年金の支給開始年齢を60歳から65歳に遅らせる、そんな制度変更が行われたのが2004年の事。 その当時は百年先を見据えた制度変更と豪語していたと記憶しているが、あれから10年も経たないのに、更に支給開始年齢を遅らせる計画がまた始まった事を最近の新聞は伝えていた。
20代の頃は年金のことなんか、これっぽっちも意識したことは無く、30・40代の頃も我々が納めている掛金は基本的にはどこかに積み立てられて、利子も付く形で運用されているのだろうと思っていた。 でも各地に建設された厚生年金会館、病院、老人施設、それらが我々の納付した金を原資に建設され、 人件費にだって使われているらしき事を知り、 薄々危なさを感じ始めた。 「現役世代の納付金で年寄りへの支給を賄う」そんな制度では人口増加が止まり、経済活動が縮小すれば制度の維持が難しいのは判るし、 最近でも年金記録問題を徹底的に調査するなんて馬鹿げた作業に多量の人員と費用を投入して、なんの悪びれた風も無い所管の省庁。 こんなじゃ年金財源の費用が破綻するのが目に見えます。
それで自分の採った行動は、現役から離れる時迄に世の中の平均貯蓄額を上回る資金を用意すること。 生活していくのに必要な物の値段は世間の大半の人が使える金で購入出来る様に決まっているとすれば、 年金制度が破綻して年金が大きく減額されたり、支給されなくなって多くの人々の購買余力が減ったとした場合、世の中の物価も安くなってくれるんじゃないか? だから「世間一般よりも、少し余分に現金を持っていれば、 少しだけ余力を持って生きていけるだろう」、そんな風に考えて資金を準備するために現役生活を65歳迄いやいや延ばす生活を続けたのです。
ところで最近報道された、「年金制度維持のために更に支給開始年齢を遅らせる」そんな解決策は好みじゃ無い。 先日の会津の山旅の宿でこの年金制度変更案が話題になった時に話した僕の解決策を書いておきましょう。 勿論その場では年金受給中の仲間からは鼻白む表情で無視された内容ですが・・・
☆ 支給開始年齢は60歳に戻す。
☆ 支給停止年齢を設ける 例えば 75歳。
★ 停止年齢に到達した以降、 申請者に国は一酸化炭素のボンベ購入券を支給する。
つまり、「年金支給停止年齢以降は自力で経済的に活きて下さい!」そんな基本方針にするのです。 年金が停止されて経済的、健康面、あるいは精神的に「あの世への旅立ち」を意識した者は 支給された一酸化炭素のボンベ購入券を有効利用するのです。
今だって、そんなガスボンベは市販されては居るのですが、近所のスーパーで買う気軽さで購入する事は出来ません。 だから国が発行した購入券があれば正規に気軽に購入出来る、 そんな風になったら良いのにと思うことがあります。 そうすりゃ、不健康な状態で医療費膨らませる事態も少なくなるだろうし、年金欲しさに受給者の死亡を隠して延々と年金を振りこませるなんて馬鹿者も阻止出来る。
それから少子化対策に国は子供手当てなんて大金投じているけれど、 金を子育て世代に与えれば、教育産業等がそれをむしり取る事業を拡大させるだけ。 子育てに今より沢山の金が掛かるだけの話になってしまうんじゃないかな?
