有明鉱火災から30年となる今年。みやま市が初めて
犠牲者の冥福を祈る式典を開催しました。
その模様が3月22日の西日本新聞(御厨尚陽)に掲載されました。
以下全文です。
<事故の教訓次世代へ>
――有明鉱火災 みやま市が30年式典――
死者83人一酸化炭素(CO)中毒患者16人を出した三井三池有明鉱火災30年式典が21日、みやま市高田町の跡地であった。悲惨な事故を繰り返さないため、次世代に教訓を語り継ごうと、市が初めて開催。遺族ら約130人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。
火災は1984年1月18日、坑口から2.5キロの地点で発生し、COが坑内に充満。炭鉱は97年に閉山、跡地は太陽光発電所になり、敷地内に「有明鉱殉職者之碑」が立てられた。
碑の前で行われた式典では、参列者全員で黙とうした後、西原親市長が「日本の近代化が犠牲の上に築かれたことを忘れてはなりません」と式辞。遺族代表の言葉を述べた大城サヤ子さん(78)=みやま市=は「夫は『設備がよくて安全』と信じていただけに悔しい。30年間涙を流し続けてきた」と夫を失った悲しみに声を震わせた。
遺族たちは菊の花を献花。事故以来、初めて有明鉱を訪れた平山玉子さん(82)=大牟田市=は26才無くなった長男の写真を胸に抱いて祈りをささげた。「給料袋を開けずにそのまま持ってくる親孝行な子でした。ひとときも忘れない」。6歳の頃に父親を失った堤清美さん(36)=熊本県荒尾市=は長女の秋花(さくら)ちゃん(7)を連れて参列。「私自身、父のことを覚えていないけれど、娘にも事故の記憶をつなぎたい」と話した。
(2014年3月22日 西日本新聞・御厨尚陽)
犠牲者の冥福を祈る式典を開催しました。
その模様が3月22日の西日本新聞(御厨尚陽)に掲載されました。
以下全文です。
<事故の教訓次世代へ>
――有明鉱火災 みやま市が30年式典――
死者83人一酸化炭素(CO)中毒患者16人を出した三井三池有明鉱火災30年式典が21日、みやま市高田町の跡地であった。悲惨な事故を繰り返さないため、次世代に教訓を語り継ごうと、市が初めて開催。遺族ら約130人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。
火災は1984年1月18日、坑口から2.5キロの地点で発生し、COが坑内に充満。炭鉱は97年に閉山、跡地は太陽光発電所になり、敷地内に「有明鉱殉職者之碑」が立てられた。
碑の前で行われた式典では、参列者全員で黙とうした後、西原親市長が「日本の近代化が犠牲の上に築かれたことを忘れてはなりません」と式辞。遺族代表の言葉を述べた大城サヤ子さん(78)=みやま市=は「夫は『設備がよくて安全』と信じていただけに悔しい。30年間涙を流し続けてきた」と夫を失った悲しみに声を震わせた。
遺族たちは菊の花を献花。事故以来、初めて有明鉱を訪れた平山玉子さん(82)=大牟田市=は26才無くなった長男の写真を胸に抱いて祈りをささげた。「給料袋を開けずにそのまま持ってくる親孝行な子でした。ひとときも忘れない」。6歳の頃に父親を失った堤清美さん(36)=熊本県荒尾市=は長女の秋花(さくら)ちゃん(7)を連れて参列。「私自身、父のことを覚えていないけれど、娘にも事故の記憶をつなぎたい」と話した。
(2014年3月22日 西日本新聞・御厨尚陽)