幾筋もの雲がたなびき、薄赤色の朝焼けはきょうの好天を約束してくれているのだろうか。
 この寒さのせいだったか珍しく、ついに眠られぬまま夜明けを迎えた。ストーブを点けたというのにまだ背中がすうすうとする。今週末、キャンプの予約が1件だけ入っているが、都会の感覚で来ると酷い目に遭うのではないかと気になる。いざとなれば小屋を利用できるのがここの強みだが、そんなことを知っているのかどうか・・・。
 covid-19のせいで、キャンプの人気が高まっているという報道を何度か目にし、耳にした。随分と贅沢三昧のキャンプ場もあり、サウナ風呂まであると聞いて驚いた。人を呼ぶため、売り上げを上げるために、あの手この手の努力も分からないわけではないが、一過性の人気で終わらなければ良いのだがと思う。

 近年薪ストーブの人気が高まっていると聞く。一冬それを使用するとなれば、すでに薪の準備は当然終えただろう。まだガスなどなかった子供のころは、南裏に薪の山を積んだものだった。大根や、野沢菜などの漬物はどうだろうか。それほど多くはないが、友人知人に干し柿やリンゴを送って貰う手配もしなければならない。
 気象予報士はこの寒さを11月並みだと言っていたが、いつもよりか早い冬を迎えることになるのかはまだ分からないものの、忙しい里の様子を想像しながら、前年の作業日誌などを参考にして残り1ヶ月の予定を立てなければならない。そういう時季が来た。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(38)

2021年10月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 すでに昼近くだというのに気温は5度、ここ2,3日の間に山は急に寒くなってきたようだ。ここまで下がると、11月を待たずに水道の心配をしなければならなくなる。

 ススキというのは不思議な植物で、野焼きをしたり、草を刈ったりすればするほどさらに増えるような気がする。追い上げ坂などその典型で、何年か前に野焼きをしてからは、やたらに増えるススキの鋭い葉に牛の乳房を傷付けないようにと、毎年春と秋に草刈りを余儀なくされている。
 きょう、その草刈りをしながらススキの繁茂する原因について改めて考えてみた。そして、はなはだ面白くないが、ススキがあそこまで増えたのはまさしくこの草刈りにあるのだという自分なりの結論に至った。この時季ススキには白い花穂が付いている。草を丁寧に刈ればかるほど、その穂は落下の途中、草に邪魔されずに大地に落ちることができる。ということは、わざわざススキのために草地を整備改良しているようなものだと考えたのだが、さてどうだろうか。
 それに、草を刈る時期も、ススキ穂が秋風にそよぐ今の時季は相応しくないと思った。と言うのも、今春牛の入牧前に刈った草地は比較的ススキの繁茂の程度が抑制されていて、秋になっても白い穂はそれほど生えてこなかった。どうやら、この時季にススキを刈るということは、もしかすれば一生懸命にススキの種撒きをしているのと変わらないかも知れない。
 来春になれば、きょうの草刈りの結果が分かる。春季の草刈りは避けられないだろうが、それでも結果次第では秋の草刈りは控えるべきだということが、きっとハッキリするだろう。
 それにしてもここの牧場も他所の廃止された牧場のように、牛が上がってこなければ早晩ススキの生い茂る草原か、実生から生えた落葉松の林になってしまうだろう。そうなれば、ここの景観も大分変ってしまうというのに・・・、ムーン。

 19日の夜、入笠は激しく雨が降った。ところが北アや中ア、南アや八が岳は雪だったと、里から来た人に教えられた。
 この時季になってもまだ撮影の下見・ロケハンがあって、都会から来たその人は「寒い、寒い」を連発するばかりで、雪を纏った秀麗な富士山を見てもあまり関心を示さなかった。で、少し尖がった。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(37)

2021年10月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

           北原のお師匠(左)と「遠照寺」松井住職
 
 昨日は、開創1200年になる名刹「遠照寺」の住職・松井上人とご子息に当る副住職も来訪し、法華道の一部の草刈りをした。発案したのはご存知北原のお師匠で、師と長女のYさん、孫のMさんも加わり、それに不出来な弟子も参加して総勢6名となった。師は監督役ながら、御所平から峠までを立派に往復した。
 いつのことかは知らないが、何でも御所平峠から御所平へ下る法華道が草に覆われてしまっているのを目にし、以来師はそのことをずっと気にしていたらしい。今や御年90歳を超え、さすがの師も以前のように一人だけでは何ともかなわず、荒れるに任せるしかない山道を思い浮かべては一人悶々としていたらしい。
 しかしそれで終わらぬのが師の恐るべき執念で、古道整備の思い昂じた挙句、ついに畏れ多くも松井上人を口説き落してしまったらしい。なぜ遠照寺であり、松井上人かと言えば、これには若干ながら理由がないわけではない。
 まず、遠照寺は法華道と深い縁のある日蓮宗の古刹である。1472年、身延山久遠寺十三世の日朝上人が布教のため伊那谷に入り、遠照寺は同上人により日蓮宗に改宗した。その折、高座岩にて「七日七夜の題目を唱座」したと「芝平誌」伝えられているが、その高座岩のある場所が遠照寺の飛び地であることを発見したのは、法華道の復活に奮闘していた北原のお師匠である。
 この辺りのことは、この独り言でも触れてある。興味があれば、カテゴリー別「法華道と北原師」を読んでいただきたい。
 あの程度の草刈りなら、かつて師がやっていたように、「歩くよりも速く草を刈る」と大法螺を吹いている弟子が一人でやっても大して手はかからなかっただろう。師の懸念の深さに思い至らなかったわが不徳をここで詫びておくしかないが、まあ師としては、あの法華道を何とか後世に残すために、麓にある日蓮宗系列の寺とその檀徒に託したいという思いがあったのだろうと推測している。昨夜「やっと気が晴れた」と、電話を掛けて来た。

 昨日、5人と一緒に軽トラで第1牧区を通ったら、遠く後立山の峰々が冠雪していた。17日に降った雪で、槍や穂高はまだだった。調べてみたらナント昨年も作業日誌に、18日「北ア、中ア、八が岳初冠雪」とあった。これからの高い山は、悪天になれば中高年には相当の危険が伴うことを承知しておくべきだろう。
 
 その作業日誌には同日「草刈り、調教」ともあり、昨年は残留した2頭の和牛がいた。もう「Autumn Leaves」は歌ってやれないけれど、懐かしく思い出した。本日はこの辺で。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする