
先週の土曜日は気温が上昇し、4月中旬とか地方によっては5月並みの所もあったと聞く。そのお蔭でか、庭の梅の花がほぼ満開になった。これから白い花を咲かせるボケ、まだ土の中に眠っているカタクリ、イカリソウ、ミヤコワスレなどなどと、ろくに手をいれてやらないわが家の草花も咲き出すだろう。
そしてあと1ヶ月もしないうちに、上の仕事が始まる。

こういうことにならねばいいが
この呟きでも「木曾駒」と呼ばず、しばしば「西駒」と独り言ちることがある。あの山は、地元の人にとっては中央アルプスを代表する山で、個人的にも小さいころから慣れ親しみ、登山回数も30回を超える。
しかしこの呼称は謂わば方言のようなもの。全国には駒ケ岳という山は幾つもあり、残念ながら「西駒」では通用しない。「木曾駒」と呼んで初めてそれがどこの駒ケ岳かが分かる。
実は、われわれにはもう一つ身近な駒ケ岳がある。南アルプスの「甲斐駒ヶ岳」である。この山は西駒と区別するため、伊那の人たちはよく「東駒」と呼ぶ。
最近地元の伊那市では、なんと標識、案内板にも甲斐駒の呼称を止めて、「東駒が岳」で統一しようとする動きがあるやに聞いた。
こういうのを「贔屓の引き倒し」と言っていいのではないか。地元以外の多くの人たちにはどこの駒ケ岳か分からないし、当然、反感を持たれる。
「入笠山」という山の名前は、諏訪の人々が名付親でほぼ間違いなく、伊那の一部の人たちが「雨乞い岳」と呼んでいたと古い文献にはあるが、伊那からはよく見えない山である。
仙丈岳はどこよりか伊那から見るのが相応しい、これはそう言っても許されよう。しかし、甲斐駒は伊那からは前衛の山に隠れてしまっていて、入笠山と同じくそれほど目に馴染んできた山とは言いにくい。
それと比べたら、あの堂々たる甲斐駒の山容を間近にするのは長野県の一部と、多くは山梨、甲斐の人たちである。「おらが山」と思っても仕方あるまい。
山名ばかりか、伊那谷のことを「伊那バレー」と呼びたがる人もいるらしいが、いい加減にしろと言いたい。valleyではなく、スポーツのバレーと間違えられる。フェスタ、コラボ、伊那を「イーナ」と言ったりするのと同様、親しみも品もない。誰がこういうことを言い出すのか。
本日はこの辺で。