宇垣少将は佐伯に碇泊中の、戦艦「長門」に赴任してきた。後甲板で着任式があり、夕刻、長官公室で歓迎夕食会が開かれた。
先任参謀・黒島大佐は例によって、穴倉のような自室に閉じこもったきり、着任式にも歓迎夕食会にも顔を出さなかった。
歓迎夕食会では、山本長官と参謀たちは談笑しながら食事した。参謀は全員、山本長官着任後まもなく招かれて、連合艦隊司令部に着任した者ばかりだった。長いもので二年、短いものでも一年は山本長官に仕えてきていた。
そのような夕食会の、談笑にもはいることなく、宇垣参謀長は黙々と食事をしていたという。これまでと全く違う文化圏の中で、浮いている自分の立場を痛いほど意識せざるを得なかった。
宇垣参謀長着任の翌日、黒島大佐は洗面、朝食を自室で済ませて幕僚室へ出向いた。例によって汚れた略衣に草履ばきだった。
幕僚室へ黒島大佐が入ると、デスクに向かう参謀たちの奥に見慣れぬいかめしい顔がある。新参謀長・宇垣纏少将が赴任したことを、ようやく黒島大佐は思い出した。
黒島大佐は宇垣少将の前に行き、挨拶した。
「先任参謀の黒島であります。よろしくお願い申し上げます」。
すると宇垣少将はいきなり切り込んできた。
「君が黒島大佐か。着任式にも夕食会にも出てこなかったね」。
黒島大佐は無表情に答えた。
「申し訳ありません。軍務に気をとられて失念しておりました」。
黒島大佐は、他意あって欠席したのではなかった。作戦の仕上げに熱中して新参謀長のことを忘れていた。だが、宇垣少将はそう受け取っていなかった。
そのとき、作戦室には八名の参謀がいた。鳴りをひそめて二人の問答に聞き耳を立てていた。黄金仮面とガンジーの対決だった。
宇垣少将の声は少し大きくなった。
「失念とはまたおそれいるね。私はGF参謀の頂点に立つ者だぞ。諸君の意見を汲み上げて長官にお伝えし、長官のご意向を諸君に伝える。両者に食い違いがあれば調整する。先任参謀の君は、誰よりも私との連帯を密にせねばならぬはずだぞ」。
黒島大佐は黙って宇垣少将を見つめていた。宇垣少将が単に着任式や夕食会への欠席を怒っているのではないのに気づかされた。
宇垣少将はさらに追撃してきた。
「諸参謀の意見のとりまとめと情報の伝達は先任参謀の役目だ。私は君の報告を聞き、必要な情報を君に与える。まあ、いわでものことだろうが」。
ようやく黒島大佐は説明の必要に気づいた。
「いや、それは違います。GF司令部では意見の取りまとめや情報伝達は戦務参謀の渡辺中佐がやっております。私は作戦立案に専念しています。渉外が苦手なので」。
聞いて、宇垣少将は鼻白らんだ顔になった。異なる文化圏に足を踏み入れた重いがいっそう濃くなった。
黒島大佐は続けた。
「作戦面に関しては、私は直接長官に報告し意見をうかがっております。渡辺参謀も同様であります。前任の参謀長は、渡辺参謀や私が長官と面談するさい、時々立ち会われただけでした。新参謀長も同じようにしていただくよう、お願い申し上げます」。
宇垣少将は怒った。
「何を言うか。君は参謀長を……」。
黒島大佐は毅然として言った。
「ないがしろにするわけではありません。ハワイ作戦は長官と我々参謀の手ですでに八割がたできあがっております。このまま一気に完成へもっていったあとで、参謀長のご意見を伺う方が自然だと思います」。
うしろから、渡辺参謀も声をかけた。
「先任参謀の言うとおりです。ハワイ作戦は長官と我々にお任せ下さい。航空主兵思想のもとで完璧に練り上げたいので」。
先任参謀・黒島大佐は例によって、穴倉のような自室に閉じこもったきり、着任式にも歓迎夕食会にも顔を出さなかった。
歓迎夕食会では、山本長官と参謀たちは談笑しながら食事した。参謀は全員、山本長官着任後まもなく招かれて、連合艦隊司令部に着任した者ばかりだった。長いもので二年、短いものでも一年は山本長官に仕えてきていた。
そのような夕食会の、談笑にもはいることなく、宇垣参謀長は黙々と食事をしていたという。これまでと全く違う文化圏の中で、浮いている自分の立場を痛いほど意識せざるを得なかった。
宇垣参謀長着任の翌日、黒島大佐は洗面、朝食を自室で済ませて幕僚室へ出向いた。例によって汚れた略衣に草履ばきだった。
幕僚室へ黒島大佐が入ると、デスクに向かう参謀たちの奥に見慣れぬいかめしい顔がある。新参謀長・宇垣纏少将が赴任したことを、ようやく黒島大佐は思い出した。
黒島大佐は宇垣少将の前に行き、挨拶した。
「先任参謀の黒島であります。よろしくお願い申し上げます」。
すると宇垣少将はいきなり切り込んできた。
「君が黒島大佐か。着任式にも夕食会にも出てこなかったね」。
黒島大佐は無表情に答えた。
「申し訳ありません。軍務に気をとられて失念しておりました」。
黒島大佐は、他意あって欠席したのではなかった。作戦の仕上げに熱中して新参謀長のことを忘れていた。だが、宇垣少将はそう受け取っていなかった。
そのとき、作戦室には八名の参謀がいた。鳴りをひそめて二人の問答に聞き耳を立てていた。黄金仮面とガンジーの対決だった。
宇垣少将の声は少し大きくなった。
「失念とはまたおそれいるね。私はGF参謀の頂点に立つ者だぞ。諸君の意見を汲み上げて長官にお伝えし、長官のご意向を諸君に伝える。両者に食い違いがあれば調整する。先任参謀の君は、誰よりも私との連帯を密にせねばならぬはずだぞ」。
黒島大佐は黙って宇垣少将を見つめていた。宇垣少将が単に着任式や夕食会への欠席を怒っているのではないのに気づかされた。
宇垣少将はさらに追撃してきた。
「諸参謀の意見のとりまとめと情報の伝達は先任参謀の役目だ。私は君の報告を聞き、必要な情報を君に与える。まあ、いわでものことだろうが」。
ようやく黒島大佐は説明の必要に気づいた。
「いや、それは違います。GF司令部では意見の取りまとめや情報伝達は戦務参謀の渡辺中佐がやっております。私は作戦立案に専念しています。渉外が苦手なので」。
聞いて、宇垣少将は鼻白らんだ顔になった。異なる文化圏に足を踏み入れた重いがいっそう濃くなった。
黒島大佐は続けた。
「作戦面に関しては、私は直接長官に報告し意見をうかがっております。渡辺参謀も同様であります。前任の参謀長は、渡辺参謀や私が長官と面談するさい、時々立ち会われただけでした。新参謀長も同じようにしていただくよう、お願い申し上げます」。
宇垣少将は怒った。
「何を言うか。君は参謀長を……」。
黒島大佐は毅然として言った。
「ないがしろにするわけではありません。ハワイ作戦は長官と我々参謀の手ですでに八割がたできあがっております。このまま一気に完成へもっていったあとで、参謀長のご意見を伺う方が自然だと思います」。
うしろから、渡辺参謀も声をかけた。
「先任参謀の言うとおりです。ハワイ作戦は長官と我々にお任せ下さい。航空主兵思想のもとで完璧に練り上げたいので」。