陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

257.山口多聞海軍中将(17)「南雲長官では駄目だ」と山口少将と宇垣少将の意見は一致した

2011年02月25日 | 山口多聞海軍中将
 山口少将は「宇垣、お前は一体どうなんだ」と聞きたかったが、抑えた。人の噂では、連合艦隊司令部では参謀たちが山本長官と直結していて、宇垣参謀長は浮き上がっているということを言う者もいたからだ。宇垣の話し方も明らかに参謀たちに対して不満気であった。

 この日、宇垣少将は日記「戦藻録」に「十二月三十一日、水曜日、曇り。十一時半頃、山口第二航空戦隊司令官打ち合わせのため来艦、大いに元気なる顔を見る。誠に嬉し」と記している。さらに後日次の様に書いている。

 「山口第二航空艦隊司令官は常に機動部隊として活躍したが、第一航空艦隊の思想に飽き足らず、作戦実施中もしばしば意見具申をした事実がある」

 「計画以外に妙機をとらえて戦果の拡大を図り、変化に即応することが皆無だと余らに三回、語った。彼の言うことは、おおむね至当で余と考えを一にしており、今後も大いに意見を具申すべきだと告げた」

 「艦隊司令部は誰が握っているのだと聞くと、『長官は一言も言わぬ。参謀長、先任参謀、どちらは、どちらか知らぬが、億劫者ぞろいだ』と答えた。今後、千変万化の海洋作戦で、はたしてその任に堪えられるや否やと、余らは深く心憂した」

 「南雲長官では駄目だ」と山口少将と宇垣少将の意見は一致した。だが、山本司令長官は南雲長官を代えることはなかった。

 新たな作戦が発動された。南雲機動部隊は二つに分かれ、「赤城」「加賀」「翔鶴」「瑞鶴」で第一航空艦隊を編成、フィリピン、蘭印、ニューギニア方面の敵に向かう。

 山口少将の第二航空戦隊は、各基地から来た飛行機を収容し、南方に運び、陸軍の上陸作戦の支援を目的として二月に入ってから南雲機動部隊とパラオで合流するというものだった。

 山口少将の第二航空戦隊、旗艦「蒼龍」、「飛龍」は昭和十七年一月十七日にパラオ港に入った。二十一日に出港、ミンダナオ島のダバオに向かいアンボンの港湾施設を爆撃、一月末にパラオに戻った。

 やがて南雲機動部隊が入港し、オーストラリア北部最大の軍港、ポートダーウィンへの攻撃が決まった。そこへ、空母「翔鶴」と「瑞鶴」の帰国を求める電報が入り、二月上旬内地に帰った。米機動部隊の襲来に備えての待機ということだった。

 山口少将は疑問を感じ、「それなら機動部隊を上げて米機動部隊にぶつかるべきだ」と第一航空艦隊の参謀たちに言った。

 だが、参謀たちは「それは山本さんが決めたことですから」と反応はなかった。

 二月十九日、ポートダーウィンへの攻撃が開始された。淵田美津雄中佐(海兵五二・海大三六)率いる八〇〇キロ爆弾を抱いた艦攻八一機、「蒼龍」飛行隊長・江草隆繁少佐(海兵五八)率いる二五〇キロ爆弾を抱いた艦爆七一機、「赤城」飛行隊長・板谷茂少佐(海兵五七首席)率いる制空隊が出撃した。

 海軍兵学校を首席で卒業した板谷茂少佐は後に昭和十九年七月二十四日、アリューシャン列島の千島上空を九六式陸上攻撃機で移動中、味方陸軍記の誤射で撃墜され惜しくも戦死した。

 ちなみに板谷茂少佐の弟、板谷隆一少佐(海兵六〇恩賜)は生き残り、戦後海上自衛隊に入隊、海将に昇進し第七代海上幕僚長、第五代統合幕僚会議議長を歴任している。

 ポートダーウィンへの攻撃については、当初雷撃の話もあったが、山口少将は「さほどの軍港でもあるまいし貨物船を雷撃して何になる。雷撃は敵艦隊と決まっておるではないか」と憮然とした顔で反対した。