そんなのよりも「家族が無ければ老後の生活は成り立たない」昔だったら当たり前のそんな環境に立ち戻したらどうですかね? そんな環境の方が結婚や子育ての動機づけになるのでは? と思いますけど。
最後に、以前にも書いたと思うけど、高齢者の多くは、 目的があって生きているわけじゃなくて、死なないから惰性で日々を生きているだけの話。 昔からポックリ死願望を多くの人々は持っていて、 それが実現するなら平均寿命と言われる80歳までも生き続ける必要は無いと思っている人が多いんじゃないかな。 そんな願望を爽やかにあっさりと実現出来る手段を国は与えてくれれば良いと思うけどな。 67歳になった僕の生活を省みて云うと「仕方なしに強引に目的を作って山歩きをしたり」、「日々の些細な事を針小棒大なブログ記事にしてダラダラと生きて居るだけ」 そんな日々の繰り返しが実情ですから。
20代の頃は年金のことなんか、これっぽっちも意識したことは無く、30・40代の頃も我々が納めている掛金は基本的にはどこかに積み立てられて、利子も付く形で運用されているのだろうと思っていた。 でも各地に建設された厚生年金会館、病院、老人施設、それらが我々の納付した金を原資に建設され、 人件費にだって使われているらしき事を知り、 薄々危なさを感じ始めた。 「現役世代の納付金で年寄りへの支給を賄う」そんな制度では人口増加が止まり、経済活動が縮小すれば制度の維持が難しいのは判るし、 最近でも年金記録問題を徹底的に調査するなんて馬鹿げた作業に多量の人員と費用を投入して、なんの悪びれた風も無い所管の省庁。 こんなじゃ年金財源の費用が破綻するのが目に見えます。
それで自分の採った行動は、現役から離れる時迄に世の中の平均貯蓄額を上回る資金を用意すること。 生活していくのに必要な物の値段は世間の大半の人が使える金で購入出来る様に決まっているとすれば、 年金制度が破綻して年金が大きく減額されたり、支給されなくなって多くの人々の購買余力が減ったとした場合、世の中の物価も安くなってくれるんじゃないか? だから「世間一般よりも、少し余分に現金を持っていれば、 少しだけ余力を持って生きていけるだろう」、そんな風に考えて資金を準備するために現役生活を65歳迄いやいや延ばす生活を続けたのです。
ところで最近報道された、「年金制度維持のために更に支給開始年齢を遅らせる」そんな解決策は好みじゃ無い。 先日の会津の山旅の宿でこの年金制度変更案が話題になった時に話した僕の解決策を書いておきましょう。 勿論その場では年金受給中の仲間からは鼻白む表情で無視された内容ですが・・・
☆ 支給開始年齢は60歳に戻す。
☆ 支給停止年齢を設ける 例えば 75歳。
★ 停止年齢に到達した以降、 申請者に国は一酸化炭素のボンベ購入券を支給する。
つまり、「年金支給停止年齢以降は自力で経済的に活きて下さい!」そんな基本方針にするのです。 年金が停止されて経済的、健康面、あるいは精神的に「あの世への旅立ち」を意識した者は 支給された一酸化炭素のボンベ購入券を有効利用するのです。
今だって、そんなガスボンベは市販されては居るのですが、近所のスーパーで買う気軽さで購入する事は出来ません。 だから国が発行した購入券があれば正規に気軽に購入出来る、 そんな風になったら良いのにと思うことがあります。 そうすりゃ、不健康な状態で医療費膨らませる事態も少なくなるだろうし、年金欲しさに受給者の死亡を隠して延々と年金を振りこませるなんて馬鹿者も阻止出来る。
それから少子化対策に国は子供手当てなんて大金投じているけれど、 金を子育て世代に与えれば、教育産業等がそれをむしり取る事業を拡大させるだけ。 子育てに今より沢山の金が掛かるだけの話になってしまうんじゃないかな?
そんなのよりも「家族が無ければ老後の生活は成り立たない」昔だったら当たり前のそんな環境に立ち戻したらどうですかね? そんな環境の方が結婚や子育ての動機づけになるのでは? と思いますけど。
最後に、以前にも書いたと思うけど、高齢者の多くは、 目的があって生きているわけじゃなくて、死なないから惰性で日々を生きているだけの話。 昔からポックリ死願望を多くの人々は持っていて、 それが実現するなら平均寿命と言われる80歳までも生き続ける必要は無いと思っている人が多いんじゃないかな。 そんな願望を爽やかにあっさりと実現出来る手段を国は与えてくれれば良いと思うけどな。 67歳になった僕の生活を省みて云うと「仕方なしに強引に目的を作って山歩きをしたり」、「日々の些細な事を針小棒大なブログ記事にしてダラダラと生きて居るだけ」 そんな日々の繰り返しが実情ですから。