墓は浦添貝塚横の崖の中腹にある
伊祖の高御墓は1972年のバイパス道路建設で存亡の危機に直面したが、
住民の粘り強い運動で、計画が大幅に変更され守られた経緯がある。
浦添墓地公園がある丘陵の中腹にあり、
地上より高所にあるので 「 高御墓 」 と呼ばれたようである。
墓はバイパスの伊祖トンネルの ( 眼鏡トンネル ) の真上の丘 ( 東面 ) にあり、
浦添墓地公園から展望台がある方へ入って行く。
墓は岩の横穴の前面を石で積み上げて塞いだもので、墓口は大きい。
歴史的に古い形式のものである。
墓内には三基の石棺があるといわれ、13世紀の英祖王の父・恵祖 ( イーズ ) 世ヌ主や、
先祖の遺骨が納められているという。
恵祖世ヌ主 ( 領主を世の主という ) は、伊祖グスクの城主であり、
晩年に英祖が生まれ、英祖はテダコ ( 太陽子 ) と呼ばれていた。