「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県中津市 ・ 黒田官兵衛ゆかりの地 「 中津城と山国川 」

2014-01-27 05:07:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )




















中津城と山国川











川と海を自然の要塞とし、潮の干満で堀の水が増減する中津城。
官兵衛は河口に築城し、急事に備えて関西方面への海路を確保していた。
石垣には黒田時代の層が現存する。
自然石を使う 「 穴太積み 」 が主流時代に大きな加工石を混ぜたのが特徴で、
早く効果的に築城を目指した官兵衛の才覚が石積みに垣間見れる。

秀吉の ” 懐刀 ” として信頼を得た官兵衛は、秀吉に従い九州平定に参加。
諸大名への勧降工作に当たり、強敵の島津家主力を打ち破るなど、
二年におよぶ戦いでの功績が認められて天正15年 ( 1587年 ) に
豊前6郡12万国の領主となった。
その翌年、山国川の河口で築城を開始。
日本三大水城のひとつに数えられる 「 中津城 」 である。

しかしこの地は、血を好まず折衝など知略による決着を図って来た官兵衛に、
生涯唯一ともいうべき惨い策を講じさせる。
地元・城井の城主、豪族の宇都宮一族が新たな統治に反発したからだ。
宇都宮一族が滅びるまで繰り返された合戦や謀殺。
その悲劇のひとつである山国川の河原で千代姫をはじめ宇都宮一族13人を磔した。

天正17年 ( 1589年 ) 、官兵衛は44歳で、息子の長政に家督を譲り、 「 如水 」 を名乗った。



1050円で買える 「 黒田官兵衛の兜 」

2014-01-27 05:06:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )












組み立て図が入っている







パーツを外して折って組み立てるだけ







「 官兵衛の兜 」 が売っている行橋駅内にある 「 行橋市観光物産情報センター 」









実際に官兵衛が被っていた 「 銀白檀塗合子形兜 」













黒田官兵衛の兜と言うと、上の写真のようなお椀をひっくり返したような兜が有名である。 
ただこの兜は九州関ヶ原の時のみ使用された物だということであるが、
その形が独特なので 「 黒田官兵衛の兜 」 といえば、「 合子形・ごうすなり 」 であろう。 
合子(ごうす)とは身と蓋から成る小さな器という意味である。

その独特な形をした合子形の段ボール製の兜が1050円で昨日から売り出した。
早速、段ボールの兜が売られている行橋駅にある観光物産情報センターに買いに行って来た。
両面テープがあれば簡単に組み立てられる兜だが、
兜が曲線ではないので、モンゴルか、中国の兜のように感じた。



ムサシ 「 メタセの杜 」 で散歩

2014-01-27 05:05:41 | 柴犬 ムサシとピース
























昨日はいつものように早朝に散歩に行ったが、
天気が良かったので昼前にムサシとメタセの杜に再び散歩に行った。
日曜日だったが、思ったよりも人が少なくて、ほぼ貸し切り状態だった。