・・・元旦の新聞記事は親しんでいる記事構成とは違った内容なので、さっと流し読みして読み終えた。
それが、ひょんなことで、家人が今年から、社説を読むと言い出し、切り抜きを頼まれた。
私は何とはなしに、切り抜いた社説の内容に目を通し、気になる記事内容だったので、感想を綴った。
社説の主題は「混迷の時代の年頭に 『日本を考える』 を考える 」でした。 私の理解した範囲で、内容をかいつまんで紹介すると、
新年にあたって、「日本が向き合う課題、選ぶべき道は・・・」などと新聞やテレビの報道等では度々、この題で議論されることがある。 しかし、今の現実の世界を考えた時に、国境を超える資本や情報の移動によって、国家主権は浸食され、又、そんな状況と同時に、国単位より小さい共同体からの自治権要求によって下からも、国は挑戦を受ける状態になっている。
即ち、「これからの日本を考える」という問いには、国に、こだわっても、その答えは出せなくなっており、国家としての日本を相対的にいろんな視点から見ることをしないと未来は見えてこないと、社説では結論していた。
その社説を読んで、私が思ったのは、今の日本のおおきな外交問題になっている、領土問題の事に関しての、国の枠組みでした。 その昔は、尖閣諸島は琉球諸島として、琉球王国の一部をなしていた、その王国はズット、中国王朝とも日本の国とも等距離外交をしていた、国であった。 それが、江戸時代に、薩摩藩が強引に支配を強めたことから、タマタマ、今は日本の国の領土に含まれるようになった歴史がある。
また、尖閣諸島と話は変わるが、遠く、邪馬台国の時代には韓国の南部と北九州は一つ国のようにして、其処に住む人は行き来して生活していた。 それが、二千年近い時の流れの結果、今の韓国と日本の国境線が決まっていった、それでも、いまだ、両国が領有を主張する竹島問題が残されている。
領土だけでない、国の形というのは、その時にその地に住む人や、その土地を取り巻く状況によって決まる、人間社会の枠組みであって、本来、外交などの政治的な視点は、現在のその国の形だけでなく、もっと多面的な視点を持たないと未来も有効に生きていく国を築いていけないように感じたことでした。