陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

474.東郷平八郎元帥海軍大将(14)東郷艦長は英国旗を掲げた輸送船を攻撃した野蛮人だ

2015年04月24日 | 東郷平八郎元帥
 丁汝昌提督はさっそく林総兵の提言を受け入れて、管帯連一同を集めて、東郷のとった措置でヌカ喜びをするのをやめるよう、訓示した。丁汝昌提督と林総兵は清国北洋艦隊を背負って立つ智将だった。

 日本の海軍省と外務省は東郷艦長が撃沈した「高陞号」事件に対して、我が国から補償を申し出るには時期尚早との判断をしていた。

 西郷海軍大臣と山本軍務局長は、佐世保鎮守府で預かっていた「高陞号」の船長と乗組員の証言から、東郷艦長がとった措置に過失はないと、自信を深めて英国との交渉に当たった。

 だが、英国のキンバレー外相は、依然、「日本側は賠償せよ」と強硬な態度を崩さなかった。英国の新聞も「東郷艦長の措置が不当である」との論評で、「東郷艦長は英国旗を掲げた輸送船を攻撃した野蛮人だ」との風評がロンドン中に流れた。

 ところが、英国の国際公法学者のウェストレーキ博士がタイムス紙上で、「高陞号」事件を次のように論評した。

 「戦争は予め宣告することなく始めても違法の措置ではない。その点については英国と米国の法廷で幾度となく確定している所である。だから、たとえ「高陞号」の船員が戦争の起こった事を知らなくても日本の士官が乗り込んできたとき戦争が始まったのを知ったとみなければならない」

 「英国国旗をかかげていようといまいとそれは些細なことだ。日本の艦長は、高陞号をその命令に従わせる権利を持つ。しかも高陞号は日本軍を攻撃する部隊を乗せているので、日本軍艦がその目的地に到達するのを防げるのは正当の行為である。沈没後に救助された高陞号の乗組員は規則通りに自由の身になったのだから、日本の行為は国際法に違反していない」。

 この論文に対して卑怯極まりない法学博士との反論がされ、世論は、まだ東郷艦長の行為を英国国旗の船を撃った挑戦者とみなす声で満ちていた。

 ところが、別の、ホルラント法学博士が同じタイムス紙上に掲載した論文で世論の激高はいっぺんに沈静した。その論文の内容は次の通り。

 「高陞号を隔離船として観察すれば、高陞号は進行を停止し、日本の臨検を受け、日本艦長の命令に従うのは当然である。しかも高陞号は清国軍を積んであり、明らかに敵対船なのであるから、日本は全力でその船の目的を防ぐ権利を持つ」

 「中立国の船といえども、敵国の軍兵を積んでいたのだから、英国政府は日本に謝罪を要求できないし、高陞号の持ち主や、この事件に関係してその生命を失った欧人の親類にも賠償を要求する権利がない」。

 イギリス外務大臣・キンバレーは、その論文の趣旨通りに「高陞号」の所有者である印度支那汽船会社の社長に、日本に賠償を求めるのは不可との勧告を出したので、日本政府や海軍、外務省はやっと胸をなでおろすことができた。

 また、東郷平八郎は、世界に日本海軍の名誉を発揮した名艦長と誉めあげられるまでに、急転換した。東郷平八郎の名は一躍内外に知られることとなった。

 「東郷平八郎」(下村寅太郎・講談社学術文庫)によると、東郷大将について、次のように述べている(要旨抜粋)。

 東郷大将のあらゆる言葉は記録されているけれども、しかしそれにおいて大将自身はほとんど何も語っていない。語られたことはすべて平常のことであって、それ以外のものはなにも存しないからである。

 「問。閣下は今日までにお成りになるまでの間に、何か処世上に特別の信条のようなものが、おありでしたか。答。別に何もない。唯自分は軍人として一意専心その道を踏んで来たまでである」。

