横浜田舎物語

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をお届けします

さくらのランチと染井吉野

2022-04-01 | 居酒屋&グルメ
駒込に住むEちゃんはセントラル時代のお友達

おおらかな性格で、誰とでもすぐお友達になってしまう、根っから明るい人
一見明るそうで、実は根暗な私にはとてもまねできない、大切な友人です。

そんな彼女から突然「今度股関節の手術を受けることになったのよ、
あなたと同じで、いっぺんに両方ね」

そういえばセントラル時代から時々痛みを訴えていました。

それが昨年の12月初め、手術は成功し、順調に回復
両脚で1か月入院の私とは違って、たった2週間の入院でした。

都内の有名大学病院、すごい進歩です。
それでも、3か月は要注意よとしつこく忠告の私

元々フラダンスをやっていたのですが、なんと術後2か月くらいで
再開したらしい。

若くは見えますけど、学年は2年上、若くはありません。

大丈夫なの?って何度も聞いたけど、心配ご無用だったみたい

六義園でもスタスタ歩き、階段の昇降も問題なし
やってよかったと、ここは同じです。

私の入院中には真夏の大阪までお見舞いに来てくれたのに
彼女のお見舞いには行けなかった、このご時世ですから

そんな彼女に案内されたのは、あの北島康介氏を輩出した
東京スイミングセンター(彼女も会員)隣にある
温泉施設、染井温泉Sakura内にあるレストラン

よく歩いたので喉がビールを欲してます。
しかし、二人とも飲まないし、何となく気が引けたけど
やっぱり飲もう



おいしかったあ~~

ランチは季節限定というこちら





量的には我々年寄りにはちょうどい良かったかも

写真はないけど、その後デザートもいただきました。

Eちゃんにすべてご馳走になってしまいました。
ご馳走様でした。

セントラルでは仲良し4人組でしたが、先輩のMさんが亡くなり
Eちゃんが引っ越し、私もクラブ替えして、今ではUさん一人になってしまいました。

それでもこうしてつながっていられることに感謝です。

それに彼女が引っ越してくれなかったらここに来ることもなかったし

さてここは豊島区駒込ですが、その昔は染井村という地名であった

ソメイヨシノの染井はここから来たのです。


命名の由来
和名ソメイヨシノの由来は、幕末のころに、江戸の染井村で植木職人らによって売り出され、全国に広がったことにちなむ[24]。

江戸時代末期から明治初期に、染井村(現在の東京都豊島区駒込・巣鴨付近)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。
初め、サクラの名所として古来名高く、西行法師の和歌にも度々詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで、「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によって、ヤマザクラとは異なる種のサクラであることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあった。
このため、『日本園芸雑誌』において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したという。


Wikipedia より引用

駒込駅の近くには染井吉野桜記念公園がありますが、こちらは



"門と蔵のある広場"

広場のど真ん中には





広場周辺の街にも桜、桜







駅近なのに、閑静な住宅地という言葉がぴったりの街並みです。

東京に行くのは少し勇気が必要だったけど、細心の注意をして何とか帰ってきました。

またしばらくは田舎にこもります。

さて、明日はどこに行きましょうか・・・


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