横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

股関節新生記念日 (4周年)

2018-08-04 | 変形性股関節症
今年もこの日がやってきました。

丸4年になりました。

毎年同じことを書きますが、同じことを書けるということは
なにより順調な証拠

そして、励ましてくださった皆さんへの感謝の気持ち
それ以外のなにものでもありません。

股関節症のカテゴリーも、二年が過ぎてからは検診と記念日しか
記事がない。
そのくらい何もないということです。

逆に、最近はセントラルの古いメンバーの方から
相談を受けることが増えました。

最近急に痛み出した方、医師からすでに手術を勧められている方など

そのようなとき、どういう対応をするかというと
もちろんまず症状についてお話を聞きますが、
それに対して、絶対に自分の体験を押し付けたり
しないようにしています。

いつも言いますが、この病気は死に至るものではありませんから
診察を受けるのも、手術を受けるのも、ご本人の考え方次第です。

ですから、なるべく相手に合わせる、考えを肯定するよう心がけます。

悩んでいる方は、同じ病気を克服した私のような者に聞いてほしい
だけだからです。

そのうえでどうされるか決めるのはご本人ですから

病院を聞かれた時は、それだけは私自身がいいと思ったところを紹介しますが
そこを選ぶのはやはりご本人です。

関西医大がもちろんイチオシですけど、まさかね
さすがにそれは無理ですね(笑)

これから病院に行こうとする人、なんとか手術を回避しようと
頑張って運動している人、
このような方は希望がありますが、
一番辛いのは、せっかく手術を受けたのに、未だに痛みが取れず
なんのためにやったのかと嘆いている、という話

数多くの患者がいれば、確率としては当然そのような不運な方がいるわけで
お気の毒としかいえないのですが、
それだけに我が身の幸運に感謝なのです。

久しぶりに偶然知人に会ったりすると「大丈夫なの?もうすっかりよさそうね」と
ほぼもれなく同じことを言ってくれます。

若い頃を振り返ると本当にまさかの今です。

今日、高校の古稀記念同期会の知らせが届きました。
前回の集まりはいつだったかしら?

4年前よりもっと以前だったことはたしかです。

この見事な両脚に人工股関節が入ってるって知ったら
驚くだろうなあ
誰より元気な落ち着きのない私でしたから

別の意味で楽しみになってきました。

4年前、今ごろはまだ夢の中でしたね。




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4年目検診

2018-05-17 | 変形性股関節症
毎年桜の開花に合わせて行っていた股関節検診
今年は事情があって今月にしました。

毎年のことながら検診のおまけのほうが大きい大阪行きではありますが
まずはメインがこちらですから、検診の報告です。

最寄駅前に前泊して予約時間(9時)の30分前に病院に入りました。



再診の手続きをしてたら機械に拒否される

受付の女性に聞いたところ、前回から1年以上経っているから初診扱いらしい

初診と言うことは、まず問診票を事細かに書かなければいけない

病気の発症はいつかとか、身長、体重まで・・ああめんどくさい

別の用紙では<がんになったら真実を話してもいいか、隠してほしいか?>なんて項目も
たしかにこれは大事なこと、一瞬躊躇してしまったけど<話してほしい>ほうに〇

この年になったから隠されてもと思ったけど、果たして本当に受け入れられるだろうかと
妙に真剣になる

そこからようやくレントゲン撮影に

去年は空いていてあっという間に終わった、やはりメガ枚方病院とは違うんだと納得してしまったのですが
なんと、レントゲンに30分以上かかった
患者さんが多いのに撮影室は2つしかないし

ようやく呼ばれて、「下半身ですがブラジャーは外してください、ズボン類は膝下まで下げて」
やっぱり着替えはないんだ・・・

もう文句言う気にもなれず、言われたまま撮影台に乗る
もちろん下半身はバスタオルをかぶせてくれましたが・・

この撮影で上半身関係あるの?と思いましたが専門的な何かがあるのか?

今回は今までにない角度からの撮影もやりました。

お見せできないのは残念ですが、少しのずれもなくしっかりはまっている様子がよく分かる画像でした。

ってこれはU医師に会ってからの話ですが・・

そのU医師、去年は枚方病院から移動して間もなくでした。
そのせいかどうかわからないけど、患者さんがまだ少なかったのかな?
たいして待たずに診察が受けられたので、大学病院らしからぬ速さで検診終了でしたが



受付にある診察状況を知らせるボードですが。U医師90分遅れとなっています。

この1年でどれだけの患者さんを診てきたのかがよく分かります。

他の先生方に比べてダントツの待ち時間、ヤレヤレと思いつつもなぜか親心になって
この病院で、整形で一番必要とされているのかも、なんておかしな安堵感を覚えたりして

レントゲンが終わってから2時間後やっと診察室前に行くよう指示がありました。

レントゲン結果は異常なし、これが一番大事です。

何か変わったことは?

右脚のほうが時々痛みます。

アクアビクスをやって脚を振り上げたりすると痛みが増すので
適当にやってますけど、左は何でもないのになぜ?

おそらく、右は2度の手術で神経を切っているからそのせいもあるのでは?とのこと

レントゲンに異常がないのだからそれほど心配はないそうです。

歩いても問題はないし、自転車だって平気ですから、湿布をすると楽になるので
多めに処方してもらいました。
重たいから処方箋の紙だけ持ち帰りましたが

そんなことで今年も何事もなく検診終了・・めでたし、めでたし

この後、お楽しみが始まるわけですが、その報告はまた改めて

ホテル前泊と言うことはもちろん前日も遊びました。

それも後程ですが・・・

こんなこと書いてどうなのかなと思ったけど、会った友人にはつい愚痴ってしまいましたけど

初日の午前中、新横浜からひかりに乗り込んだときの話です。

モバイル乾電池を持っていないので、新幹線はかっこうの充電場所
それも窓際席にしかコンセントがありません。
(最前列は両方付いてますけど)

この時期だから富士山も期待できないし、景色はどうでもいいからとにかくコンセントが大事

そして指定の席に行きました。

すると・・・外国人の(アジア系ではない)女性がすでに座っている

一瞬<Wブッキングか?>

ところが、その女性、手振りで、この私に<通路側のひとつ前に座れ>って

はあ???