 しかし、ここは軍人らしい素朴さ、率直さというだけではつくされない含蓄がある。その問いは、はなはだ平凡である。――「別に何もない――」。
 
 われわれに親しい東郷大将の肖像は、厳めしい軍装に適しい威厳を持っている。しかし同時に、それにも拘らず強豪生硬な「こころ」をそこに見ることはできない。

 有名な日清戦争劈頭の高陞号撃沈の際における東郷浪速艦長の処置については、あらゆる伝記者は、この艦長の断固たる決断力を語るのを常とし、あるいはこれがたんに果断だけでなく、法規に関する慎重な判断のあったことを指摘して、沈着周到な合理的性格を言う。

 しかし、東郷大将自身はこれについては全く語らない。「編者かつてこの議論に依りて、東郷元帥に当時の覚悟を訊ねしに、元帥は微笑せるのみにて終に一語を発せざりき……」。ここに東郷大将が存在する。

473.東郷平八郎元帥海軍大将(13)山本軍務局長は、「東郷大佐め!」と唇を噛みしめた

2015年04月17日 | 東郷平八郎元帥
 聡明の聞こえ高かった伊藤博文(いとう・ひろふみ)内閣総理大臣(山口県光市・松下村塾塾生・英国留学・奇兵隊の高杉晋作の下で討幕運動・明治維新後は外国事務局判事・初代兵庫県知事・初代工部卿・初代宮内卿・初代総理大臣・初代枢密院議長・総理大臣・貴族院議長・初代韓国統監・ハルピン駅で暗殺される・従一位・大勲位・公爵)は、カンカンになって怒った。

 今、清国の外にイギリスまでも敵にまわしては、日本帝国は滅亡するかもしれない。伊藤総理は海軍への怒りで冷静な判断力さえ失くしかけていた。

 伊藤総理は官邸から、秘書官に電話をさせて、海軍大臣・西郷従道(さいごう・じゅうどう=つぐみち)大将(鹿児島・西郷隆盛の弟・陸軍少将・陸軍小輔・陸軍中将・陸軍大輔・陸軍卿代理。近衛都督・特命全権公使・文部卿・陸軍卿・農商務卿・陸軍卿・伯爵・海軍大臣・予備役・内務大臣・枢密顧問官・海軍大臣・海軍大将・海軍大臣・侯爵・功二級・元帥・従一位・大勲位)に、「すぐ来るように」と呼びつけた。

 西郷海軍大臣が来ると、伊藤総理も少し気分が治まっていて、「おー、来たか」と言って立ち上がり、「西郷さん、馬鹿なことがあって、どうしたらよいか、迷うているところじゃ」と言った。

 西郷大臣「ははぁ、そや、どぎや事でごわすか」。

 伊藤総理「君は、知らぬのか」。

 西郷大臣「まだ何も聞いておらぬが、全体、何を怒っていなさるのか」。

 伊藤総理「浪速艦長の東郷が、イギリスの商船を撃沈してしまったのじゃ」。

 西郷大臣「そや事な、あったのでごわすか」。

 伊藤総理「これは、意外千万じゃ。海軍大臣の君が、それを知らぬとは、何という事か」。

 西郷大臣「支那の軍艦ばかりでなく、イギリスの商船まで撃沈したというのは、きつか事じゃ」。

 伊藤総理「軍人というものは、戦さえすれば、それでよい、と考えておって、国際法の事などは、少しも考慮のうちに置かぬから、こういう馬鹿な事を仕出かすのじゃ」。

 西郷大臣「東郷という奴な、若か頃から、法外の馬鹿者でごわした。ハッハハハハ……」。

 伊藤総理「そんな馬鹿者を、艦長にしておいたのは、君の責任じゃ。君は、これを、どうする考えか」。

 西郷大臣「このことは、我輩の所管であるから、とにかく、任せてもらいたい」。

 伊藤総理は海軍大臣に怒りをぶちまけただけでは足りずに、軍務局長・山本権兵衛(やまもと・ごんのひょうえ)海軍中将(鹿児島市鍛治屋町・海兵二・巡洋艦「高雄」艦長・海軍省主事兼副官・少将・軍務局長・中将・海軍大臣・男爵・大将・海軍大臣・伯爵・首相・予備役・退役・首相・従一位・大勲位・功一級)を首相官邸に呼びつけた。

