Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

謙遜と自尊心の無さ

2006-06-20 | ワールドカップ06・10・14
クロアチア日本

ドイツ連邦共和国皇帝は、極東の立憲君主国から迎えた高貴なご婦人を放っておいて、次なるミュンヘンへと移動してしまった。当初からの予定であったのだろうが、お暇の言葉が伝わっていなかったようである。今ワールドカップのワーストにノミネートされるであろう試合だから仕方ないのかもしれない。皇帝陛下ご本人は「後半を待つしかない」と言いながら、結局それ以降は御眼を更に汚すことは無くヘリコプターの人となった。

日本ナショナルチームはコンフェデレーションカップなどで何度もワースト試合を演じているので、こうした現象は決して珍しくは無い。能劇でもありえないほど、緩ばかりで急が無い。静的な試合運びは、実力と言うよりも国民性と言うか文化と言うか、個性のような気がする。サポーターも応援風景も同じようで面白い。少なくとも決定的な得点チャンスを綺麗に生かす事が出来ていれば評価もされるのだろうが、結果が伴わなければどうしようも無い。

日曜日は民放が放送権を持っているようで、ピエール・リトバルスキーの解説であった。日本サッカーを知っているだけに客観的な評価が難しい様で、更に奥さんの後押しがあってか日本代表チーム監督への色気を示したその横顔がちらりと覗いて、個別の感想と全体の評価が巧く繋がらないで甚だ歯切れが悪い。

クロアチア勝利が一般的な予想であった事からすると、引き分けは日本チームの実力を幾らか示したと言っても、試合としての印象はすこぶる悪い。関係各国以外の放送局にとっては流すのも無駄だった様に映ったであろう。熱心な聴視者にとっても、これほど観ていてイライラの募るスポーツ中継も珍しい。

それにしても文化的な特徴が出ると言う事では、またそれに肉体的な個性が加わる事で、やはりサッカーは面白い。ドイツ語圏での出稼ぎや半移民の多いクロアチアのチームの横顔も興味深かった。ベルリン育ちでクロアチア語の出来ない二人の倅など典型的なスラヴ系移民だが、父親の職業からドイツナショナルチームへの参加を見送って帰化をしなかったようだ。そのような背景から、またその二人の風貌と言い体つきと言い、そのベルリン訛りと言い些かアウトローな感じがする。予想したようなポーランド人やチェコ人のような崩れは無かったが、勝ちへの圧力の中で慎重になり過ぎてさらに決定的な状況で決められなかった事から、心理的な懐疑感と体力的な困憊が表れていた。

リティの解説では、なぜドイツとポーランドの試合のように最終段階で動的に責められなかったのかを疑問視していた。技術的な問題よりもドイツの教育で言う「自己認識・自尊心」が確立出来ない東欧民族の歴史とメンタリティーを示しているのだろう。同じように日本人がクロアチア人に必要以上に「謙遜」していると言うのに対応している。

横着に形振り構わずウルドュルン此処にありと自己主張する韓国や傲慢で弱いと見れば一発かませる虐めの得意なドイツなどの個性もそのものサッカーに表れている。日本対ブラジル戦の開かれるドルトムントはデゥッセルドルフに近いことであり、この際は餃子ラーメン定食で腹を膨らせてキムチでも摘んで「強い気持ち」で「醤油と糠臭い汗」で挑むのだろうか。ブラジルの小さなサッカー小僧たちとは、同じ短足韓国人が今やアフリカ人部隊のフランスチームにニンニク匂い息を吐きかけた攻撃のようにはいかないだろうけれど。人口数で大国と言っても「サッカーなどは簡単」と言うブラジル人の出来ることぐらいはたかが知れている。



参照:
侍列車-十三日付紙面 [ 生活 ] / 2006-06-16
対波蘭戦に忠誠を示すか [ 歴史・時事 ] / 2006-06-15
蹴球愛国主義と文化水準 [ 雑感 ] / 2006-06-12
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする