特に、軍用船舶の割当は、陸海軍両統帥部長を含めた連絡会議で決定するというのが、開戦以来の厳重な申し合わせだった。それが無視されて、ただ閣議一存で、陸軍統帥部の要望が拒否されたことには断じて承服できないと田中作戦部長は申し入れた。
すると鈴木総裁は「いや、あれは決定ではない。閣議の一案として、参謀次長に内報したにすぎない。もちろん連絡会議にかける」と釈明した。
田中作戦部長は「企画院総裁として、陸軍統帥部の要望を容れるつもりかどうか」と問うたが、「考慮しよう」という言葉のみだった。
これで大体の内閣の態度が分かったので、田中作戦部長は田辺次長と協議して、とりあえず佐藤賢了軍務局長(陸士二九・陸大三七)の来訪を求めて事情を質すことにした。
昭和十七年十二月五日午後八時頃、佐藤軍務局長が参謀本部に来て閣議の内容を報告した。報告を受けた田中作戦部長は「何、十八万トンの解傭を陸軍に要求するとは、統帥干犯だ!」と怒鳴りつけた。
東條首相も、佐藤軍務局長ら陸軍省も、ガダルカナル島から撤退することを主張しているので、輸送のための陸軍船舶を増徴することには反対だったのだ。
田中作戦部長と佐藤軍務局長は、その場で議論になり、興奮した田中作戦部長が佐藤軍務局長を、いきなり殴った。
すると佐藤軍務局長は「殴ったな!」と、田中作戦部長を殴り返した。田中作戦部長は士官学校の二期先輩だった。
その場にいた田辺次長が「冷静になって、話し合うのだ」と中に割って入り、仲裁したが、「あなたは黙っておれ」と押し返され、田辺次長の参謀飾緒がちぎれ飛んだ。
ほかの部員が田中作戦部長と佐藤軍務局長の二人を引き離したので、けんかはようやく収まった。
このあと、田中作戦部長は、官邸に木村兵太郎陸軍次官(陸士二〇・陸大二八)を訪ねて、ガ島作戦の事情を説明して、船舶の増徴を懇請したが、全く暖簾に腕押しだった。
田中作戦部長はこの夜遅く帰宅したが、痛憤の一夜を明かした。「こんな無責任な、祖国の運命、戦争の行く末に鈍感な当局には、一撃を加えておく外ない」と決意した。
十二月六日夕刻、田中作戦部長のところへ、戦争指導課の種村佐孝参謀(陸士三七・陸大四七)が来て「今夜東條陸軍大臣から統帥部に対して、船舶増徴について申し渡しをするとのことです。ついてはその前に参謀本部で部長会議を開きますのでご出席ください」と告げた。
田中作戦部長は種村参謀と参謀本部へ向う車の中で「そうか、東條総理は、いよいよ連絡会議にかけるという協定を無視して、閣議決定の船舶配分案を、押し付けるつもりだな。では昨夜の決定どおりにやる外ない」と思った。
市ヶ谷の参謀本部から、田中作戦部長は田辺次長と総理官邸に向った。陸軍省からは、木村次官、佐藤軍務局長、富永恭次人事局長(陸士二五・陸大三五)が来ていた。
東條陸軍大臣が会見するというので、田辺次長が二階に上がっていったが、「作戦部長はしばらく下で待っていてくれ」とのことだった。
それから三十分後、二階から降りてきた田辺次長の姿は、全く悄然としていた。田中作戦部長が「どうしました」と訊くと「統帥部の要求とはかけ離れている」とのことだった。
田中作戦部長が「抗議しましたか」と言うと、田辺次長は「いや、お話にもならんから黙って下がってきた」と答えた。
田中作戦部長は「それじゃ困るではないですか、ガ島をどうするのです。よし、私が話をつけてきましょう」と言って、階段を昇っていった。田辺次長は困惑の色を浮かべたが、田中作戦部長の後に続いて来た。
田中作戦部長は、ノックの応答も待たずにドアを開けた。室内の愉快げな高笑いが、急に途絶えたように感じられた。「何が愉快なのか、桜かざした長袖者が」と瞬間、癪に障った。
室内には東條大臣、木村次官、佐藤軍務局長、富永人事局長が、長方形の大テーブルを囲んでいた。さっき田辺次長に申し渡した時もこの配置だったろう。
統帥部を抑えつけた満足を、爆笑で笑っていたのだろうと田中作戦部長は苦々しく思った。
突然入ってきた者に、一座は急にキットなった様子だったが、中作戦部長は、かまわず、東條大臣のすぐそばの席をとった。それは不敬な態度と、感じさせるものだった。
田中作戦部長は統帥部の作戦上の要望と現地の窮状から、船舶増徴について再考されたしと懇請を続けた。だが東條陸軍大臣は冷然として物資動員上の理由から、一々拒否し続けた。