 「こんな重大事を惹起して、海軍はその責任をどうするつもりだ」と伊藤総理は、思わず拳をかためてテーブルを一撃した。そのはずみに、ブランデーを盛ったテーブルの上のコップがポンと空中に跳ね上がって床の上に落ちて、木っ端みじんに砕けた。

 明治二十七年七月二十七日午後二時、山本軍務局長は、「高陞号」撃沈の電報を受け取った。その電文を読み、山本軍務局長は、「東郷大佐め!」と唇を噛みしめた。

 そして、山本軍務局長は、東郷平八郎の顔をはっきり眼前に浮かべて、「ケスイボ!」と叫んだ。「ケスイボ」は、鹿児島弁で「出しゃばって余計な事をやらかした」という意味だった。以後しばらくの間、東郷大佐のあだ名は「ケスイボ!」となった。

 「高陞号」撃沈事件で、英国政府が、日本に対して態度を硬化させたとの報告は、清国の北洋艦隊にも伝わった。

 北洋艦隊の管帯連(艦長たち)の中には、「無智の東郷大佐のおかげで、英国は必ず日本を敵視するだろう。英国が清に味方してくれれば、日本艦隊はたちまち潰れる」と、老酒を飲み交わしながら乾杯する気の早い者もいた。

 その中で、林総兵だけは、嘆息まじりで、丁汝昌(てい・じょしょう)提督(中国廬江県・太平天国軍・李鴻章の淮軍・劉銘伝部隊・提督総兵官・新海軍創設参与・北洋艦隊提督・日清戦争で日本の連合艦隊に包囲され服毒自殺・五十九歳)に次のように語った。
 
 「東郷のとった措置は至極もっともで、疑問点は何一つありませんよ。もし、小官が東郷の立場であったなら、おそらく、同じ手段を取ったに違いありません。冷静で分別に富む英国政府は、「高陞号」の件で、日本を敵視することは絶対にないと信じます」

 「管帯連がこの事件をきっかけに、英国とわが連合艦隊が組めるかのように錯覚し、喜んでいるのは思慮浅薄もいいところで、後に管帯連の中に、失望落胆する者が現れるのは、火を見るよりも明らかで、気の毒に思えてなりません。提督の方からも、それとなく、喜色満面の管帯連を訓戒してください」。

472.東郷平八郎元帥海軍大将(12)「高陞号」撃沈の報告が内地に伝わると、朝野をあげて驚愕した

2015年04月10日 | 東郷平八郎元帥
 このようにして時が経過する間に、「高陞号」の船内はますます清兵の騒ぎが大きくなって、船長等を脅迫する様子がありありと見えた。

 東郷艦長はその処置について、慎重に考慮した。その後再び、「ただちにその船を見捨てよ」と信号を発した。さらに、危険信号を意味する赤旗を高く掲げ、騒ぎまわっている清兵に反省を促した。

 だが、この危機に直面していながら、清兵は依然、船長を脅迫し「浪速」の命令に従わせないように、ある者はウオルスェー船長の額に銃口を突きつけ、ある者はその首に青龍刀を差しあてていた。

 停船命令を出してから、すでに二時間半が経過し、午後一時になろうとしていた。艦橋に立って腕組みしながらこれを凝視していた東郷艦長は、遂に最後の決心をした。

 「警笛を鳴らせ!」。東郷艦長は汽笛を立て続けに鳴らさせた。赤旗に次ぐ警報で、イギリス人船員たちが海に飛び込み始めるのが見えた。

 「撃沈します」。低いが凛として鉄線を弾くが如き声で、東郷艦長は叫んだ。

 東郷艦長は国際法上の上から、また、常識の上から判断して、この決心が断じて違法でないことに深い自信を持っていた。

 「撃ち方始め!」の命令で、水雷と砲弾が、「高陞号」に向かって発射され、よもやと思っていた清兵たちは、不意打ちをくらって狼狽して、銃や刀槍を以って走り回る様子が見えた。さらに、次々に海に飛び込んで、泳ぐ者、溺れる者で海面は覆われた。

