
石炭荷役が行われた若松の岸壁
小島直記は、主に政財界で活躍した人の伝記を数多く書いている。
『 まかり通る 』 は、 「 電力の鬼 」 といわれた松永安左エ門の
波乱にとんだ人生の足跡を克明に描写した小島直記の伝記小説の代表作である。
「 サンデー毎日 」 に昭和47年 ( 1972年 ) 1月から翌年10月まで連載された。
松永安左エ門については 『 まかり通る 』 の他にも 『 福沢山脈 』
『 松永安左エ門の生涯 』 など四作品を発表している。
安左エ門は、明治8年 ( 1875年 ) 、壱岐の豪商の長男に生まれ、
15歳で慶應義塾に入ったが、学生生活に疑問を持ち、
義塾の創立者の福沢諭吉を訪ね、 「 人生は学歴や卒業免状で勝負するものではない 」 と自説を述べ、
実業家を目指して熟を中退する。
「 山周商店を訪ねると、番頭、丁稚、仲仕たちが忙しく出入りしていて、
主人の周太郎も客の応接で忙殺されている 」
北九州若松の石炭ブローカー山周商店を訪れた安佐エ門は、
命を張った修羅場もくぐり抜け、真の実業家を目指し、がむしゃらに仕事をする。
その後、九州の電気、鉄道、ガスと次第に事業を拡大していった。
明治初年まで小さな漁村に過ぎなかった若松に一大変革をもたらしたのは、
直方~若松間の筑豊興業鉄道の開通であった。
これによって若松は日本一の石炭積み出し港として栄え、意気盛んな者たちが殺到した。
小島直記 本名 ( 小嶋直記 )は、大正8年 ( 1919年 ) に
八女郡福島町 ( 現・八女市 ) に生まれた。
旧制福岡高校から東京帝国大学経済学部に進み、
海軍主計大尉で終戦を迎えた。
経済調査官を経て、昭和29年 ( 1954年 ) ブリジストンタイヤに入社。
昭和31年 ( 1956年 ) に、 『 人間の椅子 』 が芥川賞候補となる。
昭和40年 ( 1965年 ) ブリジストンタイヤを退社して文筆活動に専念し、
経済小説や人物評伝を著した。
主な著書に、 「 無冠の男 」 「 出世を急がぬ男たち 」
「 逆境を愛する男たち 」 「 小説三井物産 」 などがあり、
『 小島直記伝記文学全集 』 が出ている。