Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

天井の閉じたアレーナ

2006-06-02 | ワールドカップ06・10・14
屈辱の日本戦が、巷で話題である。昨晩も魚料理屋の常連席では、サッカー談義に花を咲かせていた。こちらは、川の小魚の揚げ物にかぶりついていたのだが、昨年の七月に食べた時とは、魚の大きさも身の付き方も幾分違った。鍵となる、胸骨の身の離れが悪い。大きめであったが油が乗っているというより寧ろ微かな泥臭さがあった。しかしこれはこれで面白い。

そこで聞こえてくるのが、日本戦での「成果」を鑑みて、過去の大会でのドイツチームの変遷と他の強豪との力比べ予想であった。こちらは先ずは落ち着いて、エクスポート・ビールに南ワイン街道からのピノグリを半リッターほど飲んだ。勘定をしにこちらからカウンターへと出向く。勘定をしながら常連席の様子を背後に伺って、サッカー談義にアウェーでの参戦となった。

その内容よりも先ずは本日付けの新聞記事を短く纏めてみよう。監督のクリンツマンは、最終宣告をしたようで「順調に行かなければ直ぐに辞める。」と先制攻撃をかけた。この手法は、氏のチーム作りの「反応するよりも能動的に動け」に対応していて、「自らに支持が集まらなければいつでも投げ出すぞ」という脅しにもなっている。上げた剣はそのまま敵を切りつけて「一体、ギュンター・ネッツァーやフランツ・ベッケンバウワーやローター・マテウスの誰一人として一度も我々のトレーニングを観ていない。批判しているだけで、何一つ仕事を見ていないんだから。」と振りぬいて、「コンデションの問題やスピードや戦力の問題があると、幾らかの人が分かるようになるのにどれほど長い期間が必要か、私自身過小評価し過ぎていたよ。」と遠まわしながら敗北を語っているようである。

また、ドイツが実際に求めていたサッカーが、スピード感に溢れてコンビネーションの生きた、ジーコが日本に植えつけた南米風のサッカーだったと、いつの間にかロスト・トランスレーションとなった現在のナショナルチームの「成果」を嘆いている。その事は、二年かけて成長する筈が、今のチームの形はまるで若者の万歳スタイルで、昨年のコンフェデの前より酷くなっているとする。一か八かの勝負で、日本チームの攻撃を八回もキーパーのレーマンが一人で迎えなければいけなかった事から、前回のワールドカップのような守護神に祈るしかないとしている。

このようなチームが気に食わないと、絶えず思い続けていた感想を昨晩語ったので、これらの記事を読んで溜飲が下がる。優勝した時のチームは全く違った。

完璧な守備を謳うことは早々に諦めて、何人かの選手交代でミドルフィールドとディフェンスの繋がりを修正しなければいけないと言うが、この時点で「優勝などは宝くじに当たるようだと、新聞は敗北宣言をしている。」。守備に関して、「とにかくミスを少なくする事で、流れを綿密にするように努力する。」と同様な見解を監督も示している。ベッケンバウワー氏は、「ディフェンスは、その名の通りでなければいけない。護りであって穴では無いぞ。」と語る。

英国のレポーターの質問に答えてアーセナルのキーパー・レーマンは、「期待されていないからびっくりするよ。」と言うが、過去のチームにおいては何時も頭上には青天井が開いていた。しかし今回は、これでドームアレーナの天井は閉じられてしまった。つまり少なくとも日本との決勝戦がある筈がなく、全てにおいて日本より実力の勝るあるチームが存在するという仮定において、数学的空間が閉じられるように前提が定められたのが、対日本戦の意味であった。

解説のネッツァー氏が試合前に語ったように、「どんなチームでも優勝するというようなことを発言するんだよな。」に、これで少なくともドイツチームはもう含まれない。昨夜のおやじ達には、「ジーコは、優勝なんて言ってませんよ。」とハッキリと申し上げておいた。



参照:寿司ボンバーの二丁 [ 暦 ] / 2006-05-31
コメント (13)
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