「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宮古島市  ・  来間島から見た 「 来間大橋 」

2013-02-23 04:31:32 | 沖縄の橋



来間島から見た 「 来間大橋 」
























ここは、古宇利島、池間島と同じように島へ続く連絡橋であるが、
その景色は前者と同様に、沖縄でも自慢の出来るロケーションである。
ここは来間島に渡ってすぐの場所にあるが、
とにかく海の色がキレイで、何時間でも眺めていられそうな場所である。

来間大橋は、宮古島側の宮古島市下地字与那覇と来間島側の宮古島市下地字来間とを結ぶ橋で、
構造は、航路部が連続箱桁橋、一般部が連結T桁橋及び中空床版橋から成っている。
1988年7月に着工し、1995年3月に開通。
全長1,690mで、50トン級の船舶が航行できるように、中央部が盛り上がった形状をしており、
中央部の海面(既往最高潮位)から桁下までの高さは13.5mとされている。

車道の下には、宮古島の地下ダムから灌漑用水や電気を送るパイプラインが付設され、
来間島の農業を支えている。

橋からは、エメラルドグリーンの海や、宮古島側に広がる与那覇前浜の白砂のビーチを見渡すことができる。
また、この橋は、全日本トライアスロン宮古島大会のバイクコースの一部となっている。




宮古島と来間島を結ぶ 「 来間大橋 」 を渡る

2013-02-23 04:26:10 | 沖縄の橋



来間大橋を渡る












宮古島と来間島を結ぶ来間大橋を渡った。
気持ちがいいほど真っ直ぐに伸びて、
これほど贅沢なドライブはないだろうと思うくらい
その景色に心を奪われてしまった。

来間大橋(くりまおおはし)は、沖縄県宮古島市南西部に位置し、
宮古島と来間島とを結ぶ全長1690mの橋で、1995年3月13日に開通した。

現在は宮古島市道来間大橋線だが、もともと農道として整備し農道橋として日本最長だった。
また、2005年に古宇利大橋に抜かれるまでは、
1992年2月開通の池間大橋を抜いて沖縄県内最長の橋であった。
現在でも、宮古諸島最長の橋である。




「 竹島の日 」 に島尻安伊子内閣府政務官が出席

2013-02-23 04:15:40 | ニュース






島根県が竹島の領土権確立を目指して
2005年に条例で定めた「竹島の日」の記念式典が22日、
県などの主催により松江市内で開催された。
8回目となる今回は、島尻安伊子内閣府政務官が政府の代表として初めて出席。
島尻政務官は「竹島はわが国固有の領土であり、竹島問題は極めて重要だ」と述べた。
 また、島尻政務官は「一貫して竹島問題の解決へ尽力されていることに心から敬意を表する」と述べ、
県などの取り組みを評価した。式典にはこのほか、国会議員と地方議員ら約520人が出席した。
県によると、国会議員の出席は過去最多の19人。
溝口善兵衛知事はあいさつで「8年目にして政府代表が出席した。
竹島問題をめぐる日本国内の活動は新しい局面に入った」と強調した。
 
日本国民だから竹島は我が国の領土だと思っているが、
日本固有の領土を主張するならば、何故もっと昔から施設を造るなりしなかったのか?
という単純な疑問が残る。




福岡県太宰府市  ・  太宰府天満宮 「 麒麟および鷽 ( うそ ) の像 」

2013-02-22 06:37:15 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



大宰府天満宮の境内にある 「 麒麟と鷽の像 」



















太宰府天満宮の鳥居をくぐり、心字池に架かる太鼓橋 ( 過去・現在・未来 ) の橋を渡ると、
手水舎 ( 手や口を清める場所 ) の手前に麒麟と鷽の像が建っている。
銅製麒麟はキリンビールの名前の元になったとの話があり、
鷽は、 「 うそ替えの神事 」 が毎年1月7日に行なわれている。
当日、19時より楼門横の天神ひろばの斎場にて行われる神事です。

「替えましょ、替えましょ」の掛け声のもと、
暗闇の中で手にした「木うそ」をお互いに交換し取り替えます。
これは、知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神さまの誠心に替え、
また、これまでの悪いことを嘘(うそ)にして今年の吉に取り替えるという意味があります。
神事の後に手にした「木うそ」はご自宅の神棚にお祀りし、一年間の幸福をお祈りします。

当日夕刻より、神事に用いる「木うそ」(初穂料1,000円)を授与いたしますので、
神事に参加ご希望の方は、楼門内のお札・お守り授与所にてお受けている。



大宰府天満宮「 麒麟および鷽像 」 の看板より

(県指定文化財)

