岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★400点の壁を越えた生徒たち

2022年12月04日 19時51分10秒 | 冬期講習

★冬期講習ー3

 昨日3日(土)は受験生の「志望校判定模試」でした。中学受験、高校受験対象者でどうしても受験できない方は一週間前から代日で受験をしてもらいました。このテストは年に3回実施してますが費用の半額はDOZANgroupで負担をしています。その代わりというのもなんですが小学生も中学生も全員が受勲をして頂く条件にしています。この生徒たちが高校になった時やはり志望校が1年生から判定が出来るように「全国高校共通テスト」をやはり半額で実施し、全員を対象としています。志望校は5校まで高校は6校まで判定します。難易度は岐阜新聞テストと比較して少し難しいと思います。未習部分もありますが入試予想問題ですので選択問題となっています。基本的に出来る子は3年生の問題は11月末には終えています。そういう指導をしていますがかなり英語の長文や数学の中点連結などありますがそれほど難しく考えることはありません。要は如何に効率よく努力するかです。

 今回は「400点の壁を越えた生徒たち」というタイトルで進めていきたいと思います。初めて400点に乗ったと思えば次には割り込む、そう言う流れの子が多いのですが非常に共通したところがあります。400点を越えれない方と400点を越える方の違いは一言で「何故?」という問いかけだけです。その問いかけは講師の先生に対してもいいし、自分自身に対しても構いません。「何故?」そうなるのか考えること「なるほど・・・」と納得してしまうこの差であります。今日は400点を越えてきた生徒たちはどのようにして越えて目標の高校、大学に行ったのかを思い出しながら描いてみたいと思います。

 一番記憶に残っている子は入塾してきたMさん、入会時中学1年生でした。女子中学生でしたが某私立高校の看護科に単願で入りたいと云って来ました。成績は200点台前半でした。この子が最終的には高知大学医学部に入るのです。それは講師の方もかなり有名な先生でしたが性格が非常に素直でしたし言われたようにノートの取り方質問の仕方全てに合格でした。成績は見る見るうちに上昇し高校受験をするときには岐阜新聞テストで400点を越えていました。驚くべき伸長率でしたが何がいいかと言っても本人の努力はもちろんの事性格が非常に素直でした。それが最大の武器であったような気がします。宿題は忘れたことはなかったです。岐阜北高校を進めましたが結局は岐山高校の理数科を選択し高知大学医学部まで合格をしました。
 また京都大学医学部に現役で入ったS君、この方は高校から入ってきました。弟は中学時代に籍を置いて希望の高校に入学したのですが入れ替わりに彼が入塾してきました。S君は日本で一番難しい物理の問題をしたいと言って来ました。本部のIさんとも相談し一番難しいのはほぼ専門書になるので二番目に難しい問題をしました。医大生もたじたじでしたが現役で京都大学医学部に現役で入りました。同じようなパターンでは微分積分が出来ないと泣きながら入塾したNさん、その単元の処を三カ月やりましたがその後連絡がなく心配していましたが一橋大学に入れたと言ってお礼に来てくれました。何処の塾にいていたのかと聞くとどこも行っていなかったとのことで凄く彼女には感謝されました。最初の二人は岐山高校で、後のNさんは関高校でした。
 もう一人ご紹介したいK君がいます。この生徒は元々岐阜高校、岐阜北高校を目指していましたが高校は岐山高校になりました。そこまで落とすことはなかったのですが本人と相談のうえで落としましたが陸上部の部長をしていました。マネージャーは何故か最初にお話ししたMさんでした。彼は中学から大学受験までいましたが中学の時数学がとても得意でしたが高校に入ると急に落ち込みました。テストは大阪大学はB判定でしたので結局はそうするのかと思いましたが彼の夢は外交官。東京外大でした。そこに行くには問題は数学の点数を上げるしかありませんでした。何度試験をしても数学の点数が上がりませんでした。中学の時あれ程出来たのに高校になって影が見え始めたのです。医学部のY君がつきっきりで数学を指導していました。英語は河合塾の1000文字を何とかこなしていました。結局彼は数学が平均点をセンター試験で撮ることが出来ました。その結果初めて東京外大に合格することが出来たのです。
 私はこの知らせを聞いた時号泣してお母さんとお話さえできない状況でした。それは何故私が号泣したかと言いますと当時中学から多くの継続し高校生に延長されたのですがみんな高校三年生になって辞めていきました。このことが悔しくて私は小学生よりも高校生に力を入れる原因になったのです。
 つまり評価は他人がするのですから生徒数が少ない、合格ランクが低い等々は他人の方が塾をそう評価しているのです。他人の所為にしても何の足しにもならないです。当時沢山いた高校三年生は併塾をしたり辞めたりで激減しましたが彼は部活から自転車で帰り必死でやっていました。それまで名古屋大学や大阪大学、東北大学など旧帝国大学に入れた実績はたくさんありましたがそれでも私にしては「俺の塾では通用しないのか・・・」そういう考えが強かったです。それが見事に合格してくれましたのでその背景を思い出し恥ずかしながら号泣してしまい話になりませんでした。私が高校生に力を入れ始めたのはそういう背景があったのです。

