新聞の文化欄に「ありとだに よそにても見む 名にし負はば われに聞かせよみみらくの島」蜻蛉日記 藤原道綱母の歌の紹介記事があった。
歌の意味は「そこにおられるという姿を遠くからでも見たい、そういう亡き人が見れる耳楽島はどこにあるか教えてください。」と、蜻蛉日記の著者が母をしのんだ歌だそうです。
私は、歌は詳しくないので、「耳楽の島」という言葉に惹かれて、興味を持ち、早速調べてみました。
「耳楽の島」は10世紀の『蜻蛉日記』では「亡き人に逢える島―みみらくのしま―」として紹介され,後代には異国との境界にある島又は死者に逢える西方浄土の島として広く歌枕となった。
現在の長崎県五島列島の五島市三井楽町のあたりをさすらしい。(下に参考写真)
この時代までに三井楽の地は,遣唐使が派遣された時代には日本の西のさいはてにあたり,東シナ海を横断する直前の最終寄港地として利用されてきた場所でした、遣唐使船に飲料用水を供給した井戸との伝承を持つ「ふぜん河」などのゆかりの場所が残されている。
そういう事から、平安時代、ここは日本の最果ての地という事で、歌の世界で異国との境界にある島又は死者に逢える西方浄土の島として広く歌枕となったらしい。
文化庁史跡指定の名勝天然記念物と紹介されています。一度、行ってみたい場所です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます