勘次ヶ城は、山崎の海岸際に築かれた倭寇築城の城で、
『 山崎の石塁 』 と呼ばれている。 案内板の説明によると、
山崎石塁の構造は、倭寇が活躍した当時、
明国沿岸に築かれた海賊の築城と同型と云われている。
海岸線に沿って築かれた石塁は、延長約80m・高さ約4mほどあり、
いくつかの石室も設けられ、
ここに倭寇が貿易や略奪で得た品々の保管場所でもあった。
これを裏付ける数々の出土物が発見されているようである。
勘次ヶ城は、築城年代や築城者については定かでない。
室町時代に朝鮮半島から中国大陸を侵した海賊は、
「倭寇」と呼ばれていたが、富江の豪族田尾氏は、松浦党に属し、
ここを出城として海賊・密貿易(倭寇)で勢力を伸ばしたと云われている。
( 現地案内板より )