・・・昨日の朝刊に「大王墓級古墳(葺き石)出土」という記事があった。
・・・一応、古代史関係の記事はチェックしているので詳しく読んだが内容は期待したほどのものでなかった。
・・・古墳、特に日本独特の前方後円墳は奈良盆地に三世紀末から四世紀にかけて、今まで、小さい墳墓しかなかった日本に、急に現れる大型墳墓である。
・・・古墳が発生する要因はいまだ謎であるが、いろいろな説がある。
・・・その中で私が表記の記事を読んで思い出した説は当時の先進地域であった朝鮮半島の国の高麗や百済では当時の墳墓は石積墳墓であることがあったということである。
これら先進国の石積みの白く輝く威厳のある墳墓を見た帰国人が、それまでの土をもっただけの小さな方墳や円墳に変えて、石で覆われた大型の前方後円墳を設計したのではないだろうか。
・・・前方後円墳の形については「晋書」武帝紀に西暦266年に来た邪馬台国の使者が、晋の冬至の祭祀儀礼に参加して、円丘・方丘を作って祭礼を行ったのを見た、と書いてあるそうだから、それを見た人が帰ってからそれを報告して、前方後円墳に発展したのではと言う説もある。
・・・表記の記事にあるような石で覆われた石積の古墳は日本の照葉樹林に(津堂城山古墳の記事に書いてあるような)、石で固めた石積みの古墳は似合わない感じがする。
現在、日本各地で見られるような、木々に包まれる緑の古墳の姿こそが、日本的だと思うが。
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