見ると隣には彼氏らしき人物が座っているじゃないですか
並んで取れなかったんでしょうね。

東京からなのか品川からなのか知らないけど、乗ってみたら窓側が空いていた
来たら替わってもらえばいいだけよって?

冗談じゃないわ、人が早々予約してあった席をふざけないでよ・・って言いたかったけど
英語がわからないから、言葉を全部表情に変えました

元々ひどいのにもっとどうしようもない顔つきになっていたはず

だってそうでしょう

なのに、その子、もうその子というけど、全く気にしないで前の席を指さしている

そして「すみません」とたどたどしい日本語で一応謝り?

悪いことをしたと思っているのね、口先だけは

結局仕方なくその席に座ってしまったけど、それからは私の中の鬼と仏が入れ代わり立ち代わり

昨日帰宅してから娘に話したら、
「気にしないでどいてよって言えばよかったじゃない、それが言えなかった時点であなたの負け~」

どうしてうちの娘は<そうだったの、大変だったね、ひどい人たちね>って言ってくれないのでしょうか

ほんの少し前なら、<海外から来た人たちに日本人の優しさを見せなきゃ>なんて思ってたけど
こう多いと、迷惑なことも多くなるし、嫌な顔するのも日本人なのよとおべっかなんか使わない

それでも、もしどかせてたらそれはそれで後悔するかもしれない

そう、そこが鬼と仏の微妙なところなんです。

仕方なく座った席のお隣さんは、まじめなサラリーマン風の中年男性
<しかたがない、事情話してコンセント借りよう>と
アダプターを出そうとしたら、先にその方の充電が始まってしまった。

そこでまたイライラ・・後ろの席に鬼の気持ちが向く

彼女は彼の肩にもたれて気持ちよさそうに眠ってますよ

前後じゃそれもできないものねえ

また睨んでしまったけど相手は眠っていて見てないし・・

なんかギャグみたいになってきましたね(笑)

京都まであと30分、と言うところで、お隣の男性が充電完了
すかさず「すみません、充電させていただいていいでしょうか?」

間髪入れずでしたから、どんな丁寧語使ったって、待ちに待っていたことはバレバレ
「すみません、いかにも終わるのを待っていたみたいで」

そうです。待っていたんです。

それもこれも全部後ろのもたれかかり女のせいだわ・・だんだん言うことが下品になってきた

京都で私とお隣のサラリーマン風は下りました、が、どこまで行くのでしょう
後ろのカップル、相変わらず肩にもたれて眠っています。

私なら様子を察して眼をさまし、もう一度謝るけどな・・反応なしでした。

もっとも小心者の私は人が取った席になんかに座れませんけど・・

やれやれようやく京都到着です。

5月、新緑の候、京都は修学旅行生で大賑わいのようです。

JR奈良線ホームに向かって奈良行きのこじんまりした電車に乗り換えました。

ここではとてもいい出会いがありました。

捨てる神あれば拾う神あり・・実感


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今年の検診とおまけの計画

2018-03-16 | 変形性股関節症
今年もあっと言う間に2か月半が過ぎてしまいました。

寒い寒いと、ついこの間まで言ってたのに、暖かくなって助かったと思ったら久々の花粉症

春は大好きな季節のはずなのに、花粉症さえなければね

まだ油断はできませんが、高知ではいち早く桜の開花宣言がありましたし
間もなく全国に広がって行くことでしょう

春と言えば年に一度のイベント、イベントか?

股関節の定期健診の季節です。

手術をしたのは真夏なのに、どうせ行くならとわがままを通してもらって、毎年桜満開の時期を選んでいましたが
今年は諸事情あって5月に予約を入れました。

まだ2か月ほどあるけど、そこは自分一人の都合で動くわけにはいかない

大阪には年に一度を待っていてくれる(だよね?)友人たちがいる。

毎度のことながらこちらの都合で勝手にスケジュールを決め、それに合わせてくれる
ありがたい、ありがたい友人たちです。

「久しぶりに会いたいから出てきてよ」という誘いに快く乗ってくれた福井のわんこさん
2年半ぶりの再会になります。

大雪の話も聞くからね、その他のたまってる話も聞くからね

もちろん、要はもとさんです。おばさん二人のお相手よろしくね。
今からわくわく、楽しみです。

人工関節にしてからは毎年、今年はどこに行こうかと思いを巡らせるようになりました。

いよいよ痛みが増してきたころはとてもそんな気分になれなかった。

それが今では毎年のお楽しみに

で、今年は、初日ですが一人の時間ができました。

毎年4月だったから桜のことしか頭になかったけど、もう葉桜になってしまっているし

そこで調べてみましたよ

5月と言えばつつじですから ”京都つつじ”で検索

すると、いろいろな神社仏閣、観光地が出てきました。

その中で気になった場所がありました。

この10何年か、京都には毎年行ってかなりいろいろな場所を観光しましたけど

”宇治”方面には行ってなかった。

宇治と言えばお茶ですが、名所旧跡で有名どころと言えば”平等院”です。
そういえば54年前行ったなあ  中学校の修学旅行の時です。



ずっと気になっていました。

よ~し、行ってみよう

ついでに”三室戸寺”にも

こちらは何年前だったかしら、夫との旅行、長谷寺のぼたん、室生寺の芍薬のコースでしたが
途中立ち寄った三室戸寺、花の寺として紫陽花、つつじが有名らしい

紫陽花の時期にいつか行ってみたいと思っていたのですが、今回も5月ですから無理です。
でも、つつじはきっと見事なはず

早速アクセスを調べたら、京都から近鉄奈良線1本で宇治まで行けば
両方とも見られそうです。

しかし、歩いたらどのくらい?

