今回は前回の続き大和街道界隈散策、「名手宿本陣」編です。
江戸時代の大庄屋「妹尾家」は、紀州藩主の参勤交替や、鷹狩りの宿舎であったことから「本陣」と呼ばれ、中世期以来「紀伊八庄司」の一つに挙げられた名家で、当時は「名手荘」「丹生谷」を領した「土豪」だったそうです。
前回しました「華岡青洲」の妻「加恵さん」のご実家としても有名ですね。
では主屋等を足早で撮ってきましたので紹介します。
「玄関 式台」です。 此方は「主屋の座敷」です。
当時使われていたものが展示されていました。書状等もありました・・・(読めませんでした。)
台所は凄く広かったですね~~ 「かまど」はL字型。
かまど(台所)側から撮った「主屋居室部」 その居室部へあがる北側庭からの昇り口。
此方は居室部の北側奥にあった「箪笥部屋(?)」とでもいうのでしょうか。3畳ほどの部屋が二つ続いてました。
台所(かまど)の真北側の「井戸屋形」 主屋北側の庭園。「平面図」によると、この土塀の北側には「旧郡役所(旧奉行所詰所)」があったようですね。
ぐるりと回って主屋東側の土塀と紅葉が綺麗でした。南の「御成門」に向かいながら東に面してるお部屋を順に撮りました。(右)は 「御座の間」です。
続いて「御次の間」 「御三の間」後ろの衝立には近郷の俳人の方たちの「本陣」にまつわる「詠草」が書かれてました。
ピックアップさせてもらって・・「名手の庄守りし家の井戸清水」「本陣の今昔わかつ春障子」「蔵陰や夢まぼろしの手鞠唄」等、すべてご紹介したい素敵な句ばかりでした。
現在の住宅は1718年に藩主「徳川宗直」を迎えるために、新築されたもので、1745年には増築され、その後1751年に、「こけら葺」や、「茅葺」を改めて現在の「瓦葺」になったそうです。
建築年代も明らかで、主屋、座敷共に保存状態がよく、「大和街道」における本陣の遺構としては価値が高いようです。ちょっとカルチャーしてきました。