昨日から凄い風雨が続いて、夜中には少し小康状態になったのか今朝の朝刊はナイロンはかかってませんでしたが、朝早くからまた降り出して、今日も一日どれだけ降るの~~というくらい降り続きました。今22時、やっと雨は止んだようですが、風がまだあるようで、雨戸がガタガタ言ってます。
さて前回の「木村シェフのオムライス」ですが、凄い雨が続いた御蔭か、買いに行く人も少なかったようで、買い物ついでに11時過ぎに行っても買うことができました~~で、主人の昼食用だったんですが「Wソース」を少し味見させてもらったら・・やはり美味でしたよ~~ホワイトソースの方が好みだったかな~~オムライス自体、息子達がいる頃にしか作ったことがないので、主人も「何年ぶりかな~~
」なんて言いながら「コンビニ弁当にしては美味しいな~」なんて言ってましたね~~「特に、ソース美味しいでしょ~」って、さも自分が作ったような会話をしてしまってました~。
さてさて、話題は変わりまして・・・
実は私の友人の実家の「家系譜」他の古い書簡を見せていただく機会がありまして、写真撮らせてもらったんですが、以前に少し話で聞いていたその時も、ちょと驚いた記憶があって、ぜひ見せてもらいたいと思っていた「家系譜」です。
撮り方が不味くてすいません。右から始まってます。「清和天皇」とありますが調べたら850年代の56代天皇のようですね。55代文徳天皇の第四子、右の系譜の左上に「藤原良房」が出てきますが、その「良房」の娘「女御 藤原明子(めいし)」の子なのです。
そして遡るんでしょうか「藤原氏」が出てきます「鎌足」とありますよね。そして「不比等」歴史に詳しくはないですが教科書で習った有名な名前です。ちょっと一族を調べましたら右の書簡の破れた場所にある「真」のあとは「木へん」というのがわかるんですが「盾」の部分が破れているのだと分かりました。その下の「冬嗣」という人も載っていて、この「冬嗣氏」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%86%AC%E5%97%A3は「嵯峨天皇」の側近、当時の右大臣「藤原内麻呂(右の書簡にもあります)」の次男で平安の歌人だとか。そして前出の「文徳天皇」の外祖父ということですね。
(ここの部分撮り忘れかもしれません)
一番末巻まで来てもまだ現主の曽祖父代の名前もないようです。聞くところによると、先祖のお墓も、石でできた「三面鏡」のようなものを開いてお参りするのだそうです。この話にも驚いた訳ですが、天皇や、藤原家と継っていたという人が身近にいたことの「歴史ヒストリア」に驚いた数時間でした。