田辺次長は末座を占めていたが、一言も発しなかった。
すると鈴木総裁は「いや、あれは決定ではない。閣議の一案として、参謀次長に内報したにすぎない。もちろん連絡会議にかける」と釈明した。
田中作戦部長は「企画院総裁として、陸軍統帥部の要望を容れるつもりかどうか」と問うたが、「考慮しよう」という言葉のみだった。
これで大体の内閣の態度が分かったので、田中作戦部長は田辺次長と協議して、とりあえず佐藤賢了軍務局長(陸士二九・陸大三七)の来訪を求めて事情を質すことにした。
昭和十七年十二月五日午後八時頃、佐藤軍務局長が参謀本部に来て閣議の内容を報告した。報告を受けた田中作戦部長は「何、十八万トンの解傭を陸軍に要求するとは、統帥干犯だ!」と怒鳴りつけた。
東條首相も、佐藤軍務局長ら陸軍省も、ガダルカナル島から撤退することを主張しているので、輸送のための陸軍船舶を増徴することには反対だったのだ。
田中作戦部長と佐藤軍務局長は、その場で議論になり、興奮した田中作戦部長が佐藤軍務局長を、いきなり殴った。
すると佐藤軍務局長は「殴ったな!」と、田中作戦部長を殴り返した。田中作戦部長は士官学校の二期先輩だった。
その場にいた田辺次長が「冷静になって、話し合うのだ」と中に割って入り、仲裁したが、「あなたは黙っておれ」と押し返され、田辺次長の参謀飾緒がちぎれ飛んだ。
ほかの部員が田中作戦部長と佐藤軍務局長の二人を引き離したので、けんかはようやく収まった。
このあと、田中作戦部長は、官邸に木村兵太郎陸軍次官(陸士二〇・陸大二八)を訪ねて、ガ島作戦の事情を説明して、船舶の増徴を懇請したが、全く暖簾に腕押しだった。
田中作戦部長はこの夜遅く帰宅したが、痛憤の一夜を明かした。「こんな無責任な、祖国の運命、戦争の行く末に鈍感な当局には、一撃を加えておく外ない」と決意した。
十二月六日夕刻、田中作戦部長のところへ、戦争指導課の種村佐孝参謀(陸士三七・陸大四七)が来て「今夜東條陸軍大臣から統帥部に対して、船舶増徴について申し渡しをするとのことです。ついてはその前に参謀本部で部長会議を開きますのでご出席ください」と告げた。
田中作戦部長は種村参謀と参謀本部へ向う車の中で「そうか、東條総理は、いよいよ連絡会議にかけるという協定を無視して、閣議決定の船舶配分案を、押し付けるつもりだな。では昨夜の決定どおりにやる外ない」と思った。
市ヶ谷の参謀本部から、田中作戦部長は田辺次長と総理官邸に向った。陸軍省からは、木村次官、佐藤軍務局長、富永恭次人事局長(陸士二五・陸大三五)が来ていた。
東條陸軍大臣が会見するというので、田辺次長が二階に上がっていったが、「作戦部長はしばらく下で待っていてくれ」とのことだった。
それから三十分後、二階から降りてきた田辺次長の姿は、全く悄然としていた。田中作戦部長が「どうしました」と訊くと「統帥部の要求とはかけ離れている」とのことだった。
田中作戦部長が「抗議しましたか」と言うと、田辺次長は「いや、お話にもならんから黙って下がってきた」と答えた。
田中作戦部長は「それじゃ困るではないですか、ガ島をどうするのです。よし、私が話をつけてきましょう」と言って、階段を昇っていった。田辺次長は困惑の色を浮かべたが、田中作戦部長の後に続いて来た。
田中作戦部長は、ノックの応答も待たずにドアを開けた。室内の愉快げな高笑いが、急に途絶えたように感じられた。「何が愉快なのか、桜かざした長袖者が」と瞬間、癪に障った。
室内には東條大臣、木村次官、佐藤軍務局長、富永人事局長が、長方形の大テーブルを囲んでいた。さっき田辺次長に申し渡した時もこの配置だったろう。
統帥部を抑えつけた満足を、爆笑で笑っていたのだろうと田中作戦部長は苦々しく思った。
突然入ってきた者に、一座は急にキットなった様子だったが、中作戦部長は、かまわず、東條大臣のすぐそばの席をとった。それは不敬な態度と、感じさせるものだった。
田中作戦部長は統帥部の作戦上の要望と現地の窮状から、船舶増徴について再考されたしと懇請を続けた。だが東條陸軍大臣は冷然として物資動員上の理由から、一々拒否し続けた。
田辺次長は末座を占めていたが、一言も発しなかった。