昨日、「 綱敷天満宮に梅が咲いた 」 という新聞記事を見て綱敷天満宮に行ってみたが・・・
3分?か4分?咲きで梅の色や匂いを感じ取るにはまだまだだった。
菅原道眞公は、昌泰4年・延喜元年 ( 年 )、
藤原氏の陰謀に、宇多天皇 ( うだてんのう ) 【 定省天皇 ( さだみのすめらみこと ) 】の
第三皇子の齊世親王 ( ときよししんのう ) を皇位に就けて、
醍醐天皇 ( だいごてんのう ) 【敦仁天皇 ( あつひとのすめらみこと ) 】の
皇位簒奪 ( こういさんだつ ) 【ここでは、血縁が遠い齊世親王が皇位を奪い取ること】を謀ったと
誣告の冤罪にかけられて、
右大臣・右大将の職から大宰府政廳 ( だざいふせいちょう ) の長官代理の
大宰権帥 ( だざいごんのそち ) に左遷されてしまいました。
その菅原道眞公が、都を離れ大宰府に赴く途中、暴風の嵐に遭われて、
「 浜の宮 」 の浜辺に辿り着かれました。
有門 ( ありかど ) 家の先祖等が菅原道真公の高貴なお姿に接し、
とりあえず漁船の綱 ( つな ) を繰り敷いて休んでいただき、
さらに村人たちによって造られた 「 黒木の休所 」 で
しばらく休養されてから筑紫の大宰府に向かわれました。
菅原道眞公が大宰府で薨去された延喜3年 ( 903年 ) 2月25日から
52年の月日が経過した天暦9年 ( 955年 ) に神託があり、
国府の命によって社殿が造営され、
「 船の綱を敷いて迎えた 」 故事に因んで 「 綱敷天満宮 」 と称えられたのが始まりです。
現在の社殿は、寛永14年 ( 1637年 ) に小笠原忠眞 ( おがさわらただまさ ) 、
木下延俊 ( きのしたのぶとし ) によって造営されたものである。
菅原道真公といえば梅の花。
この和歌は有名である。
東風(こち)吹かば
にほひおこせよ梅の花
主(あるじ)なしとて春を忘るな
~ 『 拾遺和歌集 卷第十六 』 ~