 麒麟は中国の瑞獣思想上の動物で、
聖人が現れて王道が行われる時に出現すると伝えられ、
菅公御聖徳をたたえたものといえる。
 鷽は、1月7日、1年中の嘘を天神様の誠心と取り替えていただく鷽替神事縁の鳥で、
幸運を運ぶ天満宮の守り鳥でもある。
 嘉永5年(1852)に奉納されたもの。




沖縄県多良間島   「 宮古遠見台 」

2013-02-22 06:35:35 | 離島めぐり



多良間島 『 宮古遠見台 』








































宮古遠見台は、多良間村仲筋562番地に位置する。
この遠見台は八重山遠見台と共に、いつ頃建造されたか年代は定かでない。
「球陽」によれば、 「 尚 賢王が ( 1644年 ) 初め烽火台を設け、
遠見番を置いて海上を展望せしめ、烽火をあげて冠船、進貢船、薩州船などの入港を
首里王府に通報するようになっていた 」 と記してある。
この遠見台は、沖縄本島の離島に設置後であったろう。
島では人頭税制度施行 ( 1637年 )後、穀上納物を積んで船舶が多良間に出入りする際、
その送迎のために遠見台を設け、遠見番 二人を置いて見張りさせ、
番所に通報せしめて航海の安全を図ったと伝えられている。

その他、近海には遭難船が往々あったと史書に記されているし、
いち早く見届けて救助するという大事な施設であったことが考えられる。
また、見張り番の休み場は石段南側の築山の上に小屋が設けられていた。
宮古からの船が見えたとき、一人は番所に駆け、
一人は 「 アバカ 」 といって、クバの葉を長い竹竿に上げ、
島民に船の入港を報せたと言われている。



「 悲しみばかり 」   ノアノハコブネ

2013-02-22 06:33:57 | 馬の詩 ・ それぞれ...

「 悲しみばかり 」   ノアノハコブネ



悲しみばかりが降り積もる
冬枯れの阪神競馬場

帰ろうか
帰ろうか
ふるさとの あの山へ
あの川へ

オークスの栄冠を
みやげにして




昭和60年12月1日 阪神大賞典にて
寛骨々折のため予後不良


                           




北九州市小倉北区  「 物議を醸し出している小倉駅 」

2013-02-22 06:32:31 | 日記 ・ イベント



駅名で物議を醸し出している小倉駅








小倉駅前





先日、久し振りに小倉の街に出た。
その時も、小倉駅はいつもと変わらぬ顔で迎えてくれた。

今年の2月10日で市政50周年を迎えた北九州市。
その50年を記念して色んなイベントが行なわれているが、
ここに来て、北九州の名前を全面に出そうという動きが始まっている。
それは、北九州の主要都市である小倉北区にある小倉駅の駅名を
北九州駅に改名しようとする動きである。

北九州市は、今から50年前に小倉市、戸畑市、八幡市、
門司市、若松市の5市が合併して出来た市である。
その当時の小倉駅がそのまま現在も使われているが、
今まで小倉駅で十分に通じていた駅名なのに、
なんで今さらという気持ちである。

改名の理由は、県外から来た人が 「 北九州駅はどこですか? 」 って訊くらしい。
だから駅名を改名したい。とインタビューに応えていたが、
そのインタビューを聞いていて 「 はぁ~ 」 って飽きれてしまった。

ごくごくの少数意見で、今まで続いてきた歴史ある駅名が変更されることは如何なものかと思う。
この件を含めていろいろと変更されることも出て来るだろうが、
一時的な感情やブームに流されることなく、
くれぐれも慎重に審議して決してもらいたいと思っている。




長崎県長崎市  「 2013長崎ランタンフェスティバル・龍踊り 」

2013-02-21 06:24:24 | 日記 ・ イベント



女子高生による龍踊り


























3匹の龍が去って行く








新地中華街会場













長崎くんちの時もそうだが、 「 龍踊 ( じゃおどり ) 」 はワクワクさせる。
あの鳴り物と龍の動きが日本にない独特の雰囲気を醸し出している。
それも今回は3匹の龍が代わる代わるに出て来ては踊り、
「もってこ~い、もってこ~い」の掛け声で
ふたたび、みたびアンコールに応えて踊ってくれたが、
飽きることのない踊りはあっという間に終わってしまった。
いつまでも見ていたい龍踊りである。

龍踊りは、もともと中国で五穀豊穣を祈る雨乞いの神事に始まったとされている。
唐人服をまとった龍衆が約20mの龍体を操り、
雨を降らせようと雲を呼び、月を飲み込もうとする様子を表現している。



