重い障害の男児、小学校へ
臨床 2015年3月27日(金)配信毎日新聞社
重い染色体異常の一つ、18トリソミーで生まれた東京都新宿区の松本虎大(とらひろ)君(6)が4月、養護学校に入学する。18トリソミーは心臓病などを伴い、小学生になるまで成長できるのはわずかだ。両親や周囲の人々は、大きな一歩に期待を寄せる。
●心臓病抱え誕生
虎大君は、母直子さん(45)に抱き上げられると、丸い瞳でじっと見上げた。「どう、いい気分?」。直子さんが話しかけると、いたずらっ子のようにニッと笑い、握った右手を自分のあごにトントンと当てた。「YES」という意味だ。立ったり話したりすることはできないが、次第に表情や仕草で気持ちを表そうとするようになった。
虎大君の障害が分かったのは、妊娠8カ月の時だった。それまでの経過は大きな問題がなく、父哲(あきら)さん(45)は「頭が真っ暗というか、真っ白になった」と振り返る。出産前には、医師から「どこまで蘇生しますか」と確認された。すぐに亡くなってしまう可能性があったため、「呼んであげられるように名前を決めておいてください」とも言われた。
生まれてきた虎大君は体重1927グラムで、平均体重の3分の2に満たなかった。重い心臓病を抱えていた。
明日までは大丈夫か、数日は持つか――。先が見えない中、松本さん夫婦は毎日新生児集中治療室(NICU)に通い、帰宅する時は必ず虎大君の写真を撮った。いつも「これが最後になるかもしれない」と思ったという。
●旅行、映画出演も
3カ月がたち、退院できた。親子3人で並んで寝たり、散歩したりという、両親の小さな夢がかなった。ただ、虎大君は急に呼吸が停止することがあったため、交代しながら24時間体制で寄り添った。
2歳になって間もなく、風邪がもとで一時、深刻な状況に陥ったことがある。その後、直子さんは沖縄旅行を決意した。飛行機での移動や環境の変化は不安だったが、「今やれることをやらなきゃダメだ」と思ったという。
家族のあり方をテーマにしたドキュメンタリー映画「うまれる」シリーズにも出演した。直子さんは表に出ることを迷ったが、寄せられた反響は共感や励ましばかりだった。18トリソミーの子を持つ家族の会では、思いを共有する仲間ができ、子どもが亡くなった家族とも交流を続けている。
主治医の岩崎博之・東大助教(小児神経)も、さまざまな挑戦を後押ししてきた。「いつ体調が変わるか分からないからこそ、家族で過ごす一日一日を濃いものにして、楽しんでほしい」と語る。
18トリソミーは、妊娠中や出産直後に亡くなるケースも多い。同病院で2000~09年に診断を受けた37人のうち、生まれたのは15人。1年以上の生存率は33%だった。長く生きられる例は増えているが、岩崎医師は小学校入学まで過ごせるのは「数%ではないか」と推測する。感染症に弱いため、風邪がきっかけで重症化することもあり、成長しても急変するおそれは常に付きまとう。
入学する新宿区立新宿養護学校(佐藤政明校長)では、毎朝、常駐する看護師が、児童生徒約30人の熱や脈拍を測り、健康状態を確認する。体調や障害の特性に応じて、授業やリハビリをこなす。スクールバスで通う子が多いが、虎大君は体への負担を考え、松本さん夫婦が車で送迎する。当面は週2~3回ほどの通学になりそうだ。
同校に18トリソミーの子が入るのは初めてという。校外での活動にどれくらい参加できるかや、体調が急変した場合の対応などは、松本さん夫婦と話し合っていく。教諭らは「元気に通って、楽しい経験をしてほしい」と入学を待つ。新入生は虎大君を含め4人の予定だ。
●「育てられる」
18トリソミーは、妊娠中だけでなく、今後臨床研究が始まる着床前スクリーニングでは、妊娠前の段階でも検査を可能にする動きが進みつつある。こうした検査を受け、出産をあきらめる人もいる。
直子さんは「できるだけ健康な子を、と望むのは普通のこと」と理解を示す。哲さんも「不安を抱えて妊娠生活を送るよりは、検査を受けるのも一つ」と話し、「ただ、生まれてきた時に育てられるかどうかについては、心配しなくて大丈夫だと思う」と言葉を継ぐ。
直子さんは虎大君のことを「短い人生を全力疾走している」と思ってきたが、次第に速さは緩やかになってきたと感じる。「長距離ランナーになってね」と、腕の中の我が子をやさしく抱きしめた。【五味香織】