タケイチケントウと常石勝義 ( 小倉日経オープン 2000.8.20 )
今日、NHKの 「 アスリートの魂 」 で、
障がい者馬術で東京パラリンピックを目指している元騎手の常石勝義君が出ていた。
常石勝義は、1996年3月に中尾正厩舎所属でデビュー。
同期に福永祐一、和田竜二や中央競馬の女性騎手のひとりである
増沢由貴子 ( 旧姓・牧原 ) らがいる競馬学校花の12期生のひとりである。
初騎乗は1996年3月2日、中京競馬第5競走のタニノレセプションで16頭立ての7着だった。
初勝利は翌週の3月10日、中京競馬第2競走で同じくタニノレセプションに騎乗してのものであった。
デビューからの約5か月で12勝を挙げていたが同年8月4日、
小倉競馬場でのレース中に落馬事故を起こし脳挫傷で意識不明の状態に陥る。
しかし奇跡的な回復をみせて翌1997年に復帰し、
同年の小倉3歳ステークスでタケイチケントウに騎乗し重賞初勝利を挙げた。
平地だけでなく障害の騎手としても活躍し、
2003年には中山グランドジャンプでビッグテーストに騎乗しGⅠ(J・GI)を制覇した。
しかし2004年8月28日、小倉競馬場で行われた豊国ジャンプステークスでふたたび落馬。
脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋内血腫を併発し、
意識不明の重体に陥ったが昏睡療法 ( 筋弛緩剤などの薬物投与により
脳への負担を減らして回復を促す治療法 ) が功を奏し、1か月で意識を回復。
翌2005年には木馬に乗って騎乗トレーニングができるまでに回復した。
その後もレース復帰を目指してリハビリを行っていたが、
度重なる脳外傷が原因で高次脳機能障害と診断されたことから
復帰を断念せざるを得なくなり、
2007年2月15日に同年2月28日付で引退すると日本中央競馬会から発表され、
2月24日、同期の福永、和田騎手らの計らいにより阪神競馬場で引退式が行われた。
JRA通算82勝。
JRA所属騎手では2009年には石山繁、
その翌年の2010年にも塚田祥雄が常石と同じく落馬による脳挫傷により
引退を余儀なくされてしまい3年間で3人が落馬・脳挫傷で騎手が引退する事態となった。
石山君といえば、サイコーキララだけど、
常石君はやはり、最初の重賞をプレゼントしてくれたタケイチケントウだろう。
最初の復帰のあと、小倉競馬場で開いたボクの個展会場から
パドックへ続く通路で常石君にバッタリ会って、
「 常石くんオースミコスモで優勝おめでとう! 」 というと、
「 ありがとうございます。 」 と、元気な返事が帰って来たのを憶えている。
大好きな馬で命を奪われそうになったが、
その大好きな馬で新たな夢に向かって頑張っている。
頑張れ!常石。頑張れ!石山。