北九州市小倉南区 ・ 平尾台 「 鬼の唐手岩 ( おにのからていわ ) 」

2013-02-21 06:22:32 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



冬の平尾台 雪が舞う「 鬼の唐手岩 」









































晩秋の平尾台 「 鬼の唐手岩 」





























遠くから見ると羊の群れに見える石灰岩






どことなく“ゴジラの背びれ”を思わせる「鬼の唐手岩」であるが、
晩秋と冬の姿を紹介しているので見比べてもらいたい。


鬼の唐手岩。おもしろい名前の岩である。
等覚寺の山伏の修験の場のひとつでもあり、そこから名前がきているとも言われている。
鬼の唐手岩は平尾台の東北部に位置する。
青龍窟からだと西側の平尾台方向に20分ほど歩いて登っていくと行くと鬼の唐手岩へ到達する。
鬼の唐手岩は青龍窟の裏側(西側)、広谷湿原の東側、
広谷台の南の突端に位置する花崗岩の岩脈であり、
ゴツゴツした岩が帯状に整列した姿は、ゴジラの背びれを想像させる。

数億年前、平尾台の石灰岩は地下深くにあり、
その時、高温のマグマが石灰岩帯に入り込んだ花崗岩の貫入岩(かんにゅうがん)である。
石灰岩帯への貫入岩は平尾台の数箇所で見られ、ここの他に「鬼の兵古干」がある。
鬼の唐手岩は垂直に地下にもぐりこみ、その南にある滝不動ドリーネを南北に横断している。
滝不動ドリーネ反対側の田代峠の遊歩道の脇にも、
鬼の唐手岩から繋がるその岩脈の花崗岩を見ることができる。
地上に出た鬼の唐手岩は一部オーバーハングした断崖状の岩場であり、
初・中級者向けのロッククライミングのゲレンデにもなっている。


車を下りてから鬼の唐手岩まで、小一時間の散策であったが、
それはワクワクドキドキさせる探訪でもあった。
帰りはほとんど下りだったので3、40分で車まで着いたので
距離的、時間的にもいいコースだったと思う。
今度は新緑の季節に行ってみたいと思っているが、
その頃から蛇が出回るので考えものである。





沖縄県宮古島 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 カーニ里御嶽 」

2013-02-21 06:20:06 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



















平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


カーニ里御嶽は、荷川取のカーニ里に所在し、カーニ里の守護神が祀られている。
御嶽の形態は中央に30cmほどの角石をイビ(御神体)として立て、
その前方に香炉の代わりに平坦な切り石を横たえ、これを低い石積みでU字に囲ってある。
その後方にはクロツグ、テリハボク、フクギなどの御嶽林が茂っている。

以前は御嶽のサス ( 神女 ) がいて、サスを中心に里人が揃って祈願行事が行なわれていたが、
サスのなり手が途絶えたため、今は各個人で参拝しているようである。

この御嶽には20数mの細い参道が北側、南側、東側に設けられていて、
参道の両脇には苔むした低い石垣が続き、昔の佇まいを今に残している。
また、この地に仲宗根豊見親の側室が住んでいたと伝わっている。
御嶽の西方門にはゾーヌバン(門番)が立ち、
御嶽を挟む3つの道路は緊急時のピンギミツ(逃走路)と言われている。


所在地 : 宮古島市平良 荷川取


北九州市小倉南区 ・ 雪の平尾台を歩く 「 中峠から広谷湿原 ・ 滝不動ドリーネ 」

2013-02-20 06:34:34 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



中峠へ向かう道









中峠手前にある大平山登り口








中峠までの道をふり返ると自分の足跡だけがついていた








土の上には鳥の足跡がついていた















広谷湿原からの眺望







広谷湿原の入り口







雪の広谷湿原








雪の広谷湿原の一望






雪のため途中で車を停めて中峠を目指して歩くこと約30分。
誰もいない一本の雪道を進むのは気分がいい。
冷たい風も歩くと体温が高まって丁度いいくらいだ。
左に大平山の登山口を過ぎて中峠を越えると
右側に広谷湿原が広がる。

広谷湿原は、青龍窟から西に600m、平尾台自然観察センターから東に2500mの位置にあり、
北九州国定公園内にある、福岡県唯一の湿原である。
キセルアザミ、チョウセンスイラン、ウメバチソウ、サワギキョウなどの
湿原特有の野生植物が自生している。


晩秋の茶色の季節よりも、緑が揺れる春から夏がいいのだろうが、
登山やハイキングの人のいない季節となると、この時季に限られるから仕方ない。






滝不動ドリーネ ( 田代の岩屋 )







