・・・10年前に、壱岐の島を旅で訪れました。
そして、島の弥生時代の遺跡を訪ねたり、国立の壱岐博物館や古墳を見て回りました。
弥生時代後期、壱岐の島は中国の史書に「一支国」と書かれている国です。
朝鮮半島と北九州の間にある島で、弥生時代の遺跡『原の辻遺跡』が残っています。
朝鮮半島の人間と日本列島の人間が混ざりあって暮らしていた海辺に遺跡が、北九州沿岸、朝鮮半島南部、壱岐などの海辺に、沢山、点の形で残っています。
これらを「海村」と呼び、最近の考古学でスポットを浴びているらしい。
ここでは国をまたいで、物々交換や交易をした痕跡が出てくる。
これら海の民が住んだ村なので、「海村」と呼ぶ。
先に、紹介した壱岐の『原の辻遺跡』も、たくさんある「海村」の一つで、遺跡として発掘されています。
下の写真は壱岐博物館で見たパノラマ・ミニチュアセットです。
上の写真は弥生時代の水田の様子を再現した国立の壱岐博物館にあった模型です。
特に下の写真のミニチュアは当時の『原の辻遺跡』の港での交易の模様です。
船で来た半島の人間と交易している様子です。
上に紹介した「海村」は、半島と列島の人達が交わって生活していたと考えられ、きっと同じような言葉で、同じような生活習慣を持ち、生活していたと私は思います。
最近、私はハングル語をかじっていますが、この言葉は、日本語ととてもよく似ていることを感じます、そのことも、弥生時代の、こんなところから、言葉が似ている理由を感じます。