水門の近くに立つ 「 寿命門紀念之碑 」
寿命の唐戸水門は、
堀川の唐戸水門から上流に2キロほど行った場所に築造された水門である。
元和6年 ( 1620年 ) 福岡藩主黒田長政は遠賀、鞍手二郡の水害防止、
灌漑用水の確保、輸送の利便を目的として、現在の中間市から遠賀川を分け、
水巻町、八幡西区折尾を経て洞海湾に通じる約12.5キロの堀川水路開削事業を計画した。
宝暦12年 ( 1762年 ) にようやく完成したが、その後分流点付近に支障が生じたため、
文化元年 ( 1804年 ) 分流点を変更する工事が行われ、この寿命の唐戸が完成した。
唐戸には川の両岸に石の樋をたて、天井石を渡した上に上屋を設け、
堰の板戸を石の樋にはめて上下させる装置 ( 鳥居卷 ) が設置されている。