独特な空気が漂っていた滝不動周辺





広谷湿原を通って青竜洞に向かう途中の小高い丘の上を見上げると、
花崗岩が貫入した風景を見る事が出来る。
白色等粒状の主に石英・長石からなるアプライト岩脈が見れる場所が 「 鬼の唐手岩 」 である。
この付近は等覚寺の僧侶の修験の場のひとつであった。
この小山の下にある滝不動ドリーネ低部の洞窟は青龍窟へ続いていて、
広谷湿原や周辺の湧水を集めて綺麗な草花を咲かせて流れ込み、
2~3m程度の小さな滝となり青龍洞窟の地下川として流れ込む。
( 基本的には洞窟は複雑な迷路状になっているので、
入洞するには、自然観察センターに届出して経験者同伴でないと入洞できない。 )
そして、かなり水量が有ります。
洞窟の内部には30mくらいの見事な黄金柱があるそうです


明日は、この探訪の最終目的地である 「 鬼の唐手岩 」 を紹介しますので、
お楽しみに・・・




熊本県天草市牛深   「 東天紅 」

2013-02-20 06:32:37 | ラーメン・うどん・そば



天草市牛深 「 東天紅 」
























ボリューム満天のギョーザ








五目焼そばと並べてみるとギョーザの大きさがわかる













天草市牛深の久玉にある中華料理専門店の 「 東天紅 」 。
無量寺橋の写真を撮った帰りに立ち寄ったのだが、
「 どぎゃんだろうか? 」 と、思ったいたら、
まうごつ ( ものすごく ) 旨かった。

もし、天草 ( 牛深 ) に行かれることがあったら、
是非とも寄って食べてもらいたい店である。

ただ、ギョーザは大きいので2人一皿で丁度いいかも?




沖縄県宮古島 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 ウプムイ御嶽 」

2013-02-20 06:30:53 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



東に向って建つ御嶽の鳥居







コンクリートで造られたマツカマを祀る祠






西側にある三ヵ所の祭壇









平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


ウプムイ御嶽は、荷川取の里御嶽として民間の医者によって仕立てられた御嶽である。
東に向って鳥居が建ち、御嶽の境内はコンクリートで舗装されており、
その北側に主神マツカマを祀る祠が設けられている。
また、境内の西側には3ヵ所の祭壇があって、それぞれに香炉が置かれ、
真玉御嶽 」 「 ツカサヤー ( 張水御嶽 」 、
「 下地の赤名宮 」 等の神々を遥拝する場所となっている。

御嶽の名称は、御嶽の西側から北側にかけてガジュマルやクロツグなど、
雑木の御嶽林が広く茂っていることから、ウプムイ ( 大森 ) と名付けられたようである。
主な祭祀行事として、旧6月の 「 ユーダミ 」 、旧9月の 「 ユークイ 」
旧12月の 「 トウスヌバンクウニガイ ( 1年の終りの願い ) 」 などがある。


所在地 : 宮古島市平良 荷川取



福岡県太宰府市  「 九州国立博物館へアプローチ 」

2013-02-19 00:05:36 | 日記 ・ イベント



九州国立博物館
















































太宰府天満宮を抜けると近代的な建造物が目の前に現れる。
過去から一気に未来へ抜けるようなエスカレーターを上り、
虹色の色彩を放つトンネルを出ると、
柔らかな曲線とガラスの壁面が融合したリズミカルな物体が目の前に広がる。
それは、周囲の山々の緑と溶け込み、青い空がガラスに映える。
その光景に思わず息を飲む。

ご承知の通り展示場は撮影禁止なので、
作品などは後日あらためて図録などで紹介したいと思っているので、
お楽しみに・・・




熊本県天草市牛深  「 無量寺橋 」

2013-02-19 00:03:58 | 熊本の石橋























































無量寺の山門






熊本県指定文化財 「 久玉城跡 」






石橋の下流にある久玉小学校





所在地 / 熊本県天草市牛深町久玉
架橋  / 享保元年(1716年)
        明治26年 ( 1893年 )修復
石工  /  不明
長さ   /  10.4m   幅   /  2.8m
拱矢  /   2.9m   径間  /  8.0m 
単一アーチ 


天草・島原の乱 ( 1637年 ) の後、
切支丹禁制のため創立された浄土宗無量寺の山門に入る吉辺川に架かる石橋である。
親柱に記名がないので、この橋の正式な名前は解っていないが、
昔はお寺の前に架かっていることから 「 寺橋 」 「 欄干橋 」 と呼ばれていたという。

橋の近くには、県指定の文化財 「 久玉城跡 」 があり、
石橋が架かる吉辺川は、かつて久玉城の外堀であったらしい。
橋は享保年間 ( 1716年~35年 ) に架けられたもので、
橋の宝珠は格式ある寺院にのみ許されたものである。

現在の橋は明治26年無量寺住職が石中舜哲和尚の時に修復されたものである。