 山口少将は一機たりとも犠牲は出したくないと思っていた。攻撃の戦果は、駆逐艦、商船合わせて数隻の撃沈と十機たらずの敵戦闘機の撃墜だった。

 こちらは二機を失った。山口少将は割に合わない感じだったが、オーストラリアに日本強しと思わせる上では効果があった。

 次はジャワ沖掃討作戦だった。南雲機動部隊は敵を求めて進撃したが、駆逐艦一隻と商船を沈めただけで、さほどの戦果はなかった。

 飛行隊総指揮官の淵田美津雄中佐は急先鋒で、「山口さん、どこか、おかしいよ。こんなところで、椰子酒を飲んでいるうちに、太平洋艦隊は刻々迫ってくるんだ。我々の敵はオーストラリアではないですよ」と毒舌を吐いた。

256.山口多聞海軍中将(16)山本司令長官は「もっとも、君には不満だったろうがね」と付け加えた

2011年02月18日 | 山口多聞海軍中将
 指揮官の淵田美津雄中佐(海兵五二・海大三六・連合艦隊参謀・大佐・大阪水交会会長)は、信号拳銃を出して機外に向けて発砲した。「総飛行機にあて発信、全機突撃せよ」。淵田中佐は叫び、午前三時十九分、電信員が「トトト」とキイを叩いた。

 水平爆撃隊、雷撃隊、急降下爆撃隊の各攻撃機は、下方の真珠湾のアメリカ海軍の戦艦めがけて突進した。

 真珠湾からは魚雷命中の真っ白い水柱が数十メートルの高さに立ち上がり、あちこちで黒煙が上がった。「訓練どおりだ」。淵田中佐は微笑んだ。

 攻撃開始後、午前三時二十二分、淵田中佐は南雲司令長官の座乗する空母「赤城」に向けて発信した。「トラ、トラ、トラ」(われ奇襲に成功せり)。

 戦艦「アリゾナ」は高さ一〇〇〇メートルにも及ぶ火柱をあげて燃え、アメリカ太平洋艦隊は壊滅的な損害を受け、日本海軍は緒戦で見事な勝利をおさめた。

 日本時間午前九時二十二分頃、南雲司令長官率いる機動部隊は攻撃隊の収容を終わった。

 第二航空戦隊司令官・山口多聞少将は配下の空母「蒼龍」「飛龍」の第二次攻撃隊の収容が終わると、使用可能機による第二撃の準備を急がせた。

 それが終わると、指示を出さない旗艦「赤城」に「第二撃準備完了」と信号を送った。だが、「赤城」からは何の反応もなかった。南雲司令長官は黙ったままだった。機動部隊は、逃げるように北に走った。

 二ヶ月前、戦艦「長門」での図上演習の際、また、その後も、山口少将は、燃料タンク、修理施設への反復攻撃を意見具申していた。

 空母「蒼龍」では準備を終えた攻撃隊が、爆音を響かせて待機していたが、空母「赤城」からは、何の返答もなかった。

 山口少将の最後の期待もむなしく、南雲司令長官と草鹿参謀長は、「第二撃準備完了」の信号を握りつぶした。

 山口少将の率いる第二航空戦隊が呉軍港に投錨したのは十二月二十九日午後だった。山口少将はすぐ柱島の連合艦隊旗艦「長門」に、山本五十六司令長官を訪ね、帰還の挨拶をした。

 「ご苦労であった。よくやった」とハワイ作戦の勝利を称えたあと、山本司令長官は「もっとも、君には不満だったろうがね」と付け加えた。

 山口少将は「しかし、ああいうものかも知れません」と答えた。すると山本司令長官は「うむ、あの日、複雑な思いで戦況を聞いておった」と言った。

 そして「問題は、どこで切り上げるかだな、そこが難しい」とつぶやいた。山口少将が「しかし、いずれもう一度、真珠湾をやらねばならないと考えます」と言うと、山本司令長官は次の様に答えたと言う。

