「特攻の思想 大西瀧治郎伝」(文藝春秋)によると、終戦の昭和20年8月15日の夜、大西中将は矢次一夫の家を訪れている。徹底抗戦を叫んで万策尽きたあとである。
矢次は大西中将の顔を見ると「この男死ぬ気だな」と直感した。「君のような阿呆は、ここらで腹を切ろうなんて考えているのだろうが、そんなことをすれば慌てものだと笑われるだけだぜ」とピシャリと言った。
すると大西中将はぎらりと目を光らせ、抑揚のない声で言った。「腹を切ったら阿呆か」
しかし、次の瞬間、彼はどたんと立ち上がると、すごい力で矢次の身体にむしゃぶりついた。
「貴様ぁ、泣いたことはないのかぁ」と叫ぶと、大西中将は声を放って泣いた。泣くというより吠える状態に近かった。背中も脚もぶるぶる震わせ、全身から涙を放つ有様だった。
その夜大西中将は酒の一升瓶をもって矢次の家を訪れ、飲んだ。「前途有為な青年をおおぜい死なせた。俺は地獄に落ちるべきだが、地獄の方で入れてくれんだろう」と言った。
矢次はなんとかして大西中将の自決を思いととどまらせようと考えた。そこで、金森徳次郎や矢部貞治らがつくった「敗戦後の日本」という文書を見せ「これからのアジアは政治的難問が山積だ」と言った。
すると大西中将は「このとおりになってくれれば、負けてもまあまあだな」と薄い笑いを浮かべた。そのあと大西中将は酔っ払った。副官を迎えにこさせるほどだった。
帰りに大西中将はくわえ煙草をしながら、歩いては笑い、笑ってはよろめきつつ、闇の中に消えていった。
「特攻の思想 大西瀧治郎伝」(文藝春秋)によると、大西瀧治郎海軍中将が海軍軍令部次長の官舎で自刃したのは昭和20年8月16日午前2時45分である。
生命力の強い男でなお数時間生きていた。急報によって多田武雄海軍次官が軍医を連れて駆けつけ、前田副官と児玉誉士夫も現場に急行した。
腸が露出しもはや助かる見込みは無かった。大西は軍医に「生きるようにはしてくれるな」と言った。
児玉誉士夫には「貴様がくれた刀が切れぬものだから、また貴様とあえた。おい、すべてはその遺書に書いてある。だが特別に貴様に頼みたいことがある。厚木の海軍を抑えてくれ。小園大佐に軽挙妄動をつつしめと、大西がそう言ったと伝えてくれ」
その言葉に児玉は頭が熱くなって、部屋にあったもう一本の刀を抜くと、心臓にあてがった。
そのとき「バカモン」と大西は強い声を出した。「貴様が死んでクソの役に立つか。若いモンは生きるんだよ。生きて日本をつくるんだよ」
「閣下、奥さんがくるまで待ってください。私がお迎えに参ります」
すると大西は「バカ。軍人が腹を切って、女房が来るまで死ぬのを待つなんて、そんなアホウなことができるか。それより、あの句はどうかね」
色紙がかかっていた。「すがすがし暴風のあと月清し」
「おやじの句としては、出来のいいほうかね」「そうかな」
児玉は部屋を出て海軍省の車に飛び乗った。しかし、児玉が大西の生きている姿を見たのは、それが最後だった。
遺書は二通あった。一つは妻の淑恵のものだった。夫婦には子どもはなかった。もう一通は、有名な「特攻隊の英霊に曰す」ではじまるものであった。
(「大西瀧治郎海軍中将」は今回で終わりです。次回からは「花谷正陸軍中将」が始まります)。
矢次は大西中将の顔を見ると「この男死ぬ気だな」と直感した。「君のような阿呆は、ここらで腹を切ろうなんて考えているのだろうが、そんなことをすれば慌てものだと笑われるだけだぜ」とピシャリと言った。
すると大西中将はぎらりと目を光らせ、抑揚のない声で言った。「腹を切ったら阿呆か」
しかし、次の瞬間、彼はどたんと立ち上がると、すごい力で矢次の身体にむしゃぶりついた。
「貴様ぁ、泣いたことはないのかぁ」と叫ぶと、大西中将は声を放って泣いた。泣くというより吠える状態に近かった。背中も脚もぶるぶる震わせ、全身から涙を放つ有様だった。
その夜大西中将は酒の一升瓶をもって矢次の家を訪れ、飲んだ。「前途有為な青年をおおぜい死なせた。俺は地獄に落ちるべきだが、地獄の方で入れてくれんだろう」と言った。
矢次はなんとかして大西中将の自決を思いととどまらせようと考えた。そこで、金森徳次郎や矢部貞治らがつくった「敗戦後の日本」という文書を見せ「これからのアジアは政治的難問が山積だ」と言った。
すると大西中将は「このとおりになってくれれば、負けてもまあまあだな」と薄い笑いを浮かべた。そのあと大西中将は酔っ払った。副官を迎えにこさせるほどだった。
帰りに大西中将はくわえ煙草をしながら、歩いては笑い、笑ってはよろめきつつ、闇の中に消えていった。
「特攻の思想 大西瀧治郎伝」(文藝春秋)によると、大西瀧治郎海軍中将が海軍軍令部次長の官舎で自刃したのは昭和20年8月16日午前2時45分である。
生命力の強い男でなお数時間生きていた。急報によって多田武雄海軍次官が軍医を連れて駆けつけ、前田副官と児玉誉士夫も現場に急行した。
腸が露出しもはや助かる見込みは無かった。大西は軍医に「生きるようにはしてくれるな」と言った。
児玉誉士夫には「貴様がくれた刀が切れぬものだから、また貴様とあえた。おい、すべてはその遺書に書いてある。だが特別に貴様に頼みたいことがある。厚木の海軍を抑えてくれ。小園大佐に軽挙妄動をつつしめと、大西がそう言ったと伝えてくれ」
その言葉に児玉は頭が熱くなって、部屋にあったもう一本の刀を抜くと、心臓にあてがった。
そのとき「バカモン」と大西は強い声を出した。「貴様が死んでクソの役に立つか。若いモンは生きるんだよ。生きて日本をつくるんだよ」
「閣下、奥さんがくるまで待ってください。私がお迎えに参ります」
すると大西は「バカ。軍人が腹を切って、女房が来るまで死ぬのを待つなんて、そんなアホウなことができるか。それより、あの句はどうかね」
色紙がかかっていた。「すがすがし暴風のあと月清し」
「おやじの句としては、出来のいいほうかね」「そうかな」
児玉は部屋を出て海軍省の車に飛び乗った。しかし、児玉が大西の生きている姿を見たのは、それが最後だった。
遺書は二通あった。一つは妻の淑恵のものだった。夫婦には子どもはなかった。もう一通は、有名な「特攻隊の英霊に曰す」ではじまるものであった。
(「大西瀧治郎海軍中将」は今回で終わりです。次回からは「花谷正陸軍中将」が始まります)。