午後5時前の横浜駅東口、ベイクオーター
時間つぶしのため、一人お茶していました。
主婦がこの時刻に一人で・・なんて贅沢な時間なのでしょう
こんなこと年に一度あるかないかです。
地元なんですけど、こんな時、横浜ってやっぱりかっこいいって思ってしまいます。
そしてやっぱり横浜が好きって思ってしまいます。
桑田さんは・・サザンの桑田さんですが、彼は今でも茅ヶ崎LOVEなのでしょうね。
この映画が上映されることはファンクラブサイトで知りました。
観たい、でも上映が限られてる、しかも抽選?はあ?って感じだったけど
映画館側にも事情があるのでしょう
やっと全国で上映されることになったけど、上映館が限られている
神奈川では茅ヶ崎と、今回行った横浜ブルグ13の2か所だけ、それも1日1回、夜の部?だけです。
空が暗くなる前に桜木町に移動です。
ブルグはランドマークの手前、コレットマーレの6階にあります。
アクセスは非常に良し
チケットを機械で買ったらまた時間つぶし、
コレットマーレは比較的若い人が対象のショップが多いので、
おばさんは冷やかし程度に見て回るしかない
夕刻と共にビールの誘惑があったけど、だめだめ、もしも眠くなったりしたら
トイレに行きたくなったら・・
真剣に見なくちゃ・・・
映画サイトから画像をお借りしましたが
右下のひげメガネおじさん(失礼!)が宮治淳一氏・・どんな人かと言うと
1955年神奈川県茅ケ崎市に生まれる。小学生時代にビートルズ、ヴェンチャーズなど英米のロックンロールにはまり以後音楽を志す。1975年地元で音楽サークル「湘南ロックンロール・センター」をつくりアマチュア・ロック・コンサートを定期的に主催する。1976年中学校時代の同級生桑田佳祐のニュー・バンドにサザン・オールスターズという名をつける。1979年ディスコメイト・レコードに入社、パイオニアLDCを経て1995年からワーナーミュージック・ジャパンで洋楽編成を担当、エンヤ、マドンナ、レッチリなどの新譜のマーケティング他膨大なカタログの復刻に魂をそそぐ。2010年同社退社後も世の洋楽ファンのためにカタログ商品の編成、ラジオでのDJ、選曲を手がける。アナログ、特にシングル盤に目がなく1999年自宅を改造、週末だけ音楽資料館「ブランディン」として収集した膨大なレコード、音楽書籍を一般に開放している。信条は「レコードはかけなきゃ音が出ない」。ここ数年は茅ヶ崎と音楽との不思議な関係を研究する毎日を送っている。茅ヶ崎市在住。
↑これもお借りしましたが
要するに、音楽好きが高じてその道に進み、茅ヶ崎では桑田さんの同級生で、サザンの名付け親であり
今回、茅ヶ崎にはなぜ数々の音楽家が生まれたのか・・そのルーツは・・
という半分ドキュメンタリーという映画と言えば映画だけど・・
見覚えのある寒川神社や大庭城址公園、烏帽子岩、等々、茅ヶ崎のルーツを知ることができました。
実際役者が芝居をするのは桑田佳祐が鎌倉学園に在籍のころ、鎌倉高校在学中の宮治氏が文化祭に
桑田の、ど素人バンドを呼んで演奏させた話あたりのみ
桑田の日本語なのに日本語に聴こえない歌い方や、その声に魅了された最初の人物だったのです。
そう、彼がいなかったらサザンオールスターズはなかった・・過言ではありません。
映画『茅ヶ崎物語~MY LITTLE HOMETOWN~』 第二弾予告編
エンドロールでは桑田さんが烏帽子岩の上で〜MY LITTLE HOMETOWN〜を、
そしてBlue Suede Shoesを・・
エンドロール終了しないで~って、めったに思いませんが、今回はもっとやってほしかったなあ
さあ、次は東京ドームです。