「源田参謀」。突然山本大将が声をかけた。「はい」。源田中佐は、長官を見つめた。すると山本大将は「空襲飛行隊の総指揮官に、私案があるか?」
意外な問いに、源田中佐はちょっと口ごもっていたが、「淵田ならば、やれると思います」と答えた。「淵田?」山本大将が聞き返した。
すると南雲中将が「はあ、赤城の飛行隊長をしていた男ですが、今三航戦の参謀をしております」と源田中佐の代わりに答えた。
「うむ。あの淵田か。知っている。あれならやれる」。山本大将は、大きくうなずいた。
昭和十六年九月十六日、十七日の二日間、品川区上大崎の海軍大学校で、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が主張するハワイ奇襲作戦の図上演習が「ハワイ作戦特別図上演習」とされて、極秘裏に実施された。
「航空作戦参謀・源田実」(徳間文庫・生出寿)によると、海軍大学校での図演後の九月二十四日、軍令部作戦室で、ハワイ奇襲作戦の採択についての討議が行われた。
この討議に、軍令部からは、次の四名をはじめ六名が出席した。
第一部長・福留繁(ふくとめ・しげる)少将(鳥取・海兵四〇・八番・海大二四首席・連合艦隊首席参謀・軍令部第二課長・軍令部第一課長・支那方面艦隊参謀副長・戦艦「長門」艦長・少将・連合艦隊参謀長・軍令部第一部長・中将・連合艦隊参謀長・海軍乙事件・第二航空艦隊司令長官・第一三航空艦隊兼南遣艦隊司令長官・第一〇方面艦隊司令長官)。
第一課長・富岡定俊(とみおか・さだとし)大佐(東京・海兵四五・二十一番・海大二七首席・海軍大学校教官・軍令部第一課長・巡洋艦「大淀」艦長・南東方面艦隊参謀副長・少将・南東方面艦隊参謀長・軍令部第一部長・終戦・第二復員大臣官房史実調査部長)。
第一課部員・神重徳(かみ・しげのり)中佐(鹿児島・海兵四八・十番・海大三一首席・第五艦隊司令部参謀・軍令部第一部第一課兼大本営参謀・大佐・第八艦隊司令部参謀・軽巡洋艦「多摩」艦長・海軍省教育局第一課長・連合艦隊司令部参謀・第一〇航空艦隊参謀長・終戦後青森県津軽海峡で飛行機事故により殉職・少将)。
第一課部員・佐薙毅(さなぎ・さだむ)中佐(愛媛・海兵五〇・海大三二・連合艦隊航空参謀・軍令部第一部第一課・軍令部第一課作戦班長・大佐・南東方面艦隊参謀兼第一一航空艦隊参謀兼第八方面軍参謀・南東方面艦隊首席参謀・戦後航空自衛隊入隊・航空幕僚副長・第二代航空幕僚長・水交会会長)。
連合艦隊司令部からは次の三名が出席した。
参謀長・宇垣纒(うがき・まとめ)少将(岡山・海兵四〇・九番・海大二二・連合艦隊参謀・戦艦「日向」艦長・少将・軍令部第一部長・第八戦隊司令官・連合艦隊参謀長・中将・第一戦隊司令官・第五航空艦隊司令長官・沖縄方面へ特攻・行方不明)。
首席参謀・黒島龜人(くろしま・かめと)大佐(広島・海兵四四・三十四番・海大二六・第九戦隊参謀・大佐・海軍大学校教官・連合艦隊首席参謀・軍令部第二部長・少将・終戦後大東亜戦争調査委員会幹事)。
航空参謀・佐々木彰中佐(広島・海兵五一・海大三四・海軍大学校教官・連合艦隊航空参謀・大佐・第三航空艦隊首席参謀)。
第一航空艦隊からは次の三名が出席した。
参謀長・草鹿龍之介(くさか・りゅうのすけ)少将(東京・海兵四一・十四番・海大二四・航空本部総務部第一課長・空母「鳳翔」艦長・支那方面艦隊参謀・軍令部第一課長・空母「赤城」艦長・少将・第四連合航空隊司令官・第二四航空戦隊司令官・第一航空艦隊参謀長・第三艦隊参謀長・南東方面艦隊参謀長・連合艦隊参謀長・中将・兼海軍総隊参謀長・第五航空艦隊司令長官)。
首席参謀・大石保(おおいし・たもつ)中佐(高知・海兵四八・海大三〇・砲艦「嵯峨」艦長・第一航空戦隊参謀・第一航空艦隊参謀・海軍大学校教官・大佐・航海学校教頭・横須賀突撃隊司令・終戦・佐世保地方復員局艦船運航部長)。
甲航空参謀・源田実(げんだ・みのる)中佐(広島・海兵五二・十七番・海大三五・次席・第一航空艦隊甲航空参謀・軍令部第一部第一課・海軍航空技術委員会委員・大佐・第三四三海軍航空隊司令・兼第三五二海軍航空隊司令・戦後航空自衛隊入隊・航空幕僚監部装備部長・航空団司令・臨時航空訓練部長・航空集団司令・航空総隊司令・航空幕僚長・参議院議員・従三位・勲二等)。