歩くことに抵抗はなくなったものの、無理することもないからタクシー使おうか
バスはあるのか?

ちょっと待って、もしかして、京都の一人歩きと言ったら
私の京都観光と言ったら”自転車”

こちらも早速調べました。ありましたよ 宇治の駅近くに自転車屋さん

はい、これで問題は解決、簡単なことでした。

一応前もってどんなコースなのか、道の状況とか聞きますけど、なんかわくわくしてきましたよ

自転車なら見たいところをゆっくり見ることができます。

荷物は京都駅に置いて来ようと思ったけど、もしかしたら自転車屋さんで預かってくれるかもしれない

まったく何しに大阪まで行くんだか・・お叱りを受けそうですが
どうせ・・ですから・・どこまでもおまけですから

3年半前、こちらでも手術できたのですが、あえて大阪に決めたのは、もちろん医師への信頼もあったのですが
このおまけがなくなるのが寂しかったというか、
こうして毎年会ってくれる友人たちがいたからにほかなりません。

あと5年?10年?いつまで通院できるかわかりませんけど”おまけ”を励みに元気でいられるような気がします。



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股関節新生記念日(3周年)

2017-08-04 | 変形性股関節症
8月4日です。

今年もこの日がやってきました。

終戦記念日とか、原爆投下日のようなとてつもない大きさの記念日とは
とても比較にはなりませんけど

私の人生にとったら誕生日に匹敵、いやそれ以上に大切な日であります。

ほんとにもう今さら感いっぱいですけど、無事に丸3年が過ぎようとしていることに
けっして当たり前ではないということに感謝する日でもあるのです。

ブログでの闘病記録は結局中途半端で終わってしまいましたが、
今元気で飛び回れていることがその後のすべてです。

久しぶりに入院時に毎日書いていた入院日記を出して読んでみました。

たった1か月の入院なのに4回も部屋が変わった

その都度ご新規さんになるわけで、これでも意外と小心者はえらく気を遣った

そのあげくが・・

最後の部屋に移ってすぐ、体に異変が

まず両腕から症状が、最初は2週間ぶりの入浴で汗をかいたからあせもではないかと看護師

とにかくかゆいので保冷剤で冷やすのだが、すぐに溶けてしまってまたかゆくなる。

そんな時、入院仲間だったTさんからにぎり寿司の差し入れが

この頃、食欲が落ちて、看護師から「何でもいいから、菓子パンでも普通のお菓子でもいいから食べて」
と何度も言われていた

だって毎日たっぷりのご飯ばかりで、おかずはまずいし、その上相当精神的に参っていたらしい

そこへうれしい差し入れ、お寿司ですから当然生魚だけど、おいしかったわ
ぺろっと平らげてしまった。
食欲がないって??わがままはわかってるんです。でも病院食はいやだった

その日の夜のこと。

突然激しいかゆみが来て、もう我慢できない

両腕が真っ赤に腫れてきてる。

就寝直前だったけど、すぐに処置室と言うところに連れて行かれた。

そして当直の医師が来た。

「これはひどいね、顔にも出てはるよ」

薬を処方してもらって、翌日には楽になったけど、結局この薬はずっと飲み続け
退院時にも追加で処方された。

原因は寿司ではありません、私の情けないメンタルが起こしたもの

ストレスからも蕁麻疹が出る、友人のSさんもご主人といると出るって言ってたわ(笑)

たった1カ月の入院なんてあっという間、下界にいるとそう思えるけど
実際、あまり変化のない毎日はいつもの何倍も時間経過が遅いように感じる

個室だったらこんなことなかったかもしれないけど、そう、なんでも先立つものはお金?

今度入院するときのためにせっせと貯金しなくちゃね。

でも無理だわ、

<自分で行きたい所に行けるようになる、やりたいことができるようになる>

これが一番の目標で頑張ったのだから

その念願かなって今回はあるところに行ってきました。友人たちと、
もうだれも私の股関節の心配してくれなかったわ

これで良し、3年経ってもう一つの目的<友人たちに気を遣わせない>達成しました。 
ばんざ~いです


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3年目の検診・・関西医大香里病院へ

2017-04-13 | 変形性股関節症
10日から2泊3日で3年目検診のため、大阪は寝屋川市香里園の関西医大香里病院に行ってきました。

病院の正面



なんと京阪本線香里園駅から徒歩1分、駅直結で病院に入るための屋根付き歩道橋ができているため
あいにくの雨にもかかわらず、傘の必要もなく大変助かりました。

枚方病院に比べたら、すべてにおいて規模は小さいけれど、受付の方の応対が気持ちよく
すっかり安心

まずはレントゲンです。

待っている人が少なかったせいか5分ほどで呼ばれました。

男性技師「ズボンに金具がありますね。ぬげますか?」

そりゃぬげますけど、下はストッキングですから・・ぬいだまま・・ですか?