 少数の清兵は最後まで船上にとどまって、小銃を発射して抵抗したが、「浪速」の砲弾が、船体に大破損を与えたので、午後一時十五分、後部から次第に沈み始めた。

 約三十分後には、「高陞号」は、マストの上部だけを水面に残して、船体は海中に没してしまった。東郷船長は、ウオルスェー船長とイギリス人船員二人を救助した。

 清兵は泳げる者は、北方の蔚島(ウルド)に向かって泳ぎ、泳げない者は、小銃を乱射しながら商船とともに沈んだ。蔚島にたどり着いた者は百四十七人だったが、指揮官の三人の大佐は、その中にはいなかった。

 「高陞号」のウオルスェー船長は、東郷平八郎が学んだイギリスのウースター商船学校の二年後輩だった。それが判ったのは明治四十四年だった。

 この年に、東郷平八郎は、東伏見宮依仁親王に随行してロンドンに行った際、ウースター商船学校の卒業生たちが東郷平八郎の歓迎会を開いた時だった。

 ウオルスェー船長は、「高陞号」事件を思い出し、「歓迎会に出席しないほうがいい」との手紙を東郷平八郎に送った。それで、判ったのだ。

 「高陞号」撃沈の報告が内地に伝わると、朝野をあげて驚愕した。相手は世界の大国、イギリスである。イギリスという大国と戦う事になれば、日本にとっては大打撃である。

 英国東洋艦隊司令長官・フリーマントル海軍中将は、連合艦隊司令長官・伊東祐亨(いとう・すけゆき)中将(鹿児島・戊辰戦争・装甲艦「比叡」艦長・大佐・装甲艦「扶桑」艦長・横須賀造船所長・英国出張・防護巡洋艦「浪速」艦長・少将・常備小艦隊司令官・第一局長・海軍大学校校長・中将・横須賀鎮守府司令長官・常備艦隊司令長官・連合艦隊司令長官・軍令部長・子爵・大将・議定官・軍事参議官・元帥・伯爵・従一位・大勲位・功一級)に、「高陞号」撃沈に関して厳重な抗議をした。

 連合艦隊司令長官・伊東中将は、「浪速」艦長・東郷平八郎大佐を呼び出し、フリーマントル中将の抗議をそのまま伝えた。

 東郷大佐は、平然たる態度で、「誰が何と言っても、東郷のとった措置には、断じて間違いありません」と、言い放った。

 その信念を持った強い言葉は、聞くものをして頼もしい気を起させた。東郷大佐は、かつて英国に留学した際、国際法を学んでおり、今回のことは、法理上、また常識の上からも、十二分に考究して、熟慮断行したもので、心中、何ら不安はなかったのである。

 イギリスの世論は、「浪速」の「高陞号」撃沈を極度に難詰し、英国外務大臣・キンバレー伯は、日本国の青木周蔵(あおき・しゅうぞう)公使(山口・長州藩藩校明倫館・ドイツ留学・外務省・駐ドイツ公使・駐オランダ公使・外務次官・外務大臣・駐ドイツ公使・外務大臣・駐イギリス公使・枢密顧問官・子爵・駐米大使・勲一等旭日桐花大綬章・勲一等タイ王冠勲章)に向かって、次のように述べた。

 「日本海軍将校の措置から生じた英国民の生命財産の損害に関しては、日本政府はその責任に任ずべきものである」。

471.東郷平八郎元帥海軍大将(11)日本軍の命令に従えば、軍規によって死刑に処する

2015年04月03日 | 東郷平八郎元帥
 ウオルスェー船長「もし、騒ぎが起こると、困りますから、どうぞ、しばらくの間、待ってください」。

 人見大尉は、船上の騒がしい状態を見て、船長が心配するのも無理はないと、考えた。

 人見大尉「こういうことにしましょう。自分は、これから、『浪速』に引き上げるから、そのあとで、よく相談をなさい。しかし、船の事は船長に全責任があるのだから、私が命令した事に対しては、すでに承知したものとみて、よろしいか」。

