先日、高齢のご婦人が転倒した。その怪我は、そのときついた手のみならず、後に腰骨のひびが分かり、治療されていた。12月の天皇誕生日の会に招かれていたが、ペルー大使館の占領事件については敢えて言わないでおいた。
さてその東独出身の女性は、最近は電車の中に足を乗せる禁止図柄のピクトグラムがあるのだと、話題にした。なるほど、それは見たことがある。そして、対向席に足を伸ばす若ものは一般的である。
こうしたマナーの話となると、その昔ドイツ国鉄に乗った時、ユーレイルチケットの一等車で旅した時、三人だけのコンパートメントで一人の男がタバコに火をつけたことを思い出した。するともう一人のご婦人が、「ここは禁煙席ですよ」とすかさず注意すると、その男性は「ありがとう、知りませんでした」と謝った。このことは今でも記憶に新しいが、そのことを上のご婦人にも語ると、すかさず「それは大変行儀がよい」と言った。
最近は、他人のことを注意する人は少なくなった。なぜなのか?68年の解放運動に係わっているようだ。服装もTPOなどとは言わなくなった。他人に限らず人の行動様式に関心がなくなったからである。どうなろうとも直接自分に火の粉が掛からなければ穏便に済ませたい。いざとなれば、自分はどこかへ脱出する。お運びの純そうな女の子が胸元を大きく開け、背中を出し腰に白いものを見せるのを、眼鏡のグラスの上半分で観察する自分がいる。注意するには忍ばない。
こうした現象は、大都会で生まれ育った我々には特に言える。隣りは何をする人ぞ、の究極の個人主義なのである。遵法である限りどちらでもよいのだ。包括的で集合的な西洋的なライフスタイルを文化と呼び、その解釈されて行動様式となる生き方の枠組みでもあるものを文化とすると*、どうしてもこの将来に悲観的にならざる得ない。
ベルリン芸術祭がニューヨークで二週間に渡って開かれた。ベルリンの「春の祭典」がマンハッタン島のスラムの子供達を得て大成功の熱狂を浴びたようだ。オペラ劇場も劇場も参加しないこれらの芸術は、ハイブロードウェー並みの成功を修めたと言う。
二百万人以上の人口を誇るベルリンは、ドイツで唯一の超大都市である。しかし、それがやはり大都会ニューヨークで示した文化が上の「春の祭典」であったことは興味深い。当地のタイムスが批評するようにサイモン・ラトルがベルリンでやれる最高の文化をこうして示しているのである。
そうして、大都会のエネルギー源の重心は、これらの旧大都市から上海などの超大都市へと文化と共に移って行っている。
* German Law Journal No. 7 (1 July 2006) - Book Review – Udo Di Fabio’s Die Kultur der Freiheit and Richard Sennett’s Die Kultur des neuen Kapitalismus by Günter Frankenberg
参照:
死んだ方が良い法秩序 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-21
疑似体験のセーラー服 [文化一般] / 2005-06-12
皇帝怒り心頭無道曲 [ 雑感 ] / 2006-03-12
言葉の乱れ、心の乱れ [ 女 ] / 2006-10-28
兵役任意制度の存続論 [ 生活 ] / 2007-08-20
豚の煮汁に滲む滑稽味 [ 生活 ] / 2007-10-16
まともでないお尋ね者 [ 生活 ] / 2007-09-13
ドイツ語単語の履修義務 [ 女 ] / 2007-07-16
ライカ社のエルンスト二世 [ 雑感 ] / 2007-03-12
希望も未来も無いTV放送 [ マスメディア批評 ] / 2006-12-03
さてその東独出身の女性は、最近は電車の中に足を乗せる禁止図柄のピクトグラムがあるのだと、話題にした。なるほど、それは見たことがある。そして、対向席に足を伸ばす若ものは一般的である。
こうしたマナーの話となると、その昔ドイツ国鉄に乗った時、ユーレイルチケットの一等車で旅した時、三人だけのコンパートメントで一人の男がタバコに火をつけたことを思い出した。するともう一人のご婦人が、「ここは禁煙席ですよ」とすかさず注意すると、その男性は「ありがとう、知りませんでした」と謝った。このことは今でも記憶に新しいが、そのことを上のご婦人にも語ると、すかさず「それは大変行儀がよい」と言った。
最近は、他人のことを注意する人は少なくなった。なぜなのか?68年の解放運動に係わっているようだ。服装もTPOなどとは言わなくなった。他人に限らず人の行動様式に関心がなくなったからである。どうなろうとも直接自分に火の粉が掛からなければ穏便に済ませたい。いざとなれば、自分はどこかへ脱出する。お運びの純そうな女の子が胸元を大きく開け、背中を出し腰に白いものを見せるのを、眼鏡のグラスの上半分で観察する自分がいる。注意するには忍ばない。
こうした現象は、大都会で生まれ育った我々には特に言える。隣りは何をする人ぞ、の究極の個人主義なのである。遵法である限りどちらでもよいのだ。包括的で集合的な西洋的なライフスタイルを文化と呼び、その解釈されて行動様式となる生き方の枠組みでもあるものを文化とすると*、どうしてもこの将来に悲観的にならざる得ない。
ベルリン芸術祭がニューヨークで二週間に渡って開かれた。ベルリンの「春の祭典」がマンハッタン島のスラムの子供達を得て大成功の熱狂を浴びたようだ。オペラ劇場も劇場も参加しないこれらの芸術は、ハイブロードウェー並みの成功を修めたと言う。
二百万人以上の人口を誇るベルリンは、ドイツで唯一の超大都市である。しかし、それがやはり大都会ニューヨークで示した文化が上の「春の祭典」であったことは興味深い。当地のタイムスが批評するようにサイモン・ラトルがベルリンでやれる最高の文化をこうして示しているのである。
そうして、大都会のエネルギー源の重心は、これらの旧大都市から上海などの超大都市へと文化と共に移って行っている。
* German Law Journal No. 7 (1 July 2006) - Book Review – Udo Di Fabio’s Die Kultur der Freiheit and Richard Sennett’s Die Kultur des neuen Kapitalismus by Günter Frankenberg
参照:
死んだ方が良い法秩序 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-21
疑似体験のセーラー服 [文化一般] / 2005-06-12
皇帝怒り心頭無道曲 [ 雑感 ] / 2006-03-12
言葉の乱れ、心の乱れ [ 女 ] / 2006-10-28
兵役任意制度の存続論 [ 生活 ] / 2007-08-20
豚の煮汁に滲む滑稽味 [ 生活 ] / 2007-10-16
まともでないお尋ね者 [ 生活 ] / 2007-09-13
ドイツ語単語の履修義務 [ 女 ] / 2007-07-16
ライカ社のエルンスト二世 [ 雑感 ] / 2007-03-12
希望も未来も無いTV放送 [ マスメディア批評 ] / 2006-12-03