いまでもスプリットショットをかなりの頻度で投げているが,シンカーは少し進化して「ゴム張り」系だ。
サイズはほぼ固定の5Bないし4B。
でも,きっかけは,ジグヘッド&グラブしか投げなかった自分に「まだそれだけかよ」と釣り研究会の先輩などが手厳しい指導をしてくれたからだ。
いわく,「スプリットショット・マスバリが一番釣れる」とのことだった。河口湖だからだったろう。
たしかに,ジグヘッドと異なったのは圧倒的バイトの数。
そして,ガン玉でなく「これがいい」と薦められたのが,ウオーターグレムリン。たしか1袋300円ぐらいだったかもしれない。
北浦に通い出した頃,いやその夏にはハードベイトで嫌なほど釣ることが出来ていたが,それでもワームはワームで必要だった。
当時20代なりたての自分。父がまだ50代。二人で運転して,二人でバカみたいに釣っては持ち帰って食べていた。バスのフライは本当に美味かったネ。
そのうち「もっとスプリットショットを極めよう」ということで,右のBOXを購入した。
でも,極小サイズは結局使いにくく,連結で使っていた。名付けて「スプリット・シモリリグ」だ。
だが,河口湖の釣りは頑張っても30UPだし(33cmぐらいで喜んでいた時代),基本夜釣り(当時も違反だったろうが緩かった;時効にしてください)だったから社会人になると釣行回数は激減した。いや,「もう止めよう」となった。
そして北浦爆釣時代。さすがにフックはオフセットが必須だったが,スライダー,グラブ,G2,ベビーギドバグなど,なんでも釣れたもの。
当時はこのフックが必須だった。
当時は「マスバリ」が市民権を得ていた時代だったが,そこに現れたこのフック。信頼のがまかつ製なので裏切ることもなかった。
ただし,ワームは1匹釣ると切れるのでワーム代はかかった。でも,そのおかげで「あのワームも試そう」なんてことができた。
まあ,霞水系爆釣時代を体験してしまったため,人生が狂ったとも言える。30年前なら横利根でラトリンラップで入れ食いだったし。
以上,おっさん回顧録でした。