 「うむ、そういうことだ。しかし、あまり勝っても困る。浮かれるのが一番困る」。そして続けた。「山口君、焦らずにやってくれたまえ。言いたいことがあれば、なんなりと言ってきてくれ」。

 山本司令長官はそう言ってくれたが、山口少将は、上司の悪口をあれこれ長官に言うことはできぬ話だった。山本司令長官はあくまで冷静であり、山口少将としては、いささか物足りない思いであった。

 このあと、山口少将は参謀長室で宇垣纏少将と会った。二人は海軍兵学校同期なので、お互い、忌憚のない話をぶつけることができる。山口少将は次の様に発言した。

 「ハワイはラッキーにも勝てたが、第一航空艦隊は南雲さんじゃだめだ。俺はホノルルの放送をずうっと聴いていたんだ。奴らは大慌てで、とても反撃するどころではなかった」

 「なぜ、南雲さんは第三次攻撃隊を発進させなかったのか。いまでも残念に思っている。ハワイを徹底的に叩かねば、勝てぬぞ」。

 さらに、山口少将は、南雲長官を補佐する参謀長の草鹿少将や、主席参謀の大石保中佐(海兵四八・海大三〇・横須賀突撃隊司令・大佐)らを槍玉に挙げた。

 戦争は少々の犠牲をいとわず、積極果敢に攻める、それが山口少将の哲学であり、のこのこ家路を急ぐなどは、もっとも嫌いなことだった。

 宇垣少将は「あの時、山本さんはこう言ったよ」と言って、次の様に話した。

 「作戦参謀が、南雲部隊が今一回、攻撃を再開したらいいんだがな、と言った。すると航空参謀の佐々木彰中佐(海兵五一・海大三四・第三航空艦隊主席参謀・大佐)が、敵空母の所在がつかめぬので、どうですかと言った。山本さんはしばらく考え込んでいたが、南雲はまっすぐに帰るよ、と言われた。本当はやりたかったのだ」。

記255.山口多聞海軍中将(15)GF司令部首脳の君たち、いまごろ相槌を打つようでは困ったものだ

2011年02月10日 | 山口多聞海軍中将
 山口少将は「攻撃目標と攻撃の手はずは君たちが取り決めたんだぞ」と言うと、

 「山口司令官のおっしゃる通りです」「そうだ、山口君の言う通りだ」。黒島参謀と宇垣参謀長も同調して言った。

 だが、山口少将は「GF司令部首脳の君たち、いまごろ相槌を打つようでは困ったものだ。いいかい、冒頭に敵主力艦に雷撃、爆撃をくらわすのは、攻撃隊としてそりゃ、カッコいいさ。だが、案外そのことに近視的になっていないか。作戦をもっと総括してみる。この重油タンクをやっつければ港内はたちまち火の海になる。それだけで、随所の攻撃の必要がなくなるかも知れない」と言った。

 すると、源田参謀が「それにつきましては・・・、南雲長官のご判断におまかせするしか・・・」と答えた。

 次に草鹿参謀長が「第一撃の第一、第二波で、主力艦、飛行場、対空砲火陣、ついで軍事施設と思えるものは、のがさず叩く予定です。山口司令官がおっしゃる目標の破壊のためには、さらに」と言った。

 山口少将は「草鹿参謀長、ぱっと肝を割って言ってくれよ。第一撃についで第二撃、それでも足らなければ、第三撃・・・というふうに真珠湾から軍港の気配を完膚なきまでに消し去るため、攻撃は反復しなければならない。小官が今言った最重点の目標、重油タンクと勝利設備を冒頭に叩くよう計らってくれ」

