
久留米競輪場の下にある『 陸軍橋 』



「 陸軍橋 」 と書かれた親柱

「 昭和17年4月竣工 」 と書かれた親柱

久留米競輪場内へと続く道

橋の袂にある久留米競輪場入場口
久留米競輪場の入り口に池があり、そこに一本の橋が架かっている。
その橋の名を 「 陸軍橋 」 という。
高さ15メートル・幅8メートル・長さ21メートルの橋だが、
左の親柱には 「 陸軍橋 」 、右の親柱には 「 昭和17年4月竣工 」 と銘があります。
かつてはここにドイツ兵の俘虜収容所などがあったと伝え聞くが、
競輪場周辺には多数の墓が存在する。
その最大のものが陸軍墓地である。
というよりも競輪場の敷地全体が久留米の陸軍墓地の跡なのである。
現在も参加選手宿舎裏に忠霊塔があり、その痕跡を感じることが出来る。
陸軍墓地は昭和14年7月に建設が着手され、
2年9ヶ月の歳月と経費25万円、延べ11万2000人の勤労奉仕によって完成したもので、
昭和17年4月10日に竣工式と鎮魂式が執り行われています。
敷地全体は約7万1000平方メートルで、大灯籠・参道・陸軍橋・忠霊塔・
野外講堂・遙拝台などの遺構などがある。
この橋は陸軍の墓に通じるために架けられた橋だったのだろう。
橋の架橋は昭和17年となっているから第2次世界大戦中に架けられたのだろうが、
ただ戦火に遭って破壊されていないのも不思議である。
選手時代を通して久留米競輪場には100回以上来ているが、
競輪選手は池の堤を通って選手専用の通用門から出入りをしていたから、
この橋を渡ることはなかったので、今回初めて渡ったのである。