ああ!と思いついたようにパジャマのズボンを用意してくれた。

また比較じゃないけど、枚方では脱衣所に薄いガウンみたいな着替えが用意してあったわ

ここも違うところ

比較してはいけないと思いつつ、ついねえ

そういえば、受付で渡されるはずの端末もないからどこにも行けない、けど
どこに行く必要もないほどとにかく早い

レントゲンが終わると診察室の前に、そこでやっと枚方と同じように、ドア横に診察番号が出るようになっていた
ここで20分くらい待つ

順番が来ました。

「その節はわざわざお電話をありがとうございました」

病院のHPを見ると、先生栄転のようだ、こちらで経験積んでもっとステップアップするのかな?

年は若いけれど誠実だし、腕はよさそうだし、きっと飯田先生のようになる・・はず

レントゲンの結果、異状なし、◎でした。

こんなに元気に飛び回っているのに、なぜ1年に1度の検診が必要かというと

あるサイトから

<ゆるみの原因>

人工股関節はライナーと骨頭ボール部が接触しながら動くため、摩擦で材料の摩耗粉が発生します。
摩耗粉を異物と認識した生体(細胞)は反応し、人工股関節の周囲の骨を溶かしてしまう骨吸収が起こります。
そうすると、しっかり固定していたはずの人工股関節周辺に隙間ができてしまいます。これが、ゆるみの原因です。

怖いですね~

実際これで再手術を受けている人もいるようです。

U医師とは自転車の話、前日と翌日の話、他愛のない話をして10分かかったでしょうか
終了です。
でもこれも順調だからこそ、また1年後の予約をしてお別れしました。

所用時間約1時間半、大学病院でこの時間は驚きです。
長時間待たされるのは当たり前だと思っていますから

<飯田先生は今どうされているんですか?>聞こうと思ったけど聞けませんでした。
聞いたところでどうなるものではないし

病院変わってよかった、枚方に行ったら、あの診察室の前に行ったらぜったい悲しくなってしまう

飯田先生とのお別れは、メガ病院である枚方病院とのお別れでもありました。

<これでよかったんだ>と自分を納得させて、駅に戻り京阪電車で京橋に向かいました。


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股関節新生記念日(2周年)

2016-08-04 | 変形性股関節症
今日は8月4日、あの日から2年が経ちました。

元気になったのだからもう・・・という考えもありますが
こうして毎年綴ることで、あの日の気持ちを忘れずにいたい

それだけ人生の分岐点になった日でしたから

この2年の行動は、みなさんあきれるほどでしたが、すべて偶然ではないのです。

セントラルのアクアビクスでは、いつの間にか昔と同じ、最前列で張り切っています。

歩くことが苦痛ではなくなりました。というか、普通に当然歩くものだと意識をしなくなってきました。

満員電車でも苦になりません、もちろん空席があれば座りますが、

それでも、エレベーターやエスカレーターがあったら、わざわざ階段を使ったりしません。
なにも無理にすり減ることをする必要はないからです。

健康な友人たちは、すぐ階段を利用しますが、敢えて言います。

「年寄りが無理して階段登ることはないのよ、余計な負担がかかるだけ
筋トレは負担がかからないようにやりましょう」って

それでもなかなか聞き入れてくれませんけど(笑)

健康でも少しずつ軟骨が減って来てますから余計なことをすると負担がかかってろくなことはないです。

若い人はいいんですよ、どんどん階段登ってください

こんなことで、階段や坂道、平気になりましたけど、なるべく無駄な消耗をしないように暮らしています。

入院中はこの先、ほんとに歩けるようになるのかしら?と不安でいっぱいでしたけど
やはり、手術ぎりぎりまで鍛えていたことが功を奏したようです。

ほんとうに筋肉は大事です。私の場合、特に大腿四頭筋と腸腰筋、そして腹筋、
もちろんその他の筋肉も大切ですけど・・・

入院中に書いていた日記を読み返してみました。
術後3週間のころ、担当医師に「腹筋やっていいか」と聞いています。

もちろん答えは、腹筋と言っても頭から肩を上げるだけなんですけどね

順調すぎて、こんな余裕があったんですね。

ストレスから蕁麻疹が出た時期もあったけど、読み返すとまるで他人事のように面白い

とてもブログには紹介できないこともたくさん書いてありますしね。

でも改めて、忙しい中、毎週のようにお見舞いに来てくれたもとさんはじめ、友人たちには感謝です。

そして、直接は来れなくても、メールでいっぱい励ましてくれた皆さんにも

そうです。
毎年、今日と言う日を回顧するのは、激励し、回復を心から喜んでくださった皆さんへの
感謝の気持ちを忘れないため

大阪は今日も暑そうです。

2年前、手術台に向かった時刻、今年はセントラルでアクアビクスです。





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改めて人工股関節置換手術について

2016-04-28 | 変形性股関節症
人生の大きな分岐点となった人工股関節置換手術から間もなく1年9か月を迎えます。

先日の検診でも、全く問題なし、よほど激しいスポーツ(ラグビー、サッカー、柔道など人との激突が予想されるもの)以外は
何をやっても構わないとのこと

セントラルのジム内にある、台の上に乗ってスイッチを入れると、全身がブルブル震える機械
体幹を鍛えるようですが、長い間、これは無理だろうと躊躇していたのですが
今回聞いたところ、それも大丈夫だとのこと

もっともいまだに勇気がなくてやってないのですが・・・

手術をやったことを知らない人は、ぜったい気づかないくらい普通に戻りました。

もしかしたらバレーボールもできるんじゃないかと思うこともありますが
さすがにこれは、夫が絶対反対どころか、阻止することでしょう。

術後しばらく考えていたことは、ほとんどことごとく実行に移すことができたし
ほんとうにやってよかった、順調に来てよかったと、感謝の気持ちは何年経っても
忘れてはいけないと、決して当たり前ではないのだと謙虚に思っているのです。