 源田参謀が「はあ・・・・・・それは」と、いかにも困った顔になった。

 山口少将が「できないというのかね」と言うと

 「なにぶん、いちおう、最善の方法として打ち合わせしましたので、それを変更するとなると」と源田参謀は答えた。

 これに対し山口少将が「では、第二撃、第三撃の折でもよい。この二つの要衝を叩けば、オハフ島が噴火で焼け爛れた死の島になるのは必定だ。おいおい二人とも、心もとない面だな。では改めてきく。南雲司令官は完璧に攻撃するためには第二撃、第三撃を行う心積もりが頑としてあるか。また、重油タンク爆撃は間違いなくやるか」と言った。

 二人は顔を見合したまま、何も答えなかった。山口少将は「もう頼まぬ」といわんばかりに、室の外に飛び出した。

 このあと、山口少将は鹿児島へ行き、雄大な桜島を一望する岩崎谷荘に投宿した。憤懣をなだめるためだった。だが、これが山口少将の最後の湯治となった。

 少し遅れて石黒参謀が山口の泊まっている部屋に入ってきた。山口少将は石黒参謀に次の様に言った。

 「あのあと、すぐ山本長官の部屋に飛び込んで自分の思うたけを訴えた。長官は『百年兵を養い、国運をこの一撃にというなら徹底的にやるべしだ。俺から南雲君に、山口君の意見を活かす様、十分訓令しよう』と言ってくれた」

 南雲長官は慎重だった。山口多聞はもっと源を叩けと言っている。だが、そうするとどんな不測の事態を招くか知れない。

 その重油タンクを破壊して、収拾のつかぬまでに災立たせるには、どれくらい投弾を要するか全くわからない。だが、致命的にタンクが砕かれて重油が流出すれば陸上施設を含む港内すべてが、聖火台のようになることは確かだ。

 だが、もし、タンクが用心深く仕切られていて、爆弾で何箇所も粉砕されても、炎立たず、中途半端な破壊にとどまるようなら・・・・・・おびただしい爆煙や油の煙がかえって煙幕をつとめて、戦艦や他の軍事施設に対する攻撃がひどくさまたげられる。

 上空からは見えにくい地味な修理施設への投弾も、場所が場所だけに、法外な煙を出して煙幕をはらせることになりかねない。それに、こういう場所の破壊の成果をみとどけられるのは、ゼロに等しくなる。

 山口少将は「石黒君、南雲さんは、おれの主張など先刻承知に違いない。南雲さんはいったいそれにどれだけ積極的になるだろう・・・・・・」。

 山口少将は、「ほれ」と言いながら改めて彼方の桜島を指差した。夕映えだった。そして言った。「かの有名な中国の泰山もこのようかな。この悠揚迫らぬたたずまいが真にうらやましくなるよ」

 昭和十六年十二月八日午前零時、南雲長官率いる機動部隊の全乗組員、搭乗員合わせて三万人は、それぞれ持ち場に着き、艦内の神社に参拝し、お神酒を飲んで必勝を期した。

 午前一時二十分、各空母から攻撃隊が飛び立った。ハワイ時間午前五時五十分だった。午前三時オアフ島の上空に達した。ハワイ時間午前七時半だった。

254.山口多聞海軍中将(14)山口の態度は無礼だ。明るみに出れば軍法会議ものだ

2011年02月04日 | 山口多聞海軍中将
 石橋を叩いても渡らない人だと、山口少将は思っていた。ぱっぱっと行動する山口少将にとって、南雲中将は、最も歯車の合わない提督だった。

 アメリカ海軍を叩く大奇襲作戦だというのに、空母を減らすとは何事か。しかも自分が乗る「飛龍」まで外されている。

 図上演習が空母三隻案で実施されるや、山口少将の怒りは爆発した。山口少将は、長官室の扉を叩いた。

 「長官、我々をハワイから外すとは、どういうことですか。一体、連れて行くのか、行かないのか」。山口少将は食って掛かった。

 「まあ、座りたまえ」と南雲中将は山口少将を制した。だが、山口少将は「絶対に認められない。長官、貴殿は、ハワイ攻撃をどう理解しておるのか」と言った。

 さらに山口少将は「この戦、下手をしたら負けるんだ。勝つには敵の機先を制し、ハワイを叩くしかないんだ。これまで猛訓練をした我々を置いてきぼりにして、何ができるんだ」と、事と次第によっては、胸倉をつかんで張り倒すつもりで詰め寄った(他の資料では、実際に胸倉をつかんだとも記してある)。

