・・・もともと、私は古代史が好きなので新聞の歴史の記事は良く目を通す。 古代史の世間をにぎわす話題は「邪馬台国論争」です、それは、中国の国史「魏志」に記録されている邪馬台国は、日本列島のどこにあったか、という謎ですが、今日、下に紹介する謎も、最近よく話題になる日本史の話題です。
「神護寺伝、源頼朝像」
学校で習う歴史の教科書では上の絵は「源頼朝」の肖像画として、有名でした。
京都・神護寺に伝わる肖像画(国宝)は、鎌倉幕府を開いた源頼朝、とされてきたが、美術史家の米倉
もともと、寺の記録には平安~鎌倉時代肖像画の名手・藤原隆信筆の頼朝の肖像画の存在が記されており、絹に描かれたこの像が、該当するとされてきた。
これに対し、米倉説は頼朝が存在した12世紀末より百年後の14世紀初頭の作と主張、直義が1345年に自身と尊氏の肖像を同寺に奉納した願文などを根拠とする。 黒田氏も、ほかの肖像画の分析から、像が描かれる幅広の絹が絵画作品に用いられるようになるのは14世紀以降などとして、鎌倉時代の作であるとする従来の説を否定。
この謎が、大きく世間に、議論が伝わってくるのはこの絵が教科書に載っている、誰しも知っている絵だからであるが、 去年、暮れ、この議論に東北大教授の泉氏が絵が描かれた絹を研究するとこの肖像画の絹は年代的に14世紀の日本産と思われるので、直義像であるという発表をされた。
この議論は確固たる証拠が出るまで、なお、続くだろうと思われる。