母と娘
2009-10-12 | 日記
めったに電話などよこさない新潟の弟から早朝ケイタイに電話が来たので、
(もしやハハキトクか。。。)と気持ちを正して出てみたら
「ばあちゃんが北海道の台風が心配で何度家に電話しても繋がらないって
言ってる」ということだったので「なあんだ、、、、」と緊張が解けた。
三年前30年ぶりに里帰りした際、結果的に母親と大喧嘩し、それ以来
一度も自分から直接母に電話をしておらず、母からかかってくる事も無かった。
ときどき母宛として荷物を送るが、弟の嫁さんにメールで送ったよと連絡するだけ。
「ばあちゃんがありがとうって言ってるよ」と間接的会話で繋いできた。
以前は必ず母から「荷物着いたよ」と直接電話が来たが「あのそ(さ)●▲×・・・」と
日々のグチをチラチラこぼすのを聞きたくなくてさっさと受話器を置いた。
母親に対して(こういう人であってほしい、こういう人であってほしくない)と自分の理想を強く押し付けている
自分に気付きながらも、母のそのままを素直に受け入れられずにいる自分に雪解けの時かと思った里帰りが
未だ超能天気な娘に失望した母の「そんな甘い考えは世の中に通用しない」という一言に傷つき、
私も、プライド高く正義と道徳で自分は正しいと信じ込むことで保たれている母の生き方に対し、腹の底から
「その生き方は幸せではない」と生まれて初めて正面から指摘した。母は「自分は幸福だ」と言い切った。
一瞬絶望に包まれたが同時に(あ、そうなのか・・)と からだとこころがふわりと軽くなったような気がした。
《ひとの幸福はその人が決めること》 母の生き方は母にしか出来ない生き方と吹っ切れ、翌日実家を後にした。
自分も母も、相手の幸福をただただ願っての強い思いの押し付け合いだったのだ・・・母は知っているのか・・・
(もしやハハキトクか。。。)と気持ちを正して出てみたら
「ばあちゃんが北海道の台風が心配で何度家に電話しても繋がらないって
言ってる」ということだったので「なあんだ、、、、」と緊張が解けた。
三年前30年ぶりに里帰りした際、結果的に母親と大喧嘩し、それ以来
一度も自分から直接母に電話をしておらず、母からかかってくる事も無かった。
ときどき母宛として荷物を送るが、弟の嫁さんにメールで送ったよと連絡するだけ。
「ばあちゃんがありがとうって言ってるよ」と間接的会話で繋いできた。
以前は必ず母から「荷物着いたよ」と直接電話が来たが「あのそ(さ)●▲×・・・」と
日々のグチをチラチラこぼすのを聞きたくなくてさっさと受話器を置いた。
母親に対して(こういう人であってほしい、こういう人であってほしくない)と自分の理想を強く押し付けている
自分に気付きながらも、母のそのままを素直に受け入れられずにいる自分に雪解けの時かと思った里帰りが
未だ超能天気な娘に失望した母の「そんな甘い考えは世の中に通用しない」という一言に傷つき、
私も、プライド高く正義と道徳で自分は正しいと信じ込むことで保たれている母の生き方に対し、腹の底から
「その生き方は幸せではない」と生まれて初めて正面から指摘した。母は「自分は幸福だ」と言い切った。
一瞬絶望に包まれたが同時に(あ、そうなのか・・)と からだとこころがふわりと軽くなったような気がした。
《ひとの幸福はその人が決めること》 母の生き方は母にしか出来ない生き方と吹っ切れ、翌日実家を後にした。
自分も母も、相手の幸福をただただ願っての強い思いの押し付け合いだったのだ・・・母は知っているのか・・・