ホタテ道が話題になっている。何やら映画やらベストセラー本やTV放送について、BLOG「ケルン、るんるん♪」で知った。映画に関してはBLOG「Bonjour, c'est veronique」の記事を読んでいた筈なのだが、コキールとはなっていなかったのでヤコブスヴェークとは結びつかなかった。
少なくとも、今年の六月と先週の日曜日には、この聖ヤコブに纏わる道を巡礼する二人のご婦人と行動を共にした。昨年出会ったスペインに移住して戻って来た人もその事を語っていたようであった。
六月には、道中に使うリュックザックを試しに担いだご婦人と、ライン河沿いを二日間ご一緒した。現地スペインへ飛んで本格的に目的地を目指すと語っていたが、無事サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着しただろうか。二本ストックを進めたが、巡礼に突く一本杖があるとかだった。
先週のご婦人は、ドイツ国内の道からスペインへと近づいて行く巡礼を分断して行なっている。そのリュックザックにはホタテの貝殻が付けられていて、これで水を飲めるのよと語っていた。
そのような按配で、ドイツ国内では大ブームのようである。それも女性が多いようだ。巡礼の目的は、どうも贖罪と精神の浄化にあるようで面白い。
「裸体」の参考にした古い記事に貼ってあるリンク先のベネッサ・ビークロフト女史のサイトを久しぶりに訪れ、新たにアップロードされていたVIDEOを鑑賞した。どれも思っていたよりも良質で、話題になる集団ヌードがスキャンダラスに捕らえられるのとは反対に、政治・社会的なのは当然ながら、かなり内省的なパフォーマンスのようである。ベルリンにおけるそのVIDEOをみると、まさにドイツ人向けの殆ど瞑想の精神状態を裸の演者に求めているようである。
先日のご婦人もシュヴェービッシュ訛りで話し、その話を聞いているとシュトッツガルト周辺で盛んなようなカトリックの座禅などを思い起した。巡礼グッズをみながら、ほたて貝を焼きその殻で飲む酒を空想して、日本の札所巡礼の話をした。ネットで知った野党党首が頭を丸めて白装束での巡礼パフォーマンスをしたのと、保守党政治家の似非神道イズムでの禊を比較しながら、ホタテの道での巡礼を説明したのである。
万聖節から万霊節へと連なる。蝋燭の光は、墓地で輝き続ける。バルコンの向こうに万聖節の夕暮れが広がり、山の中腹を煙のように霧がこちらへと漂い出した。煙なら匂いがするが、しない。これを見て我慢がならなくなった。LPから急いで針を下ろし、ズボンを履き替え、厚手のセーターに着替え、防寒チョッキを来て、カメラを片手に急いで外に出る。
ブラームスのアイン・ドイチェス・レクイエムが、全く異なって鳴り響くことに今日初めて気がついた。ルターの響きのドイツ語によって、チューリッヒ、バーデンバーデン、カールツルーヘと各々の土地で、上の意味からも至極ドイツ的なこの曲が創作されている。
参照:アメリカにもあった「癒しの道」(時空を超えて)
少なくとも、今年の六月と先週の日曜日には、この聖ヤコブに纏わる道を巡礼する二人のご婦人と行動を共にした。昨年出会ったスペインに移住して戻って来た人もその事を語っていたようであった。
六月には、道中に使うリュックザックを試しに担いだご婦人と、ライン河沿いを二日間ご一緒した。現地スペインへ飛んで本格的に目的地を目指すと語っていたが、無事サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着しただろうか。二本ストックを進めたが、巡礼に突く一本杖があるとかだった。
先週のご婦人は、ドイツ国内の道からスペインへと近づいて行く巡礼を分断して行なっている。そのリュックザックにはホタテの貝殻が付けられていて、これで水を飲めるのよと語っていた。
そのような按配で、ドイツ国内では大ブームのようである。それも女性が多いようだ。巡礼の目的は、どうも贖罪と精神の浄化にあるようで面白い。
「裸体」の参考にした古い記事に貼ってあるリンク先のベネッサ・ビークロフト女史のサイトを久しぶりに訪れ、新たにアップロードされていたVIDEOを鑑賞した。どれも思っていたよりも良質で、話題になる集団ヌードがスキャンダラスに捕らえられるのとは反対に、政治・社会的なのは当然ながら、かなり内省的なパフォーマンスのようである。ベルリンにおけるそのVIDEOをみると、まさにドイツ人向けの殆ど瞑想の精神状態を裸の演者に求めているようである。
先日のご婦人もシュヴェービッシュ訛りで話し、その話を聞いているとシュトッツガルト周辺で盛んなようなカトリックの座禅などを思い起した。巡礼グッズをみながら、ほたて貝を焼きその殻で飲む酒を空想して、日本の札所巡礼の話をした。ネットで知った野党党首が頭を丸めて白装束での巡礼パフォーマンスをしたのと、保守党政治家の似非神道イズムでの禊を比較しながら、ホタテの道での巡礼を説明したのである。
万聖節から万霊節へと連なる。蝋燭の光は、墓地で輝き続ける。バルコンの向こうに万聖節の夕暮れが広がり、山の中腹を煙のように霧がこちらへと漂い出した。煙なら匂いがするが、しない。これを見て我慢がならなくなった。LPから急いで針を下ろし、ズボンを履き替え、厚手のセーターに着替え、防寒チョッキを来て、カメラを片手に急いで外に出る。
ブラームスのアイン・ドイチェス・レクイエムが、全く異なって鳴り響くことに今日初めて気がついた。ルターの響きのドイツ語によって、チューリッヒ、バーデンバーデン、カールツルーヘと各々の土地で、上の意味からも至極ドイツ的なこの曲が創作されている。
参照:アメリカにもあった「癒しの道」(時空を超えて)