チェホフの写真が載っている。
チェホフさんて こういうお顔だったのね。
チェホフも 読んだことないなぁ…。
映画「桜の園」を見たことはあったな。
あ、「櫻の…」ですね。
「12人の優しい日本人」の監督つながりで見たのだった。
「12人の…」は、借りてきたビデオを何度再生したことか。
陪審員一人ひとりの台詞を
もしかしたら全部(まさか!でももしや?)覚えてしまったのでは と思えるほど
気に入ってしまった。
陪審員10号には 何回見ても参ります。
裁判員制度なんてなーんにも知らずに見ていたので
笑えたのかなあ。
今初めて見たとすると どんな印象になっていたのだろう。
チェホフの「シベリアの旅」を思い、
この回の著者はイルクーツクにやってくる。
当時(文中に 十月革命から47年たった とあるので、1964年頃か)シベリアで
ふつうの外国人観光客に開放されている唯一の地域が、
イルクーツクだった。
その ソビエト国営旅行公社・イルクーツク地区主任の
クセーニャ・チェレンチェーブナは、灰色の目を持ち、
お決まりの観光コースを見終わった後、
「タイガーに行きましょうか」と著者一行を密林帯(タイガー)に誘った。
灰色の目のクセーニャ・チェレンチェーブナを文面から思い描いていたら、
クラムスコイの「忘れえぬ人」が目の前に ぱあっと現れ出た。
「忘れえぬ人」という題しか覚えていなかったので検索してみると、
日本には幾度もやってきているようだ。
私の印象に残っているのは 30年ほど前の展覧会の時のことだと思う。
ニュースなどで紹介される時、この「忘れえぬ人」が何度も映し出されていた。
私の親の世代にとって、
ロシア文化はとても親しみ深いものだったように受け取っている。
「忘れえぬ人」をテレビで見るだけでも、父はご満悦だった。
「でこちゃん(高峰秀子)に似ている」のだそうだ。
ロシア民謡を歌い、ロシア文学を読み、オーチン・ハラショー!と気取り、
…昭和一桁世代の濃密な文化を そこに深く感じてしまう。
この回の著者はその後、
全長ざっと一万キロのシベリア鉄道「西行き」急行に乗ってモスクワに向かうが、
ここイルクーツクの
クセーニャ・チェレンチェーブナとの文面に
私は 何か微熱のようなものを感じてしまった。
映像として目の前にあるものが
それぞれに
まなざしの先にあるものを一目ではとらえきれない
チェホフの写真であり
「忘れえぬ人」であるせいか。
勝手なる映像化なのでありました。
[2012/10/18 編集]