先日の検診時にも、待合室でいろいろな症状の方にお会いしましたが
中には、なかなか思うようにならない方もいましたし、

交通事故で後天的に体が不自由になってしまった方に至っては何と言ったらいいものか
あまりにお気の毒で言葉も見つかりませんでした。

私が手術を受けた関西医大では、人工関節(膝も含む)置換手術、片方の場合は通常3週間
両方の場合は1ヶ月、の入院期間が決められています。

人によって、患者の自宅環境によって、転院という選択肢もありますし
自立するまで、しっかりとしたフォローがあります。

MIS(最小侵襲手術:Minimally Invasive Surgery)

初めて聞く方のほうが多いかと思います。

現在、多くの病院で取り入れている手術法です。

我が家から比較的近い専門病院でも、この方法が取り入れられていて、多くの患者さんが手術しているようです。
最少侵襲・・つまり、傷口が小さい、したがって治りも早い?
なんと術後5日で退院、もっともこれは全く問題のない人だけのようですが・・

私も以前、行ってみようかと迷った時期がありました。
なんといっても専門ですし、近いし、
でも飯田先生への思い入れのほうが勝って、結局行くことはありませんでした。

入院中も、大阪の人たちに「○○人工股関節センターって近いんじゃない?なぜそちらにしなかったの?」と
質問されたことがあります。

当時、詳しいことはわからなかったけど、どうしても納得がいかなくて、そちらに行く気持ちは起きませんでした。

病院、特に整形外科などは<年間術数 ××件>なんて数字が目につき、たくさんやっているところのほうが
いかにもいい病院なのでは?と思われがちです。

5日で退院と言うことは、それだけ新しい患者が入院できるということ
おのずと術数は多くなります。

この術後5日目、改めて自分に置き換えてみると、まだ車いす生活でした。
もちろん術後2日目からリハビリが始まりましたから、ベッド上にいることはなかったけど
トイレは車いすが入ることが条件でしたし、1週間目にようやく歩行器に頼って歩く練習を始めました。

そんなころに退院、自宅に帰る・・もう恐ろしくて考えただけでめまいがしそうです。

確かに傷口が小さいということは、回復も早いのかもしれませんが、それはあくまでも傷口だけのことで
人工関節の部分は全くいっしょです。

それでも何人もの医師と、大勢の患者がそれを取り入れているということは、それだけの結果が出ているから?

私は、症状が悪化してから、比較的短い期間に手術をしましたので、跛行はそれほどなく
術後、正しい姿勢で歩けるようになるのに時間はかかりませんでしたけど

長い間、痛みが続いていて、跛行のひどい人は術後、まっすぐ歩けるようになるまで、相当な時間を要するとか

手術も大事ですが、その後のリハビリの大切さを身を持って知った以上、5日間で退院と言うのは
どうしても納得できない
5日で退院して、その後のリハビリは?家での生活は?
1日も早く職場復帰しなければならない方、幼い子供さんを抱えた方
それぞれ事情はあるのでしょうが、何より心配な術後3か月、

ある医師のサイトから拝借しました。

股関節は「関節包」という強力な袋でカバー(補強)されていますが、
人工股関節に置き換える際にこの関節包を取り除くことが多いため、
手術後、関節包が自然に再生するまでの数ヵ月間(3 ヵ月程度)は、
支えがなくなるために脱臼しやすくなります


私も術後、医師を始め、看護師、理学療法士から何度も3か月、3か月としつこく言われたものです。

退院後の2か月は特に細心の注意を払って過ごしました。

先日、ある方から相談?というかお話を聞く機会があり、この病院の話になりました。

結論から言うと、病院を選ぶのはそれぞれの考えです。
ご自分が納得したならそれが一番だから、とお答えしました。

もちろん私は選びませんけど・・・

この件に関して、北海道のある病院のHPにこんな文章がありました。


<当院の股関節MIS(最小侵襲手術:Minimally Invasive Surgery)


最近、人工股関節全置換術においてMIS(Minimally Invasive Surgery)という言葉が流行っているようです。その意味は最小侵襲手術ということですが、はたして本当にそうなのか疑問をもっている股関節外科医は多いと思われます。

そもそも手術というのは安全に、正確に目的を達成することが何よりも大切なはずです。しかも人工関節手術の真価は10年、20年あるいはそれ以上の長きにわたる長期成績にあります。

私の考える最小侵襲とは筋肉、軟部組織の損傷、挫滅および出血量・合併症が少なく手術時間も短いことであり、決して皮膚切開が小さいことではないということです。MIS(6~8cm程度の皮膚切開)の報告をみても手術時間、出血量、合併症のどれをとってもとても最小侵襲とは思えません。逆に感染や脱臼・骨折などの合併症が多くなっているようです。皮膚切開が小さすぎると、無理やり皮膚を引っ張ったりするため裂創や挫滅創を作ってしまい、メスで切った少し大きめの切開創より治癒が悪くなるのは当然であります。小さな皮膚切開では手術に必要な視野を得るのが困難となるのは当然で、それを補うために特殊なレトラクター(皮膚や筋肉をよけるもの)を用いたりします。手術の道具を工夫するのはよいことですが、“MISでもできるように人工関節のデザインを変更する”などという考え方は大変危険な思想であり本末転倒はなはだしいという感じです。人工関節手術において最も大切なことは安全に、理想的な位置に確実に設置することであり、そのためにはある程度の大きさの皮膚切開が必要です。中身(人工関節の位置、角度、設置具合)が同じなら傷は小さいほうが良いのは当然ですが、その中身が同じというところがブラックボックスであり、MIS症例の術後XPでは理想的な位置とは程遠いものも散見されます。どんな位置に設置されても術後には痛みがとれて非常に楽になるのが人工関節でありますが、理想的な位置に設置されたものとそうでないものとでは、長期成績でのゆるみの出現率や再置換率にはかなり差が出ると思われます。もちろん皮膚切開をむやみに大きくすることには反対です。長期成績を犠牲にすることなく、合併症を増やすことがない範囲内で皮膚切開を小さくしていくことは当然のことですし、今までもそうしてきましたが、小さすぎる皮膚切開は“悪”であるということです。

