「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

5月21日 「 小満の朝 」

2013-05-21 06:56:33 | 朝の風景とその他の風景







今朝はどんよりとした曇った朝だった。
そんな今日は、小満である。

小満とは秋に蒔いた麦などの穂がつく頃で、
ホッとひと安心 ( 少し満足 ) すると言う意味である。
田畑を耕して生活の糧を稼いでいた時代には、
農作物の収穫の有無は人の生死にかかわる問題であった。
そのため、麦などに穂がつくと 「 今のところは順調で、先ずはひと安心! 」 と、
満足したことから小満と言う名前が付いたようである。

楽観や怠慢は心の隙から来るものだけど、
目先の成果を確認して、労働の意欲をかき立てるのも必要だと思う。
そんな意味からも小満ではないが、今日も満足の行く仕事がしたいものである。
そろそろ仕事に行く準備をしなくては・・・





沖縄県宮古島市下地町   「 川満大殿のミャーカ ( 墓 ) 」

2013-05-21 06:21:31 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



川満大殿の古墳
































川満大殿の古墳は、宮古島市下地町の下地町指定文化財で、
洲鎌集落東方の森の中にあり、人目に付きにくい農道の前にひっそりと存在する。
加工した大きな石を積んだミャーカ ( 墓 ) は、川満大殿とその妻が眠る巨岩墓で、
古い石垣にガジュマルの木の根が巻き付き、敷地内はさまざまな樹木や雑草が生い茂っている。
ミャーカの築造は1500年~50年ごろだといわれている。

下地町の建てた案内文によると、
5百年以上も前の宮古の社会では門閥の背景が無ければ
人の上に立つことは絶対に不可能であったという。
平民として、田舎に生まれた川満大殿が一躍下地の首長に任じられたことは
かって例のない出世であったとされる。
大殿は、寅年の生まれと言われているので、長禄2年天順2年(1458年)の生まれと推定される。

宮古首長、仲宗根豊見親の認めるところとなり、
その知遇を得て遂に下地の首長に任ぜられた。
大殿として残っているのは、弘治11年(1498年)に仲宗根豊見親の命を受け、
ベウツ川掘割工事により、嘉手苅南部水溜りの汚水を排出して病原を絶ち、
併せて広大な農耕地を拓いて勤農に力を尽くした。
永正3年正徳元年(1506年)には加那浜に前代未聞の一大土木工事を起こして
橋道を築造して庶民苦難を除き、
若くして非業の死を遂げた義人、川満村の真種子若按司を庇護して、
慈悲人情の手本を示し、さらに八重山のアカハチ征伐、与那国の鬼虎との戦に従軍して戦功をたてた。
将に智仁勇兼備の巨人で下地の生んだ偉人である。


所在地 : 宮古島市下地町洲鎌ハシモト280



熊本県球磨村  「 一勝地駅に停車するハチロク 」

2013-05-21 06:18:50 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



一勝地駅に停車するSLハチロク


















人吉駅を出て八代までの途中、渡、一勝地、白石、坂本の駅で停車する。
その停車時間はマチマチだが、一勝地ではいったん外に出るくらいの時間があったので、
一勝地駅や停車するハチロクの姿を写すことが出来た。




今年もオオヤマレンゲが咲いた。

2013-05-21 06:15:57 | 花・鳥・虫・魚・猫
























下を向き、ややうつむき加減に咲くオオヤマレンゲ。
そんなオオヤマレンゲが我が家の庭に今年も咲いた。


オオヤマレンゲ ( 大山蓮華 )
モクレン科モクレン目に属する被子植物の科で
花に花弁、雌蕊と雄蕊が 多数あって、らせん状に配列するなど
被子植物の古い形態を残すグループとされている。

花が大きくて美しいものが多く、
いくつかの種類が庭木や街路樹として栽培されいる
葉は単葉で托葉は芽を包み早く脱落する。


学名 : Magnolia sieboldii K. Koch subsp. japonica Ueda
別名 : 深山蓮華、天女花、森の貴婦人
和名の由来 : 奈良県の大峯山や、大台ケ原周辺に自生し、蓮の花に似ているから 
性状 : 落葉低木
樹高 : 2 ~ 4メートル
分布 : 本州の関東以西と四国、九州に自生地がある、 朝鮮半島、 中国
花期 : 初夏 ( 5~7月初旬、高山では遅れる )

ちなみにオオヤマレンゲの花言葉は 「 変わらぬ愛 」 だそうである。