明治九年二月二十四日の乃木希典の日記には、玉木正諠ら数人が訪ねてきたことが記してある。
玉木正諠は、西郷隆盛が前原一誠に宛てた手紙を乃木希典に見せた。そして、西郷先生も同じ考えだからと、兄を説得しようとした。
だが、公私の別に厳しい乃木少佐は、逆に前原一誠の企ての非をあげて、反省を促した。兄弟は激論を交わした。その後も、実弟・玉木正諠は、兄・乃木希典少佐の家を再三にわたり訪れている。
乃木希典の明治九年九月六日の日記に、「玉木マタ来ル。小酌。談ジテ夜ニ入ル。」と記してある。このとき、玉木正諠は二の丸にあった連隊長官舎に、乃木希典を訪ね三日間滞在している。
これが、兄弟の最後の別れとなった。兄二十七歳、弟二十三歳だった。
「乃木大将実伝」(碧瑠璃園・隆文館)によると、希典、正諠の兄弟の最後の別れの日の、具体的な激論のやりとりが、次のように記してある(要旨)。なお、ここでは、玉木正諠を幼名の真人(まこと)で記している。
小倉の歩兵第一四連隊長心得・乃木少佐の居宅に玉木真人(正諠)が到着する前に、前原一誠の使者が乃木少佐を訪れた。
使者は「希典さん、連隊の銃を百挺ほどお貸しください。前原先生が必要とされているのです」と言った。乃木少佐は黙って聞いていた。
さらに「この願いを聞いていただけないでしょうか。人数はかなりいるのですが、悲しいことに肝心の武器がないのです」とも言った。この、使者の口上に、反逆の意味が現れていた。
乃木少佐はしばらくして、「そうじゃのう、百挺でよいかのう」と、重い口調で尋ねた。
使者は「多いのはいくら多くてもよいのです。けれども、そんなに沢山お願いするのも如何ですから、差し詰め百挺だけ借用したいと思います」と答えた。
乃木少佐は「百挺なんて小さいことを言うな。要用(いりよう)とあれば連隊に備え付けてある分を、悉皆(全部)貸そう」と言った。
使者は「あなた」と、息をはずませて、「実際ですか、実際お貸し下さるのですか」と問うた。
乃木少佐は「いくらでも要用だけ以って帰りなさい。然し、希典の目の黒い間はいけんぞ」と答えた。
乃木少佐の最後の一言は、百千の雷霆(いかずち)が一時に落ちた様であった。使者は要領を得ずに立ち帰った。
その後に、弟の玉木真人が来た。「弟の玉木正諠さんがお出でになりました」と取次ぎに出た従卒が居間にいる乃木少佐に伺った。
乃木少佐は「真(しん)が来たか、こっちへ通せ」と従卒に命じた。当時乃木少佐は真人のことを真と呼んでいた。乃木少佐だけでなく、萩の人は多く玉木真と呼んでいた。
連隊の書類を調べながら乃木少佐は、用向きは大体察していたが、入ってきた真人に「何の用で来た」と尋ねた。
真人は「ご相談があって参りました。只今東京からの帰り途です。お父様もご機嫌よく、お母様もお変わりございませんでした」と挨拶した。
乃木少佐は「相談とは何か」と問うた。
真人は「前原先生の御命令です。兄さんの心事を承って、秘密のご相談を願おうと思うのです」と力強い声で言った。
乃木少佐は「そうか」と言ったまま、書類から目を離さずにいた。十分ほどして、「ちょっと待て、公用を果たした後、応問しよう」と言って、書類を調べ終わって、次の間に立って行ったが、程もなく元の座に戻って来た。
何事にも用心深い乃木少佐は、真人がどんな事を語るかも知れぬと、後の嫌疑を避ける為に、兄弟間の応答を聴かすべく、部下の尉官、宗野、土屋の両人を次の間に潜ませたのだった。
前原一誠が反旗を翻そうとする形勢があるところへ、その同志たる真人が自分の官舎に来たとあっては、世間からどの様な疑いを受けるかも知れぬと乃木少佐は思ったのだ。
