4/11~4/14まで、股関節の検診を兼ねて、京都、大阪に行ってきました。
手術したのが8月なので、本来ならば8月に行くことになるのですが・・・
前の手術(2004年8月)の時同様、どうせ関西に行くならというふざけた理由で
いや本当は真夏の関西の暑さには耐えられないので、今回からまた4月のこの時期に予約を入れました。
前夜は大阪でミニオフ会でしたが、その話は後程と言うことで、まずは一番の目的、検診です。
今回は過去十何回と来た検診とは少し?いや大きく相違があります。
それは・・・飯田先生最後の検診
今までは検診日が近づくにつれ、もうすぐお会いできる・・考えただけでわくわくしたものです。
それは手術決定前の、傷みのひどい時でもまったく変わることはありませんでした。
ところが、今回は違う
来阪が近づくにつれて、ますます気持ちが重たくなる
検診日が近づく=先生との別れ・・思っただけで涙が出てきました。
初めて診ていただいた日の事、最初の手術のころの事、その後の検診の事
痛みがひどくなってきて二度目の手術を決めたときの事、
入院、手術、週に一度の教授回診で激励を受けた日の事
そのすべてが思い出されます。
特に初めて先生に会った日、直感で<この先生の手術を受けたい、他の医師ではいやだ>と思ったことは
もう運命にしか思えませんでした。
その先生とお別れ、もう一生お会いすることはないかもしれない
そう思っただけで涙・・当日が来るのが怖かった。
それでも月日は経ちます。
診察室に入ると、いつもと変わらない笑顔で迎えてくださいます。
レントゲンの結果は異状なし、ベッドに横になって脚の開き具合、曲がり具合、足の長さを計る
すべて問題なし、めでたしでしたが
「僕は来年二月で退職だから、今回が最後だね」と言われた
そのとたん、ううう~っと、我慢してきたのに涙が止まらなくなりました
「先生なぜ?まだお若いのに・・どこか別の病院に行かれるんですか?ヒック ヒック」
「大丈夫だよ、何かあったときにはすぐに連絡が来るようにしてあるから、心配しないで」
この一言で気持ちがスーッと楽になりました。
それと同時に、暖かいものがじわじわと広がってきました
こんな患者想いのすばらしい医師に私は巡り会えたのだ、
辛い時もあったけど、いつだって先生がいてくださった
その上、この先の心配までしてくださっている・・
心の底からあの日、先生に一目ぼれした自分の目は間違っていなかったのだ、と思えました。
先生は今後、全国から難しい手術の依頼や、アドバイスの依頼などに応えつつ、
日本人工関節学会の理事長として活躍されることでしょう。
先生を必要とする患者さんは全国にいるはずです。
ますます多忙になり、席を温めている暇もなくなると思います。
自分の立場に胡坐をかいている偉そうな輩とは違うのです。
ますます大好きになってしまった・・けど、もうお会いできないかもしれない
飯田先生、お世話になりました。
先生の一言一言が思い出されます。
「痛くなければ自転車は構わないよ、却って脚にはいいくらいだ」そんな言葉も鮮明に覚えています。
寂しいけれど、いつかは来ること、来年も予約しましたが、もう先生の診察はなし
執刀医のU先生がこれからの主治医になります。
U医師に言いました。
「先生、絶対辞めるなんて言わないでくださいね。私が路頭に迷ようなことはしないで」と
大げさですけど、今さら別の病院に行くのも考え物だし
何と言っても検診以外のおまけが大きいですから
今回もたくさんのおまけがありました。
その報告はまた後日、検診結果がよかったおかげで心から楽しむことができました。
留守の間にクンシランが開花しました。
手術したのが8月なので、本来ならば8月に行くことになるのですが・・・
前の手術(2004年8月)の時同様、どうせ関西に行くならというふざけた理由で
いや本当は真夏の関西の暑さには耐えられないので、今回からまた4月のこの時期に予約を入れました。
前夜は大阪でミニオフ会でしたが、その話は後程と言うことで、まずは一番の目的、検診です。
今回は過去十何回と来た検診とは少し?いや大きく相違があります。
それは・・・飯田先生最後の検診
今までは検診日が近づくにつれ、もうすぐお会いできる・・考えただけでわくわくしたものです。
それは手術決定前の、傷みのひどい時でもまったく変わることはありませんでした。
ところが、今回は違う
来阪が近づくにつれて、ますます気持ちが重たくなる
検診日が近づく=先生との別れ・・思っただけで涙が出てきました。
初めて診ていただいた日の事、最初の手術のころの事、その後の検診の事
痛みがひどくなってきて二度目の手術を決めたときの事、
入院、手術、週に一度の教授回診で激励を受けた日の事
そのすべてが思い出されます。
特に初めて先生に会った日、直感で<この先生の手術を受けたい、他の医師ではいやだ>と思ったことは
もう運命にしか思えませんでした。
その先生とお別れ、もう一生お会いすることはないかもしれない
そう思っただけで涙・・当日が来るのが怖かった。
それでも月日は経ちます。
診察室に入ると、いつもと変わらない笑顔で迎えてくださいます。
レントゲンの結果は異状なし、ベッドに横になって脚の開き具合、曲がり具合、足の長さを計る
すべて問題なし、めでたしでしたが
「僕は来年二月で退職だから、今回が最後だね」と言われた
そのとたん、ううう~っと、我慢してきたのに涙が止まらなくなりました
「先生なぜ?まだお若いのに・・どこか別の病院に行かれるんですか?ヒック ヒック」
「大丈夫だよ、何かあったときにはすぐに連絡が来るようにしてあるから、心配しないで」
この一言で気持ちがスーッと楽になりました。
それと同時に、暖かいものがじわじわと広がってきました
こんな患者想いのすばらしい医師に私は巡り会えたのだ、
辛い時もあったけど、いつだって先生がいてくださった
その上、この先の心配までしてくださっている・・
心の底からあの日、先生に一目ぼれした自分の目は間違っていなかったのだ、と思えました。
先生は今後、全国から難しい手術の依頼や、アドバイスの依頼などに応えつつ、
日本人工関節学会の理事長として活躍されることでしょう。
先生を必要とする患者さんは全国にいるはずです。
ますます多忙になり、席を温めている暇もなくなると思います。
自分の立場に胡坐をかいている偉そうな輩とは違うのです。
ますます大好きになってしまった・・けど、もうお会いできないかもしれない
飯田先生、お世話になりました。
先生の一言一言が思い出されます。
「痛くなければ自転車は構わないよ、却って脚にはいいくらいだ」そんな言葉も鮮明に覚えています。
寂しいけれど、いつかは来ること、来年も予約しましたが、もう先生の診察はなし
執刀医のU先生がこれからの主治医になります。
U医師に言いました。
「先生、絶対辞めるなんて言わないでくださいね。私が路頭に迷ようなことはしないで」と
大げさですけど、今さら別の病院に行くのも考え物だし
何と言っても検診以外のおまけが大きいですから
今回もたくさんのおまけがありました。
その報告はまた後日、検診結果がよかったおかげで心から楽しむことができました。
留守の間にクンシランが開花しました。