 岐山高校の三人と関高校の四人を紹介させていただきました。この中で京都大学医学部のS君、一橋大学のNさんは中学時代は私の塾ではありませんでしたが藁をもつかむ気持ちだったと後日言ってくれました。ここで問題なのは中学から在籍していたMさんやK君のことです。二人とも中学時代には400点は届かなかったです。しかしK君は生徒会長もしていましたし人望はありました。しかし人望と成績は何の関係もないのです。ただ共通していることは非常に性格がよかったこと、素直であったことです。「何故?」解答を見て間違いにの説明を講師の方が説明をしようとすると遮るほどでした。つまり簡単に答えを欲しがらなくなったのです。最近の生徒はすぐに答えを欲しがります。でもこれが禍の元なのです。
勉強の仕方は昔も現在も変わりません。いくら新課程になってもすることは一緒です。
 私の塾は「ヒント誘導式」を徹底的に実践している塾でもあります。立て板に水を得た魚のように喋る人もいればあまり喋らない人も見えます。指導は極力シンプルに指導するようにさせています。出来の悪い講師程お喋りが多く的外れな気がいたします。しかし、現実の子供は答えが欲しいですから早く教えてくれる講師を好みます。私は「号泣」したあの日のことを忘れることは出来ないです。このことはブログで初めて告白しました。

 たかが塾のオーナー、そう言ってしまえばそれまでですがそれだけに私にも意地がありました。ある日その頃一緒にいた生徒とアルバイトの某店で出会いました。彼のことに驚いていましたが私は心の中で「ざまあみろ!」という変な優越感を感じたのです。400点届かなかった彼女や彼女が目的を達してくれた。私どもの塾を見捨てた子が三流の大学に行った。それだけでも痛快な気持ちでした。反面錆寂しくも当然ありました。
 最近ではあまりそう言うことは無くなりましたがただ子供の夢は出来るだけ優先してあげようと思っています。そこで致し方なく他塾に行かれる人も見えました。残念ですが心は私どもの塾に置いてくれていると思います。
 今日は400点の壁を越えた生徒の話をしましたがやはり何といっても努力に勝るものはありません。私どもの力はそれほど大きなものではないですが「何故?」という言葉を20数年も問い続けてきた結果です。これからも続きます。終着駅はないのですから。

<今日の言葉>
「他人もまた同じ悲しみに悩んでいると思えば、心の傷は癒されなくとも気は楽になる」
              シェイクスピア

「詩集」永井龍雲(深川麻衣)

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<詳細>
http://mm-homepage.com/dozan/

長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170


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