乃木少佐は「さあ聞こう」と真人の前に座った。
玉木正諠は、西郷隆盛が前原一誠に宛てた手紙を乃木希典に見せた。そして、西郷先生も同じ考えだからと、兄を説得しようとした。
だが、公私の別に厳しい乃木少佐は、逆に前原一誠の企ての非をあげて、反省を促した。兄弟は激論を交わした。その後も、実弟・玉木正諠は、兄・乃木希典少佐の家を再三にわたり訪れている。
乃木希典の明治九年九月六日の日記に、「玉木マタ来ル。小酌。談ジテ夜ニ入ル。」と記してある。このとき、玉木正諠は二の丸にあった連隊長官舎に、乃木希典を訪ね三日間滞在している。
これが、兄弟の最後の別れとなった。兄二十七歳、弟二十三歳だった。
「乃木大将実伝」(碧瑠璃園・隆文館)によると、希典、正諠の兄弟の最後の別れの日の、具体的な激論のやりとりが、次のように記してある(要旨)。なお、ここでは、玉木正諠を幼名の真人(まこと)で記している。
小倉の歩兵第一四連隊長心得・乃木少佐の居宅に玉木真人(正諠)が到着する前に、前原一誠の使者が乃木少佐を訪れた。
使者は「希典さん、連隊の銃を百挺ほどお貸しください。前原先生が必要とされているのです」と言った。乃木少佐は黙って聞いていた。
さらに「この願いを聞いていただけないでしょうか。人数はかなりいるのですが、悲しいことに肝心の武器がないのです」とも言った。この、使者の口上に、反逆の意味が現れていた。
乃木少佐はしばらくして、「そうじゃのう、百挺でよいかのう」と、重い口調で尋ねた。
使者は「多いのはいくら多くてもよいのです。けれども、そんなに沢山お願いするのも如何ですから、差し詰め百挺だけ借用したいと思います」と答えた。
乃木少佐は「百挺なんて小さいことを言うな。要用(いりよう)とあれば連隊に備え付けてある分を、悉皆(全部)貸そう」と言った。
使者は「あなた」と、息をはずませて、「実際ですか、実際お貸し下さるのですか」と問うた。
乃木少佐は「いくらでも要用だけ以って帰りなさい。然し、希典の目の黒い間はいけんぞ」と答えた。
乃木少佐の最後の一言は、百千の雷霆(いかずち)が一時に落ちた様であった。使者は要領を得ずに立ち帰った。
その後に、弟の玉木真人が来た。「弟の玉木正諠さんがお出でになりました」と取次ぎに出た従卒が居間にいる乃木少佐に伺った。
乃木少佐は「真(しん)が来たか、こっちへ通せ」と従卒に命じた。当時乃木少佐は真人のことを真と呼んでいた。乃木少佐だけでなく、萩の人は多く玉木真と呼んでいた。
連隊の書類を調べながら乃木少佐は、用向きは大体察していたが、入ってきた真人に「何の用で来た」と尋ねた。
真人は「ご相談があって参りました。只今東京からの帰り途です。お父様もご機嫌よく、お母様もお変わりございませんでした」と挨拶した。
乃木少佐は「相談とは何か」と問うた。
真人は「前原先生の御命令です。兄さんの心事を承って、秘密のご相談を願おうと思うのです」と力強い声で言った。
乃木少佐は「そうか」と言ったまま、書類から目を離さずにいた。十分ほどして、「ちょっと待て、公用を果たした後、応問しよう」と言って、書類を調べ終わって、次の間に立って行ったが、程もなく元の座に戻って来た。
何事にも用心深い乃木少佐は、真人がどんな事を語るかも知れぬと、後の嫌疑を避ける為に、兄弟間の応答を聴かすべく、部下の尉官、宗野、土屋の両人を次の間に潜ませたのだった。
前原一誠が反旗を翻そうとする形勢があるところへ、その同志たる真人が自分の官舎に来たとあっては、世間からどの様な疑いを受けるかも知れぬと乃木少佐は思ったのだ。
乃木少佐は「さあ聞こう」と真人の前に座った。