意外な問いに、源田中佐はちょっと口ごもっていたが、「淵田ならば、やれると思います」と答えた。「淵田?」山本大将が聞き返した。
すると南雲中将が「はあ、赤城の飛行隊長をしていた男ですが、今三航戦の参謀をしております」と源田中佐の代わりに答えた。
「うむ。あの淵田か。知っている。あれならやれる」。山本大将は、大きくうなずいた。
昭和十六年九月十六日、十七日の二日間、品川区上大崎の海軍大学校で、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が主張するハワイ奇襲作戦の図上演習が「ハワイ作戦特別図上演習」とされて、極秘裏に実施された。
「航空作戦参謀・源田実」(徳間文庫・生出寿)によると、海軍大学校での図演後の九月二十四日、軍令部作戦室で、ハワイ奇襲作戦の採択についての討議が行われた。
この討議に、軍令部からは、次の四名をはじめ六名が出席した。
第一部長・福留繁(ふくとめ・しげる)少将(鳥取・海兵四〇・八番・海大二四首席・連合艦隊首席参謀・軍令部第二課長・軍令部第一課長・支那方面艦隊参謀副長・戦艦「長門」艦長・少将・連合艦隊参謀長・軍令部第一部長・中将・連合艦隊参謀長・海軍乙事件・第二航空艦隊司令長官・第一三航空艦隊兼南遣艦隊司令長官・第一〇方面艦隊司令長官)。
第一課長・富岡定俊(とみおか・さだとし)大佐(東京・海兵四五・二十一番・海大二七首席・海軍大学校教官・軍令部第一課長・巡洋艦「大淀」艦長・南東方面艦隊参謀副長・少将・南東方面艦隊参謀長・軍令部第一部長・終戦・第二復員大臣官房史実調査部長)。
第一課部員・神重徳(かみ・しげのり)中佐(鹿児島・海兵四八・十番・海大三一首席・第五艦隊司令部参謀・軍令部第一部第一課兼大本営参謀・大佐・第八艦隊司令部参謀・軽巡洋艦「多摩」艦長・海軍省教育局第一課長・連合艦隊司令部参謀・第一〇航空艦隊参謀長・終戦後青森県津軽海峡で飛行機事故により殉職・少将)。
第一課部員・佐薙毅(さなぎ・さだむ)中佐(愛媛・海兵五〇・海大三二・連合艦隊航空参謀・軍令部第一部第一課・軍令部第一課作戦班長・大佐・南東方面艦隊参謀兼第一一航空艦隊参謀兼第八方面軍参謀・南東方面艦隊首席参謀・戦後航空自衛隊入隊・航空幕僚副長・第二代航空幕僚長・水交会会長)。
連合艦隊司令部からは次の三名が出席した。
参謀長・宇垣纒(うがき・まとめ)少将(岡山・海兵四〇・九番・海大二二・連合艦隊参謀・戦艦「日向」艦長・少将・軍令部第一部長・第八戦隊司令官・連合艦隊参謀長・中将・第一戦隊司令官・第五航空艦隊司令長官・沖縄方面へ特攻・行方不明)。
首席参謀・黒島龜人(くろしま・かめと)大佐(広島・海兵四四・三十四番・海大二六・第九戦隊参謀・大佐・海軍大学校教官・連合艦隊首席参謀・軍令部第二部長・少将・終戦後大東亜戦争調査委員会幹事)。
航空参謀・佐々木彰中佐(広島・海兵五一・海大三四・海軍大学校教官・連合艦隊航空参謀・大佐・第三航空艦隊首席参謀)。
第一航空艦隊からは次の三名が出席した。
参謀長・草鹿龍之介(くさか・りゅうのすけ)少将(東京・海兵四一・十四番・海大二四・航空本部総務部第一課長・空母「鳳翔」艦長・支那方面艦隊参謀・軍令部第一課長・空母「赤城」艦長・少将・第四連合航空隊司令官・第二四航空戦隊司令官・第一航空艦隊参謀長・第三艦隊参謀長・南東方面艦隊参謀長・連合艦隊参謀長・中将・兼海軍総隊参謀長・第五航空艦隊司令長官)。
首席参謀・大石保(おおいし・たもつ)中佐(高知・海兵四八・海大三〇・砲艦「嵯峨」艦長・第一航空戦隊参謀・第一航空艦隊参謀・海軍大学校教官・大佐・航海学校教頭・横須賀突撃隊司令・終戦・佐世保地方復員局艦船運航部長)。
甲航空参謀・源田実(げんだ・みのる)中佐(広島・海兵五二・十七番・海大三五・次席・第一航空艦隊甲航空参謀・軍令部第一部第一課・海軍航空技術委員会委員・大佐・第三四三海軍航空隊司令・兼第三五二海軍航空隊司令・戦後航空自衛隊入隊・航空幕僚監部装備部長・航空団司令・臨時航空訓練部長・航空集団司令・航空総隊司令・航空幕僚長・参議院議員・従三位・勲二等)。