 ウオルスェー船長「それは、よろしいです」。

 船長が人見大尉の言う事に逆らわなかったので、人見大尉は、「浪速」に引き返して、臨検の顛末を東郷艦長に報告した。

 東郷艦長はイギリス留学時代、商船学校で学んだ。今、英国商船「高陞号」は、敵国の清兵と大砲を積んでいる以上、まさに敵の船である。だが、東郷艦長は、「高陞号」がうまく捕獲に応じてくれるように祈った。

 東郷艦長は「高陞号」に対して、「ただちに錨を上げろ」と信号を発した。随行させるつもりだった。だが、「高陞号」は抜錨する様子もなく、動きはなかった。

 「高陞号」の船長や乗組員は、清兵たちに脅迫されていた。三部隊から清兵は組織されており、それぞれの指揮官として三人の大佐がいた。

 この三人の大佐が、イギリス人のウオルスェー船長に「浪速」に連行されるのを拒絶せよと脅迫していた。「日本の軍艦の言う通りに絶対動いてはいけない」「勝手な行動を取ると銃殺する」。

 ウオルスェー船長は「自分たち英国人は今度の戦争には関係ない。自分たちだけでも、日本の軍艦に移乗させてくれ」と頼んだが、むなしい抵抗だった。

 そこで、ウオルスェー船長は「重要な事がある。相談したい」という信号に続いて、「ボートを送られたし」と、信号を「浪速」に送った。

 東郷艦長は再び、人見大尉を派遣することにした。そして東郷艦長は人見大尉に次のように訓令を行なった。

 「清兵がもし、我が命に従わないような状態があったら、欧人船員に肝要な事とはどういう事かと聞け。そして船長以下の非戦闘員等が、我が艦に移乗したいという希望があったら、ボートに乗せて連れてこい」。

 人見大尉らがカッターボートで再び「高陞号」に出向いてみると、甲板上は、清兵達が多数集まっていて、火事場のような騒ぎだった。ウオルスェー船長に対しては、清国将校等が取り囲み、身辺に迫って脅迫がましい文句を述べていた。

 人見大尉は、大声で、清兵たちに、ウオルスェー船長を離すように一喝した。清兵は、びっくりして、しぶしぶ、ウオルスェー船長を解放した。

 ウオルスェー船長は「私はあなたの命令に服従しようと思うが、清兵はこの船を大沽に戻せと言っているのです」と、人見大尉に言った。

 ウオルスェー船長としては、「浪速」の命令のまま随行したいし、また移乗もしたかったが、清国将校等は「清国政府で雇っている以上は、清国将校の命令に従うのが当然だ。強いて日本軍の命令に従えば、軍規によって死刑に処する」と脅かしていたのだ。

 また、「この船は英国に籍があるから、いかに乱暴な日本軍でも中立の商船に危害を加えるようなことは断じてない」と煽り立てる者もいて、船内は騒然として、不穏な形勢だった。

 人見大尉はそのような状況を把握すると、「最後の手段として、船長は、この船を見捨てて、脱出するほかないでしょう」とウオルスェー船長に通告した。

 人見大尉は引き返して、その旨を東郷艦長に報告した。東郷艦長は、「高陞号」の船長に対して、「ただちにその船を見捨てよ」と信号を発した。「船長と乗組員は、その船を見捨てて、こちらに来い」と伝えたのだ。

 だが、これに対して、ウオルスェー船長は「ボートを送られたし」と答信するのだった。

 このとき、形勢はいよいよ険悪化していたので、ボートを送ったら、見境のない清兵等は何をするか分らなかったので、東郷艦長は「ボートは送られぬ」と信号を発した。

 すると「高陞号」から「許されぬ」という簡単な信号が送られて来た。