繰り返しになりますが、手術には優先順位があるということです。まず第一に安全であること。第二に長期成績が安定していることであり、切開の大きさはその後にランクされるべき枝葉末節の事柄であるということです。ところがMISをアドバルーンにあげて宣伝した場合、皮膚切開が小さいということが第一の優先順位になり、安全性や長期成績が二の次になりかねないということが危惧されるわけです。

次に入院期間に関してですが、MISだと皮膚・筋・腱切離が少ないため早期リハビリが可能で入院期間が短いと強調されています。しかし、MISでいけるという患者さんは手術が比較的簡単な場合(変形も少なく、可動域もそれほど悪くない)ですので従来法でも早期リハビリは可能で入院期間は大差ないと思われます(当院にて従来法で施行した患者さんの多くは手術翌日より荷重歩行しています)。患者さんには傷しか見えませんので心理的な要素が大きいと思われます。一方MISではとても手術できない重症例(脱臼位や変形が強く股関節の動きが殆どない場合)では十分なリハビリが必要ですので当然入院期間が長くなります。

最後に関西医大の飯田寛和教授が人工関節に関する医学雑誌のなかで、整形外科医に向けて鳴らした警鐘の言葉を引用させていただきます。「現在のMISに対する熱気には、他の部分でのセールスポイントが枯渇してきたメーカーの宣伝や、施設基準設定(年間の人工関節の手術数が一定以上でないと手術点数が一部カットされる)などの圧力から症例集めのアドバルーンとなるといった背景を強く感じます。理論的に小切開、小侵襲が良くないはずはないわけですが、従来の術式に習熟していない術者が行き過ぎた小切開手術へなびきすぎると様々な弊害が生じる可能性があります。」(整形・災害外科 Vol.47 No.13 2004 から一部抜粋)

要するに、長期成績を犠牲にすることなく、合併症も少ないという大原則が守られて初めてMISという手技が成り立つのですが、現時点でははなはだ疑問であるといわざるを得ないということです。>

この文章を読んで、改めて、MISを受けた患者の何割がこのようなことを知っていたのか、疑問に感じます。

1ヶ月の入院期間、理学療法、作業療法、リハビリを受けたおかげで
家に帰っても安心して毎日を過ごすことができたこと、それは大変大切なことだったのです。

そして、今があるのです。

このところ、胸につかえていたことを書き留めました。




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2年目検診に行ってきました

2016-04-15 | 変形性股関節症
4/11~4/14まで、股関節の検診を兼ねて、京都、大阪に行ってきました。

手術したのが8月なので、本来ならば8月に行くことになるのですが・・・

前の手術(2004年8月)の時同様、どうせ関西に行くならというふざけた理由で
いや本当は真夏の関西の暑さには耐えられないので、今回からまた4月のこの時期に予約を入れました。

前夜は大阪でミニオフ会でしたが、その話は後程と言うことで、まずは一番の目的、検診です。

今回は過去十何回と来た検診とは少し?いや大きく相違があります。

それは・・・飯田先生最後の検診

今までは検診日が近づくにつれ、もうすぐお会いできる・・考えただけでわくわくしたものです。
それは手術決定前の、傷みのひどい時でもまったく変わることはありませんでした。

ところが、今回は違う

来阪が近づくにつれて、ますます気持ちが重たくなる

検診日が近づく=先生との別れ・・思っただけで涙が出てきました。

初めて診ていただいた日の事、最初の手術のころの事、その後の検診の事
痛みがひどくなってきて二度目の手術を決めたときの事、

入院、手術、週に一度の教授回診で激励を受けた日の事

そのすべてが思い出されます。

特に初めて先生に会った日、直感で<この先生の手術を受けたい、他の医師ではいやだ>と思ったことは
もう運命にしか思えませんでした。

その先生とお別れ、もう一生お会いすることはないかもしれない
そう思っただけで涙・・当日が来るのが怖かった。

それでも月日は経ちます。

診察室に入ると、いつもと変わらない笑顔で迎えてくださいます。

レントゲンの結果は異状なし、ベッドに横になって脚の開き具合、曲がり具合、足の長さを計る
すべて問題なし、めでたしでしたが

「僕は来年二月で退職だから、今回が最後だね」と言われた

そのとたん、ううう~っと、我慢してきたのに涙が止まらなくなりました

「先生なぜ?まだお若いのに・・どこか別の病院に行かれるんですか?ヒック ヒック

「大丈夫だよ、何かあったときにはすぐに連絡が来るようにしてあるから、心配しないで」

この一言で気持ちがスーッと楽になりました。

それと同時に、暖かいものがじわじわと広がってきました

こんな患者想いのすばらしい医師に私は巡り会えたのだ、
辛い時もあったけど、いつだって先生がいてくださった
その上、この先の心配までしてくださっている・・

心の底からあの日、先生に一目ぼれした自分の目は間違っていなかったのだ、と思えました。

先生は今後、全国から難しい手術の依頼や、アドバイスの依頼などに応えつつ、
日本人工関節学会の理事長として活躍されることでしょう。

先生を必要とする患者さんは全国にいるはずです。
ますます多忙になり、席を温めている暇もなくなると思います。
自分の立場に胡坐をかいている偉そうな輩とは違うのです。

