「梅雨明けの時期はもう少し先か?」と思っていた矢先に気象庁は関東の梅雨明けを告げて、暑さもどっと押し寄せてきた。 今年も梅雨が明けて暑くなったら東京を脱出して、知人の持つ涼しいヤナバの山荘に滞在させて貰おう! そう考えていたのです。 だから今、本当なら車にモバイルPCや、暇つぶしの本を積みこんで長野の山荘で寝転んでいる筈なんです。 なのに寝苦しい夜を東京の自宅で耐えているのは訳があります。
去年の暮から通い始めた公民館囲碁クラブ、 そこの囲碁仲間をヤナバの山荘に誘って囲碁三昧の日々を過ごしたら楽しいだろう、そんな夢を見て 「涼しい長野の山荘で囲碁を楽しみませんか」 のタイトルのチラシを作り参加者を募ったのです。 募集にあたっては出発日を確定させておかないと、検討するのにも困るだろう。 そう思ったから出発日を7月20日と決めてチラシを作りました。
そのチラシを渡された人々の反応はイマイチで、今のところ確定的な参加表明をして呉れた人はありません。 一週間の間に5日間も囲碁に集まる人々だから暇な時間を持て余して居るのは確かなのだが、「面白そうだね」の反応を示してくれた人は、今の所たったの1人だけ。
その「検討しとく」と言ってくれた人のために、 さっさと先に出かけてしまう訳には行かないのです。 何故って、 「3名までは、僕の車に乗れます。無料です、 帰りは高速バスか電車で自分達で帰って下さい」そんなチラシの言葉をチャラにする訳にはいきませんから。
ところで、行けないと言う人からは...
「その日は通院日なんだよ。」
「泊まるところで食事食べられないの?」
「自炊やレストランで食事はチョットな。」
幾分の興味を示しているいる人からも
「遠いなー、どうしてそんな所知ってるの?」
「山荘持っている知人って、どんな人よ?」 なんて反応です。
我が家の様に暑い夏もクーラーを使わずに暑い夏を乗り切ろうとしている者にとって 「涼しい別荘」 はそれだけで充分魅力に感じるのですけれど。 他所の家ではクーラーを動かして、暑さを凌ぐ生活で足りていて、「涼しい別荘」の言葉から強い魅力を感じ無いのかもしれません。
まあ、そんな事よりも「たった半年前から囲碁の集まりに顔を出し始めた氏素性の良く解らん人間の誘いに、簡単には乗れないよ!」そんな考えもあるかも知れません。 いずれにせよ別荘生活で囲碁三昧の目論見はメドが立っていません。
去年の暮から通い始めた公民館囲碁クラブ、 そこの囲碁仲間をヤナバの山荘に誘って囲碁三昧の日々を過ごしたら楽しいだろう、そんな夢を見て 「涼しい長野の山荘で囲碁を楽しみませんか」 のタイトルのチラシを作り参加者を募ったのです。 募集にあたっては出発日を確定させておかないと、検討するのにも困るだろう。 そう思ったから出発日を7月20日と決めてチラシを作りました。
そのチラシを渡された人々の反応はイマイチで、今のところ確定的な参加表明をして呉れた人はありません。 一週間の間に5日間も囲碁に集まる人々だから暇な時間を持て余して居るのは確かなのだが、「面白そうだね」の反応を示してくれた人は、今の所たったの1人だけ。
その「検討しとく」と言ってくれた人のために、 さっさと先に出かけてしまう訳には行かないのです。 何故って、 「3名までは、僕の車に乗れます。無料です、 帰りは高速バスか電車で自分達で帰って下さい」そんなチラシの言葉をチャラにする訳にはいきませんから。
ところで、行けないと言う人からは...
「その日は通院日なんだよ。」
「泊まるところで食事食べられないの?」
「自炊やレストランで食事はチョットな。」
幾分の興味を示しているいる人からも
「遠いなー、どうしてそんな所知ってるの?」
「山荘持っている知人って、どんな人よ?」 なんて反応です。
我が家の様に暑い夏もクーラーを使わずに暑い夏を乗り切ろうとしている者にとって 「涼しい別荘」 はそれだけで充分魅力に感じるのですけれど。 他所の家ではクーラーを動かして、暑さを凌ぐ生活で足りていて、「涼しい別荘」の言葉から強い魅力を感じ無いのかもしれません。
まあ、そんな事よりも「たった半年前から囲碁の集まりに顔を出し始めた氏素性の良く解らん人間の誘いに、簡単には乗れないよ!」そんな考えもあるかも知れません。 いずれにせよ別荘生活で囲碁三昧の目論見はメドが立っていません。