マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

第八回「加太語り部の会」へ・・

2022-11-14 | カルチャー 見聞
昨日の日曜日、友人が出演する「加太地域活性化協議会 加太語り部くらぶ」主催「加太の民話をオペラに実行委員会」共催の、「加太の昔話あれこれ」という民話の世界感を見聞してきました。
 クリアファイルは夕日に染まる「紀淡海峡」です。ちょっと余談ですが・・
十数年も前になりますが、12月4日、加太国民休暇村へ、OG会の宿泊の担当幹事だったので、パンフを頂きに行った折、テラスにたくさんの三脚がたってて、叔父様たちが喫茶側で談笑されていたので、何かあるのですかって尋ねたら、「夕日が沈むのを待ってるんだよ」とのこと、「なるほど・・」と思って、予てから見ておきたかった砲台跡を観に行こうとも思っていたので、敷地内の砲台跡をカメラに収め、六甲山が見える高台へあがって(ここでは愛知県から来たという年配の伯母様が、三脚を立てて友ヶ島の方を見ながら構図を決めたりしてらっしゃいました。話してたら「毎年この時期に来るのよ」っておっしゃって、「え~~そうなんですか~お一人で?」って感嘆したのを覚えてます)そこから友が島を右手に見ながらぐるりと休暇村本館の方へと向かう途中、「紀淡海峡」を見下ろせる見晴台辺りに来た時に、丁度四国が見えるあたりに夕日が沈むところに遭遇しまして、紀淡海峡には黒い(光でそう見えたのかも)大きな船が進んでいるのが見えて、カメラを向けて構図を決めて、「瀬戸は日暮れて~」と歌いながら感動の瞬間を撮りました。
で、その写真が自分でもうまく撮れてる~~と思ってブログにUPしたら、コメントをたくさん頂きました。
それから少しして、偶然目にした「フリーペーパー」で、「海上保安庁」の「下津管区?」が海の写真を募集していて、データを送ったら、「入選」しまして賞状と、水兵さん(可愛いい男女)の形の大き目クッキーやらグッズ等いろいろと、届けてくださって、学生時以来の賞状で喜んだのを思い出します。
すいません記事に戻って・・「友ヶ島」にはいまだに鹿が生息してるんですね。(めったにお目にかかれないようですが・・)
  最初に「雛流し」で有名な淡島神社の発祥にまつわるお話「淡島伝説」が始まりました。
お囃子の三味線は、私も何度か舞台やイベントでの演奏を聴かせていただいた「杵屋 多佳さん」でした。
「加太浦八景」の第三景の「淡島神社」と、「友が島八景」の第一景「紀淡海峡(神島)」が出てきました。
「神功皇后」の天皇家系図も関連部分も資料にありました。
地元の小学生が、「加太の子守唄」を合唱です。(毎日練習してたのね・って休憩時間に会った時に言ったらみんなで恥ずかしそうに頷いてました。)
続いての話は、お若い方の男性で、「うみぼうずの話」舞台から降りて、動きを交えての熱演でした。「友が島八景」の第一景「紀淡海峡」が舞台でした。
休憩をはさんで・・
ユーモアを交えながら挨拶をなさった長老の方が「友が島沖」で、沈没する船の中でただ一人助かった少年の話「孝助松」を語ってくださいました。「友が島八景」の第一景「紀淡海峡」と、少年がこの木につかまってて助かったとされてる第八景の「松の木」、後にこの少年が親孝行であったことから「孝助松」と名付けられたそうです。
そして最後は、何千年という昔から友ヶ島に住んでいるといわれている大蛇のお話、「友が島大蛇伝説」です。
「友が島 深蛇池」に住む大蛇のお話でした。
「友が島八景」の第一計景「紀淡海峡」、第五景「神島」、第七景「深蛇池」、加太浦八景の第六景「阿字ヶ峰行者堂」が出てきます。
「役小角(えんのおづぬ)」(友ヶ島の虎島に像があるようです)という役行ともいわれてる方は635年生まれと伝わってるようですが、修験道の開祖「空海」より100年も前の時代の事らしいです。
途中からですが・・ある日、役行者(大蛇は身なりの汚いお坊さんだと思ってるようで・・)が大蛇にむこて(むかって)「こんなとこにいてたら修行の邪魔にならいしょ(邪魔になるから)、ほやさけ(だから)笛や太鼓が鳴ってくるまで、でとうせんな(出てくるな)その池で寝ときよし(ねてきなさい)」っちゅうて(といって)、お経をば唱えたんやと(たそうです)。
ある日「ピーピーヒャラヒャラ」聞こえてくる音でふと目を覚まし、池から首を出してみたら、あいやキンキラキンのきもん(着物)着た男が笛や太鼓鳴らして、ええ機嫌で踊ってたんやいしょ(踊っていました)大蛇はうれしなって(くて)泳いで行こ(う)としたら、その男が大蛇を見て踊りをやめて、おとろしい(恐ろしい)顔して、睨みもて(睨んで)「お前が大蛇か、わしは紀州藩主徳川頼宜なるぞ、その方退治するのは手間はかからぬが、今日のところは許して遣わす。これからもおとなしくこの池で眠っておれ、四の五の申すならずたずたに切り裂き、大蛇の串焼きにしてしまうぞ」ちゅーたんで(と、いったので)ビックらした。 
大蛇は家来たちが鉄砲やらをようさんもってるし、こらかなぁん(これはかなわない)とおもて(思って)すっこんどくことにした。
それからもず~~っと池の底でねむりつずけてるんやいしょ。(です) で、お終いでした。
この民話が、八景の裏表紙にのってたのですが、最後の欄に「今でも深蛇池の立て看板のところから池に入っていくときは、笛や太鼓だけでなく(携帯電話)等音の出るようなものは、電源を切っておかないと大蛇が出てくるといわれている」と書かれてました。
何年か前から、「加太淡島神社の雛流し神事」や、「天空のラピュタ」と似てるといわれて「友ヶ島の砲台跡」がブームになった時、訪れる他県からの観光客がすごく増えて、加太へ向かう加太線の電車が、小学校前の駅のホームで止まっていた時、偶然見たのですが、大阪でよく経験したラッシュ時の地下鉄の込み具合のようだったので驚いたのを覚えてます。
和歌山に移住当時は神事を見に行った時は(もう大昔ですが)写真も撮りやすかったのを覚えていますが、砲台がブームになった時は、丁度「加太灯台が無料開放される」という催しがあったので初めての「友ヶ島」へと、乗船しようと思ったら、「砲台を見るための観光客」でいっぱいで、私たちがそのブーム前に何度も車の窓からみてきた誰もいない「船着き場」が人人人で、臨時出航時間調整しながらの時間待ちが続いて、くたびれ果てて、島についてからも歩いて灯台までいかないといけなくて大変だったのは、まだ記憶に浅いですが・・
加太の民話も初めて知って、遠い昔のことに思いをはせて、ひと時ちょっと癒し的なものを感じました。
過疎化していくのは淋しいですが、伝承はできる限り続けて行ってほしいですね。
ちょっと余談ですが・・
久々に加太まで走ったのですが、途中の道路上の案内板に「和歌山県消防学校」というのがあったので、友人に尋ねたら「そう、山の上にできたの」というので調べてみたら「2017年」に竣工とありました。
まったく知らなくて・・今年は女性の入校者が過去最高9人だったそうです。
コメント
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