ますます大好きになってしまった・・けど、もうお会いできないかもしれない

飯田先生、お世話になりました。
先生の一言一言が思い出されます。

「痛くなければ自転車は構わないよ、却って脚にはいいくらいだ」そんな言葉も鮮明に覚えています。

寂しいけれど、いつかは来ること、来年も予約しましたが、もう先生の診察はなし
執刀医のU先生がこれからの主治医になります。

U医師に言いました。

「先生、絶対辞めるなんて言わないでくださいね。私が路頭に迷ようなことはしないで」と

大げさですけど、今さら別の病院に行くのも考え物だし
何と言っても検診以外のおまけが大きいですから

今回もたくさんのおまけがありました。
その報告はまた後日、検診結果がよかったおかげで心から楽しむことができました。



留守の間にクンシランが開花しました。


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ほんの少し秋を感じて

2015-08-24 | 変形性股関節症
8月も下旬に入って、あの猛烈な暑さから少しだけ解放されました。
北側の窓を開けておくと寒いくらいの風が入ってきます。
それでもあと1カ月は油断できませんから相変わらず熱中症には要注意です。

このところ、時々このノートを取り出しては1年前の今日を思い出しています。



入院中に毎日書いていた入院日記です。

このノート、表紙と裏表紙の模様が違うのでこんな写真になってしまいました。
この違いが気に入って買ってしまったので・・

去年の今頃・・23日(土) 午後1時半ころ、もとさんがおいしそうなケーキを持ってきてくれました。
生クリームが苦手な私のためにフルーツたっぷりのプリン

食欲がなかった時期だったからうれしかったですね。

貴重な休み、原チャリで30分も飛ばして何度も来てくれました。

このころは退院までカウントダウンに入っていましたので、退院後の不安をよく書き込んでいました。

ストレスから蕁麻疹が出たり、2本杖になって病院内を歩き回ったり、エスカレーターに乗る練習もしました。

テレビでは今年もやった日テレの24時間テレビ、去年はTOKIOの城島リーダーが走ってました。
夜のお楽しみはワールドカップバレーでした。食事が終わると夢中になって観てましたから就寝時刻が来るのが早かった

一昨日、昨日と同じ番組を今年は自宅で観てました。

他愛のないことですがリアルにあのころの感情がよみがえってきます。

先週は3回も友人たちとの会食の機会がありました。
全部は書ききれないので久しぶりに行った中華街のランチだけ



北京ダックは、こんなふうに目の前でカットしてくれます。



中華街もビュッフェが増えました。
競争が激しいのでしょうか 店の交代も多いですね。

この日は急激に風雨が強まり、港まで散歩どころではありませんでした。
後で知ったのですが、我が家の近くでは竜巻、突風で被害が出たとか
心配してくださった方が何人かいましたが、
当の本人はのんびり食事して、雨が上がるまで山下公園近くの喫茶店でお茶していました。

その節はご心配ありがとうございました。

新しい1週間が始まりました。

今週はまじめにセントラルに通います。股関節周りの筋肉が落ちると人工関節の緩みにつながるそうです。

もう少し涼しくなったら自転車にも乗りましょう

間もなく退院して1年、徐々に行動範囲も広げて行きたい・・えっ?もう十分広がってるって?
いや、まだまだです。

あ、急がなくちゃセントラルのプログラムに間に合わなくなっちゃう

コメント (6)
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1年検診とお礼参り

2015-08-16 | 変形性股関節症
昨年の8月4日、両股関節を人工に交換するという大きな手術を受けて
丸1年
正直、66年間生きてきてこんなに早いことはなかったのではと思うくらいあっという間に過ぎた1年でした。

9月1日の退院、11月の3か月検診、厳寒の2月、半年検診、そして今回の1年検診
その間、5月には9か月検診もあったのですが、ここまで順調に来たことと、遠方だからという事情でこの時期はパス

前回2月の、最高に寒い日に比べて、今まさに熱風騒ぐ大阪に一人旅立ちました

8月10日の出発時の恥は既に報告済みですが、
ここから翌11日午前の検診を挟んで、昼、夜と合計6回もの友人との再会、会食、もしくはお茶の時間

題名の”お礼参り”
去年の入院中に何度も何度もお見舞いに来てくれた友人たちに、そう、術後の1番悲惨な時期を見続けてくれた友人たちに
「おかげさまでこんなに元気になりました」その一言が言いたくて・・
決してやくざさんのお礼参りではありません。

日時は限られているので、こちらの勝手で再会スケジュールを組んだところ、皆さんが快く承諾してくださって
無事全日程をクリアできました。

ご協力をありがとうございました。

8/10(月)午前11時ころ到着の新幹線で新大阪に、地下鉄と京阪に乗り換えて天満橋駅へ
こちらでは2月の半年検診の時ご自宅に宿泊させてくれたTさんと会いました。
半年ぶりです。

2月のころよりますます元気になった私に驚いていました。
お互いにそれぞれの家庭のことを語り合い、ランチして、お茶して
来年の再会を約束して別れました。

その日の夜は、翌日の検診のために枚方市で常宿にしているホテルにチェックイン
昔の職場仲間、やはり沿線に住むSさんが、居酒屋を予約しておいてくれました。
なんとそこに彼女の3女、Kちゃんが、横浜で勤務時代、まだ保育園児だった頃
時々お母さんに連れられて来た彼女に会っていましたが、大人になってからは初めて

その顔に面影はあるものの、身長168cm、体重50kgというスリムな体はモデルさん並

その子とお酒を飲む日が来るとは、年月の経過を感じました。

Sさんも同年代としてはすらりと背が高い人、ホテルへの帰り道、ツインタワーに挟まれながら
ギリギリまで楽しい会話が続きました。

翌11日、ホテルを8時半ごろチェックアウト、駅の反対側へ徒歩5,6分病院に到着です。

受付を済ませて、すぐに1階のレントゲン撮影へ
前回はここで30人待ちだったのですが、今回はレントゲン技師の方が暇を持て余してるって感じで
暑いから皆さん敬遠してるのかしら?