 南雲中将は「この山口の態度は無礼だ。明るみに出れば軍法会議ものだ」と思ったが、忍の一字で耐えた。さらに、山口少将は、「この案を撤回しなければ自決するほかない」と迫った。

 結局、南雲中将と草鹿少将は山口少将に負けて、洋上で燃料補給することにして、ハワイ作戦には「加賀」「瑞鶴」「翔鶴」「赤城」「飛龍」「蒼龍」の六隻を使う案に修正した。

 昭和十六年十月九日から五日間にわたって、連合艦隊旗艦「長門」で、各司令長官から参謀まで一堂に会して真珠湾攻撃の図上演習が行われた。

 付近の山谷の起伏も半ミリの誤差もなく精確につくられた畳三畳分を占める真珠湾の模型は、全く現物がそこに横たわっているという感じだった。

 そこで、X日に押し寄せる三百数十機の第一次、第二次攻撃の侵攻の模擬演習が飽くなく繰り返された。米軍の主な対空砲火陣地も調査済みだった。

 演習の結果、在泊の米海軍の主力艦はすべて致命的な損傷を受け、同時に三飛行場は破壊されて、攻撃能力はゼロ、という勝算が回を重ねるにつれ高まった。

 だが、この間、山口多聞少将は始終不機嫌な面持ちだった。他の者が喜色を表わすと、それだけ反対に顔をしかめた。

 図上演習が終わったあと、山口少将(海兵四〇次席・海大二四恩賜)は隷下の通信参謀・石黒進少佐(海兵五七・海大三九・戦後、自衛艦隊司令官・海将)とともに、第一航空艦隊参謀長・草鹿龍之介少将(海兵四一・海大二四)、航空甲参謀・源田実中佐(海兵五二・海大三五恩賜・戦後、航空幕僚長・空将)、連合艦隊主席参謀・黒島亀人大佐(海兵四四・海大二六・少将)の三人に話があるからと言って、残るように言った。

 ちょうどそこへ、連合艦隊参謀長の宇垣纏少将(海兵四〇・海大二二)が現れた。山口少将は「おお、宇垣、ちょうどいい、GF参謀長の貴様にもきいてもらおう。全くけしからん」と言った。

 宇垣少将は「何を怒っているんだ。仰々しいじゃないか」と答えた。

 すると、山口少将は「南雲さんを、階級章を剥ぎ取って引っ張ってきたいくらいだ。いま、長官公室にいるんだろう。何なら、山本長官も。おれはこの五日間、歯ぎしりし続けた。でも、いちおう他の人の意見を聞いてからと我慢した。図演は終わった。全くもって不満だな。攻撃方針をやり直すべきだ」と怒りの表情だった。

 そこにいた四人は、何のことか分からなかったので、きょとんとしていた。

 山口少将は続けた。「機先を制すために飛行場を叩くのは文句なしだ。だが、最も重要な目標であるべきここ・・・・・・ここ、それに、ここ、はどうなんだ。五日間、だれもふれなかったぞ」

 山口少将が指示杖で次々につついたのは、港内五、六ヶ所のドックや大修理工場だった。

 山口少将はさらに言った。「それに大目玉商品である・・・・・・あれえ~っ、この模型にはないっ。たしか、ここの所に伝と備え付けられているはずだ。ただこんな凹みになっているのはどうしたことだ、欠陥模型だ、これは」

 山口少将の頓狂な声が室内の空気をつんざいた。それは、この要塞が誇る世界第二の大重油タンクの存在だった。

 山口少将は続けて言った。「大型艦の修理が可能なこれらの施設と、この重油タンクを最優先に叩くべきだ。なぜ、それが攻撃対象から洩れている。草鹿君、源田君、説明してもらおう」

 二人とも目玉を動かすばかりで、とっさには何も言えなかった。