・・・先日、現在、考古学者が、本当の「継体天皇陵」と考えている、今城古墳の見学記をこのブログに載せた。 そうすると、残るのは今、宮内庁が「継体天皇陵」として管理している、太田茶臼山古墳は誰の墓であるかという疑問が残る。
上の疑問に対して、インタネットで色々と調べて、以下のような類推が出来ることを知った。
太田茶臼山古墳は古墳の形状、周囲から発掘された土器などから、430年ごろに作られたと考えられている。 今城塚古墳より、約百年ほど古い時期に作られたらしい。 そして、両古墳は、場所が1500mしか離れていないので、継体天皇に非常に近い人と考えられる。 それから、考古学的な知見から、大阪市藤井寺市にある允恭天皇御陵(市野山古墳)と古墳の形状、大きさ、造られた年代が太田茶臼山古墳に非常に似ていることが分かっている。
これらのことから、允恭天皇の従兄弟で応神天皇の孫の意富本杼王(若沼毛二俣王)ではないかと云われている。 この人は継体天皇の御祖父さんにあたる人で允恭天皇の奥さんの兄です。 そう考えれば、今判っているデーターにぴったりとあてはまる人物です。
日本の古代史は文字があまり残っていない中で、色々と学問の発達で、分かってくるデータにより、謎解きが進んでいく面白さがある。 これからも、色々と古代史のなぞを調べることは止められそうもありません。