ほんと、暑いです。やっぱり横浜より暑い
分かっていたつもりですが、去年は病院の中でしたからね。

思ったより早く終わったので、診察まで余裕が、朝食がまだだったので病院内のドトールでモーニング
ブレックファーストではありません、関西はどこまでもモーニング

サンドイッチとコーヒーをいただきながらメールを

今は川崎に住むAさん、検診をこの日にしたのはAさんから「せっかくだから同じ日にしてください、久しぶりに会いたいし」
Aさんも私と同じルートで飯田先生を紹介され大阪まではるばる来た人

12年前、4歳と2歳の男の子をご主人に託して2か月の入院生活を送っていました。

初めて会ったとき、その事実に私が泣き出してしまい、いまだにそれが話題になるのです。

彼女は30代で手術を受けましたから(棚形成の手術は通常初期段階で遅くても40代まで)
年齢的にもまだ軟骨がすり減ることもないので、今回も良好とのこと
よかったです。
毎年、8月に検診に来ていましたが、たまたま去年私が入院していた時は、その前年に2年後でいいと言われたため
検診がなかったのです。
毎年だったらお見舞いに行けたのに・・と

川崎と横浜ですから会おうと思えば、なのですが、子供さんの受験やなんやらで、しばらくぶりの再会でした。

さて、私の検診ですが、まずは執刀医のU医師から
レントゲンは異常なし、見た目も順調だし、脚の曲がり具合、開き具合も問題なし
こうなると
自転車の話しかないのですが、脚を上げてまたぐとき、違和感がなければ構わないとのこと
後はやはり転倒による骨折です。

人工股関節はかなり丈夫なので、少しくらいのことでは折れたりしないそうです。
ただ、それが入っている大腿骨本体が折れてしまったら・・・大変なことになる

そんなことを聞くと恐ろしいですけど、歩いていたって、原チャリでだって転んだらそれは同じ
結果は自分持ちと言うことでしょうね。

その後だいぶ待たされて飯田先生のところに

先生は来年この病院を退職されるようです。と言うことは泣いても笑ってもあと1回
笑えないわ・・きっと泣いてしまう

「僕がいなくなったらどうする?」と聞かれましたので、
「このまま通います。執刀医のU先生がいらっしゃることだし、ただし私が通える間だけですけど」

この際横浜の病院にと言う選択もありますが、幸い執刀医はまだ40歳代、
過去のカルテもあるし、やはり症状を1番わかってくれているところに来るのが安心
それに、それに、こちらの友人たちにも会えるし、ついでに観光もできるし・・
もちろんこれからもずっと順調、ってことが前提ですが

ちなみにAさんは飯田先生から神奈川方面の病院を紹介してもらうそうです。
飯田先生の紹介なんて・・どちらの病院の先生方もきっとしっかり診てくださることでしょう。

二人でランチしましょうと約束したまま、私は最後のスケジュール、リハビリセンターに向かいました。

理学療法士のH先生と半年ぶりの再会、ベッドに寝て開閉具合を診てもらったのですが、
入院時と同じマッサージとリハビリを受けながら、当時のことが思い出され胸が熱くなりました。

思えば入院時で1番楽しみだったのがこのリハビリセンターに通う時間だったかも

この日も入院中の方が何人かリハビリがんばっていました。

景色も懐かしい



検診を受けにくると毎回、すでに手術を受けた方、これから受ける方・・様々な方との出会いがあります。

今回はまず飯田先生の診察が終わって、なんとなく暗く不安な様子の奥様

「股関節ですか?」
飯田先生に診ていただいたのだから股関節に決まっているのに聞きました。

すると「はい、来月」「どちらか片方を?」「いえ、両方同時に」

あらら~ここまで聞くとおせっかいおばさん、大阪のおばちゃん化している横浜のおばさんは黙っていられませんわよ

「大丈夫ですよ、私も去年の今頃は入院中、両方同時でしたけど今ではこんなに元気になりましたよ」

彼女の表情が変わったのがわかりました。
すると、すぐ後ろで黙っていたご主人、これはこれはと急に話しかけてきた

不安なはずです。私のように12年前に1度経験があって、それからずっと、いつかはきっとって思ってたのとは違います。

その後何度も不安な気持ちを訴えてきましたが、その都度私が話せるすべてのことを話しました。
いい加減なことは言えませんから正直にすべてです。

もちろん彼女の表情が最初より柔らかくなったことは確かです。

自分が不安な時、経験者の話を聞くのが1番、それも元気になった人の話をね。

ってことで「案ずるより産むが易しっていうでしょう 大丈夫、すべて医師団にお任せして」

それでも不安は仕方ないです。

でもきっと手術して良くなっていく過程で私のこと思い出してくれるはず
来月入院だそうです。頑張ってくださいね。 手術成功をお祈りしています。

すべての検診が終了したのは午後1時半過ぎ、Aさんと病院内のレストランで食事をして
今度は神奈川で会いましょうと約束してお別れしました。

さあ、この後はお待ちかね、もとさんと会いますよ

枚方市駅に着くとタイミングよく特急列車が、これ↓もとさんのブログにもありましたね。
偶然にも乗ることができました。





このあと楽しい夜の時間に続きます。
コメント (16)
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