横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

重すぎて・・でも

2013-03-11 | ニュース
未曽有の東日本大震災から丸2年

今日は関連記事を書く方も多いかと思います。

数日前から各局、各紙が特別番組を報道しています。

「これから流す映像で具合が悪くなった方はすぐ視聴を中止してください」

テレビからは必ずこのコメントが流れます。

自分はどうなのだろう・・もしかして怖いもの見たさの好奇心から見るのではないか

本当に被害にあった方は・・

そんな迷いがありながら食い入るように見ては涙して、
私は何のために見ているんだろう

自宅は津波の心配など100%ないところ、そんな人間がなにをどうわかろうとしたいのか

言い訳のように自問自答しながら画面から目は離れない

「お気の毒に、頑張って、前を向いて、明日は来るよ・・」

どんなに言葉を並べても当たり前に生活している者の言葉なんて、むなしいだけ

報道で特に目立ったのは、4人も5人も家族を失って、たったひとり生き残ったという人々

テレビ画面では穏やかにお話をされてるけど、ここに至るまでのつらい、絶望的な気持ちを思ったら
今、こうして書いているだけで涙があふれてきます。

テレビに出てくる人はほんの一握りの方々、その何百倍も、何千倍ものドラマがあるのです。

震災直後、知人から聞いた話です。

彼女の実家は石巻、実家には亡き兄上の妻である義姉、その息子さん家族(奥さんと当時小学生の娘さん)が住んでいました。

詳細は省きますが、息子さん(彼女の甥っ子)一人を残して全員が犠牲になってしまった。

彼女は淡々と話していましたが当時小学生だったお嬢さんのご遺体がまず見つかって、確認をと言われたとき
父親である甥っ子さんは、とても無理だと、いやだと泣かれたそうです。

その時、周りの方々から「お前が確認しないで誰がするんだ、娘さんは待ってるんだぞ」と

毎日、自分も死にたい、死ねばよかったと言っていたとき、
やはり周りの方から「お前が生きていなければ3人の供養はできないんだぞ、3人のためにも生きるんだ」と言われたとか

叔母である知人は遠くを見るような目で、それを聞いていた私がひとり涙をこぼしていました。

人は本当に悲しいとき涙が出ないって言うけど、あの時の彼女はそうだったんだなと
多分、月日が過ぎた今のほうが強い悲しみで涙しているのではないかと察するのです。

彼女自身も地元ですから友人を大勢失ったと

「自分だけじゃない、こんな話はいっぱいだし、それぞれに悲しみがあるのよ」と話してくれました。

あちらには知人も親戚もいない私にとって、本当の悲しみはわからないかもしれません

でも、必ずやってくるという東南海地震、隣接している神奈川ももちろん危険区域ですが
何といっても故郷、静岡には実家があり、愛しい兄弟、姪、甥、その子供たち、そして数多くの友人たち

この大震災を置き換えたとき、どれだけの悲しみが襲ってくるのかと、これこそが今日の報道を見て、聞いて
覚悟しなければいけないことなのかと思われました。

願わくば、この大震災を教訓に、一人でも犠牲者をなくしてほしい、悲しむ人を減らしてほしい
そのために今、何をすべきか

先日見たテレビでは、和歌山県田辺市の中学生の取り組みを紹介していました。

”津波てんでんこ”家族を信じて、自分を信じて、まず、自分が助かる

家族が心配で自宅に戻って、そこで共に犠牲になってしまった方がかなりいたと聞きました。

どんなに家族が心配でも、きっと避難していると信じて自分は逃げる・・・

これが大事なんだそうです。

でも、実際、そうなったとき、我が子を心配しない親がいるだろうか?
年老いた親を見捨てて自分だけ逃げることができるのだろうか?

それでも”津波てんでんこ”の合言葉は、守らなければいけない

中学生には非常に難しい問題でしたが、実際被災地を訪れて、話を聞いてその言葉の重さを実感したようです。

今年もこの日、思いを書きました。

絶対忘れてはならない、そのためにも毎年この日は自分の思いを綴っていきたいと思います。

14:46 どこにいても黙とうを捧げようと思います。

間もなくです。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする