大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

大牟田・旧三川坑跡 ヘルメット着用で定期公開

2015年04月18日 07時24分08秒 | 日記

炭じん爆発のあった旧三川坑が大牟田市に譲渡され、その活用が昨年来より検討されていました。

<解体か保存か?機械・設備とも歴史的な価値がある。世界遺産候補の万田坑、宮原坑の次にめぐることで炭鉱産業の歴史をたどることが出来る。解体・再建ではなく費用を掛けないで修復する方法もある。>等など話し合われてきました。

「昨年12月から今年3月まで月一回の試行的な見学会」が実施され「参加者が回を追って増えたため、今年度かからの定期公開を決めた」とのことです。(下:2015年4月15日朝日新聞・堺謙一郎「三川坑跡見学会 来月17日に開始 大牟田市 定期公開決定」より)

「公開するのは毎月第3日曜日午前10時~午後5時」で5月からです。「公開時間内の立ち入りと見学は自由。建物などが崩壊しているところもあるため、ヘルメット着用を義務付ける」ことになりました。


大牟田・石炭館~三池争議資料や炭鉱マンの給料明細書等公開中

2015年04月17日 07時59分48秒 | 日記

大牟田市石炭産業科学館・開館20周年の記念展示が西日本新聞で紹介されました。(下:2015年4月14日西日本新聞・都市圏ワイド・永野稔一「『三池』伝える収蔵品一堂に 大牟田市石炭産業科学館 開館20年記念展 太田薫議長名の表彰状、炭鉱マンの給料明細・・・」より)

*太田薫議長とは、三池闘争時の総評議長。どんなことが表彰の対象になったのでしょうか?炭鉱マンの給料は?展示された収蔵品は「会社や労組、元炭鉱マン等から寄贈」されたものだそうです。石炭産業を支えてきた人たちの<生の資料>を見ることが出来ます。

*石炭館は1995年開館、そして1997年には三池炭鉱閉山。その20年の歩みも大変だったと思います。今年6月には三池炭鉱関連資産が世界文化遺産に登録される可能性も高く、世界に発信する役目・飛躍が期待されています。

 

 


大牟田市生まれ7か月・子どもライオン 姫路へ旅立ち決まる!

2015年04月16日 11時33分46秒 | 日記

昨年9月26,27日、大牟田市動物園では可愛いライオンの赤ちゃんが4匹生まれました。動物園の人気者だったのですが、いろんな都合で姫路へ旅立つことになったそうです。(2015年4月15日朝日新聞・堺謙一郎「子どもライオンお別れイベント 18日、 大牟田市動物園 」より)

生まれてまだ7か月で、お父さん<あさひ>、お母さん<リラ>とお別れです。ちょっと心細いでしょうが、兄弟そろってです。新天地「サファリリゾート姫路セントラルパーク」で仲良く頑張ってね!

*お父さん<あさひ>が2歳、お母さん<リラ>が3歳だそうです・・・親になるのも早いですね。

 

 


大牟田労基署 、CO中毒患者・遺族補償年金支給通知

2015年04月15日 10時17分25秒 | 日記

 朝日新聞に「三池CO中毒昨夏死去の清水さん 遺族補償年金を支給へ 大牟田労基局」(下:2015年4月14日号・境謙一郎)の記事が出ました。以下全文です。

< 1963年11月の旧三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)三川坑炭じん爆発事故での一酸化炭素(CO)中毒患者で、昨年8月に亡くなった清水正重さん(享年89)=熊本県荒尾市=について、大牟田労働基準監督署が妻栄子さん(84)に労災保険の遺族補償年金の決定通知書を出したことが13日、分かった。

 炭じん爆発事故は戦後最悪の労災事故で、死者458人、CO中毒患者839人を出した。意識不明で収容された清水さんは重度のCO中毒患者と診断され、半世紀以上に及ぶ入院生活の末、昨年8月16日、肺炎で死亡した。

 栄子さんによると、入院していた大牟田吉野病院(大牟田市)の主治医の死亡診断書の欄外に「CO中毒後遺症」と記載されていた。死亡と中毒による後遺症に因果関係があったとして昨年9月、同労基署に遺族補償年金を申請していた。年金額約183万円の年金と同約37万円の特別年金、ほかに一時金300円や葬祭料が支給されることになるという。

 同労基署は主治医から死亡に至る経過などについて意見を聴くなどして、死亡と後遺症との殷が関係を調査。今月7日付で栄子さんに決定通知書を出した。同労基局は朝日新聞の取材に、通知した事実は認めたが、理由については明らかにしなかった。

 三池CO患者や家族らでつくる「三池COと共闘の会」によると、現在も入院中の三池CO患者は14人いるという。栄子さんは「夫が事故の生き証人として頑張ってきたことが認定につながった。この結果が、他の患者さんや家族の役に立ってくれればいい」と話した。

 申請を支援してきた元三池労組組合長沖克太郎・三池高次脳連絡会議副議長(74)は「最近10年は認定されたという話は聞かない。清水さんはカルテや写真など損害賠償を争った裁判の資料があったのが認定に役立ったのではないか」と話している。>

 *CO患者本人と患者を抱え支えてきた家族のお話はよく聞いておりました。本当に大変なご苦労でした。

 *読売新聞電子版には「亡くなった人の中には死因と後遺症の因果関係が認められなかったり、遺族が年金を申請しなかったりしたケースが多いとされる」という記述もあり、驚きました。